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いろはにほはねと

数Ⅰの教科書 #bfa46f

 
 翌週から本格的に授業を始めた。章末テストの結果は、なかなかのものだった。決していい意味ではない。前半の計算問題は大方できていたが、それ以外はまるでダメだった。記号で回答する問題は全滅、文章題に至っては答案は真っ白で、途中の計算式どころではなかった。だがまあ、基本の計算ができているだけ良しとするべきだ、燎は前向きに考えることにした。
「この記号問題、全部間違ってるけど、どうやって考えたん?」
「勘?」疑問を疑問で返してくる。回答したときは自信があったかも知れないが、結果を見ると勘だったと認めざるを得ないといった表情だ。
「ま、わからんときは勘も大事よね」まずは肯定する。
「テストでは何も書かへんかったら、〇点やけど、適当でも何か解答欄を埋めておけば当たる可能性があるもんね」凌がまっすぐ燎を見つめる。自然な動きで視線を逸らす。大丈夫、うまくできたはずだ。
「じゃ、それがもし○×問題やったら勘で正解する確率は何%?」
「50%」
「そやね。そしたら四択問題やったら?」
「25%?」自信なさげだ。
「合ってるよ、自信持ちや。でも例え勘やったとしても、四択問題で正解する確率を25%より上げる方法ってわかる?」
「うーん」
「例えば将棋の名人がね、次に指す手を決めるとき、いつも『これが正解や!』って自信満々ってわけじゃないと思うねん。いくつか選択肢があって、多分これかなって勘で選んでることもあると思わん?AIなんかが次の指し手は何通りあります、みたいな話をテレビで観たことない?」
「ある、かな」
「ただね、その選択肢が二つだったとしても、名人だったらその手が正解である確率は多分50%よりも高いはずなんよ。言うてること、わかる?」
「たぶん…」
「将棋の名人みたいな、その道を極めた人がこれまでの修行で得た知識や経験をもとにする選択、つまり勘って言うのは素人の勘よりはるかに当たってる確率が高いねん。だから名人は強いんよ。」
「うん」
「だから君もたくさん問題を解いて、知識や経験を積んだらいいねん。自然とパターンとかわかるようになってくるから!そしたら勘で正解する確率もぐんと上がるよ。まずは数Ⅰの名人を目指そうか。さあ、問題を解きまくれー!」
 毎週月水土の午後五時から二時間の授業が燎の新しい習慣になった。そして授業後は上月家で夕食を頂くこともお決まりとなった。たいてい燎、凌、凌の母の馨の三人だった。
 馨は初日以来、二人きりになっても燎の父や許嫁の話は全くしてこない。合格まではもう触れないと決めているようだ。そのほうが燎としても気が楽だった。馨があの日一瞬見せた意地悪そうな顔を思い出すと、今でもゾクッとする。
 そしてときどき祖母の迪と一緒になった。近所で香道の教室を開いているそうだ。八十歳を超えて背中はいくぶん丸いが、とても元気そうに見える。物腰が柔らかくていつもニコニコしている小柄な可愛いおばあちゃんだ。
 一方、父親の十三とは凌の夏休み期間中一度も顔を合わせることはなかった。
 
 パソコンが鳴った。見るとアイコンが増えている。画面を開く。
ID:noname
PW:●●●●●●●● 自動入力済みだった。ログインする。
 何もない真っ白い空間だった。この前とはずいぶん違う。中央にマッチ棒がぽつんと立っている。
「こんにちは」
「一体いつまで待てばいいんだ!」
「まあまあ…」
「あいつは