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いろはにほはねと

キャビア 不明

 
 花房牧郎はテレビ局の前でタクシーに乗った。運転手に行き先を告げ、腕を組んで目を閉じる。話しかけられないようにバリアを張った。
 座席が当たる背中から首がまだ痛い。首の後ろを優しく揉む。殴られる瞬間の男の目を思い出した。怒りと憎悪に満ちていた。どうして自分と何の関係もない人間にあれほどの敵意を向けることができるのだろう。
 スマホが鳴った。薄目を開けて運転手を見る。こちらを気にせず運転に集中している。画面を見たが着信ではなかった。
 見知らぬアイコンが増えている。しかし花房には心当たりがあった。ここから仮想空間に入れるはずだ。タップすると画面が変わって呼び出しが始まった。なんだ、今回は電話かよ。どんな仕組みなんだ、全く。
「あーもしもし、“キラーT”さん?」
「ああ」
「今日の放送、見ましたよ。生放送なのにどうしてあんなにタイミングよく“ピー”って入るんですか?台本ですか?」能天気でうるさい。
 若い男の声だがボイスチェンジャーを使っているのか、よく聞くと人工的だ。実際、相手のことは性別も年齢も知らない。ボーカロイドのような技術なのかも知れないが、花房にはそれを判別する能力はなかった。
「話しながら、机の下で自分で効果音を入れてんだよ」
「へー、器用ですね。過激が売りなのに、随分とテレビ局に従順じゃないですか。殴られて怖くなっちゃいましたか?」
 花房は二週間ほど前に暴漢に襲われた。日頃、過激で毒舌なコメンテーターとしてテレビに出ているので、SNSの炎上は日常だ。しかしそれはどの発言が原因なのか元ネタ記事がリンクされているので、炎上の理由がわかる。
 だが今回は何故背後から鉄パイプで殴られたのかわからない。せめて自分が怪我する理由くらい知っておきたい。一歩間違えば死んでいた。理由もわからず死ぬのは真っ平だ。でも多分、これまでの発言全てなのだろう。暗闇でフードの中の暗い目を見て、花房はなんとなくそう思った。犯人はまんまと逃走し、花房は一週間の入院になった。
 しかしだからと言って、過激な発言を控えようとは思わない。過去の自分の言葉にも後悔はない。
 今日は退院後初の生討論会だったが、下らないテーマに下らない共演者で、花房のモチベーションは低かった。下品な司会者が花房を煽るのが、余計に花房のやる気を削いだ。自分でピー音を入れる笑えない演出付きだ。
 普段なら絶対に引き受けない番組だったが、恩あるプロデューサーの頼みだったので仕方がなかった。ピー音が入るたびに沸き起こる共演者の下卑た笑いにうんざりした。
 どうせまともな奴は見ない深夜のクズ番組だ。ほとんど内容の無いコメントしか言わなかったが、スタジオ内の誰も理解していないだろう。三流の俺にはちょうどいい仕事だ。
 少し自己嫌悪もあったので男の指摘は耳が痛かった。
「ご報告があります」花房の反応がなかったので、本題に入ったようだ。
「どうなってる?」
「一人目の刑が執行されました。警察にはバレていません」
「そうか」花房も一人目が死んだことは、ネットニュースで確認していた。
「残りは一気にやる予定です。今最終調整中です」
「わかった」
「キラーTさんにお願いしたいことがあります」
「なんだ」
「ぎぶあんどていく、というサイトがあるんですが、どうもきな臭いようでして…」
「俺に調べろ、と?」
「はい。“癌”なら“除去”しないといけませんので」
「わかった」
「テレビでまた毒舌が聞けるのを楽しみにしていますよ」
 通話が途絶えた。スマホ画面からさっきのアイコンが消えている。これは毎度のことで、さすがにもう驚かなくなってしまった。
 早速、ぎぶあんどていくを検索してみる。当たり障りのない記事が並んでいた。花房はとりあえずサイトを見に行くことにした。
 
 物々交換サイト“ぎぶあんどていく”は複数の検索方法を提供して、ユーザー同士のマッチングを図っている。一番利用されているのは商品のジャンル検索だ。家電や自転車、パソコン…といった商品で検索する。欲しいもの、譲りたいものが決まっていればこれが一番手っ取り早い。
 また価格でも検索できる。聞くところによると例の“わらしべ長者”はこの検索を利用したそうだ。自分の持っている商品よりも少し価値のあるものを探すときに便利な検索法らしい。百円均一の商品が高級車に化けたのだから馬鹿にはできない。そもそもそれで有名になったサイトだ。
 価格帯は〇円から一万円までは千円刻み、十万円までは一万円、それ以上は十万円ごとに区分けされている。直接金額を入力することも可能だ。一応金額としては一千万円が上限となっているが、その上に“プライスレス”という階級もある。
 他にも直接手渡しできるようにと、地域検索がある。よく出回っている商品なら金額で比較するよりも、近くの出品者を探したほうが送料も安くなるし手間や日数も掛からない。“取りに来てくれる人限定”というのも人気があるようだ。
 年齢や性別でも検索はできるようだが、使い道が花房にはわからない。年齢や性別はいくらでも詐称できるので意味がないし、商品を交換するのにその持ち主のプロフィールは関係ないはずだ。今後追加される機能があって、そのときに必要になるということなのかも知れない。
 もしかすると裏では援助交際やパパ活での利用もあるということだろうか。その可能性は十分にあると花房は思った。実際にそういう使われ方をしているとみたほうがいいだろう。
 利用者同士の交流ページもあって、いい取引ができて満足という声が多かった。ここには恐らくそんな声しか載せていないのだろう。サイトのおおまかな全体像をつかむことはできたようだ。
 
 巷には先発のフリーマーケットサイトというものが多数あるが、それらにないユニークな特徴が“物々交換ができる”ということだ。合意さえすればお互いの商品の交換で取引が成立する。勿論金銭での購入も可能だが、物々交換サイトと冠していることもあり金銭以外の取引も二割近くあると言う。
 さらに、ぎぶあんどていくが他のサイトと決定的に違うのは、“リアルタイム”で取引ができることだ。それが『ただいま営業中』というコンテンツで、仮想空間内に店舗が並び店員が接客している。まさに、“ただいま営業中”なのだ。そこで実際の商品の説明を受けたり、値切ったりすることができる。店と客がお互いに納得すれば即取引成立となる。
 仮想空間で最初に目につくのが高層ビルだ。招福デパートはフロアごとにジャンル分けされており、ここは言うまでもなく目当てのものが見つけやすいので、初心者を中心に利用者が多い。
 そして日用品や家電、雑貨、骨董品などを扱う千客万来神社蚤の市と、衣類や化粧品などのファッションを扱う得得フリーマーケットの計三つのエリアに分けられている。
 当然、時間帯によって出店数が変化する。多いのは夕方から深夜二時頃までで、その時間帯はデパートなら超々高層になるし、蚤の市やフリマのマップはさながら地下迷宮のように複雑に入り組み、どんどん広大になっていく。フロア数やマップは時時刻刻と変わっていく仕様だ。
 競合がひしめく中で、出店者は取引を成立させるために実演販売をしたり、あえて田舎にあるような無人販売を真似てみたり、自動販売機を設置する変わり種で話題作りしたりといろいろと工夫を凝らしている。
 わざと見つかりにくいところに店を構えるのも、それはそれで一定の人気があるようだ。また特定の条件を満たさないと現れない“ステルス出店”というのもあって、冒険ゲームの要素を取り入れたりしている。宝探しで掘り出し物感を演出して購買意欲を高揚させるのが狙いなのは言うまでもない。
 各エリアの入り口には総合案内所があって、ステルス出店以外はそこから店舗に直接ジャンプすることが可能なので、迷いたくない客はここを訪れればいい。初心者からマニアックな客まで、うまく対応していると思う。
 なによりこれらの出店は全て無料だというから、かなり良心的だと言えるだろう。店舗の外観や内装、デザインは自由に選ぶことができる。その素材は豊富にあり、他店と決して被らない。完成した店舗を保存しなくてもいいのであれば、ユーザー登録の必要もないらしい。
 物々交換を謳う一方で、占いや業務請負のような各種サービスの店も存在している。これらは電子マネーで気軽に利用できる。ただどんなサービスを受けられるのかはサイトも把握しておらず、総合案内所でもわからなかった。これは実際に見つけるしかないようだ。
 サイトの開設時からこれだけの機能が完全に備わっていて、今まで仕様変更や機能追加は行われていない。当初から完成度の高いサイトだと言える。サービス系の店には対応が追い付いていないが、それは今後改良されるのだろう。
 利用登録せずにふらふらと店舗を覗くだけでも、花房は十分楽しめた。この短期間で利用者が爆発的に増えた理由を実感することができた。
 そしてこのリアルタイム対面販売とも言うべき『ただいま営業中』が、このサイト全体の総取引の七割以上を占めるというのもすんなり納得できる。圧倒的に気軽なのだ。
 わらしべ長者によって世間に知れ渡ったサイトだが、仮想空間などの機能は使ってもらいさえすれば確実に人気の出るコンテンツだ。
 かなりの費用をかけて制作されたサイトのようだが、オープン前もオープン後も宣伝らしい宣伝を見た記憶がない。わらしべ長者という、偶然かつ〇円の広告費でここまで成長した、とても不思議なサイトだ。それが花房がこのサイトに抱いた印象だった。
 だが本当のことを知るなら、掲示板サイトに行くべきだ。昔ながらの手法だが、いいことも悪いこともなんでも書いてある。あることもないことも混ざっているので、その真偽の見極めは必要だが、きな臭い噂探しのとっかかりにはなるはずだ。
 
 ログインする。最初に一つ目のプログラムを送り込む。これで同時接続者がいないか確認する。ここでアラートが発動したらすぐにログアウトだ。
 このプログラムだけ調べられても足が付くことはない。これさえ入れておけば、あとからログインした者を検知することもできる。
 異常がなければ次のステップに進む。続いてAI検索機能付きの拡張パッチを入れて、サイト利用者の書き込みや発言から言葉を探す。
 マッチングして取引を成立させたり、自ら出店して人探しや交渉するときに大きく役に立つ。サイト登録者の登録情報や取引履歴も必要に応じて収集だけでなく、改ざんすることが可能だ。
 作業が終わったら、あとから入れたプログラムは全て完全に削除し、関わった会話のログも消去してログアウトする。
 サーバーにはログイン日時だけが記録されることになるが、海外を経由しているのでこのアドレスに辿り着くことは不可能だ。
 これで大丈夫、穴はないはずだ。
 時計を見るともう午前零時を回っていた。返事を送っていないのをふと思い出した。
 
件名 Re:帰寮日予定と食事の有無について
日付変わって今日帰ります。
今日の食事はいらないので、明日の朝食からお願いします。
 
 ノートパソコンを閉じて、デスクから離れる。節々が痛い。多分、緊張していたせいだ。背伸びして腰を回す。ベッドの上で軽くストレッチするとずいぶん楽になった。
 部屋に備え付けの冷蔵庫からワインを取り出して、グラスに注いだ。さっきルームサービスで頼んだキャビアとチーズのカナッペを口に放り込むと、ワインで流し込んだ。
 やっと京都に帰れる――。

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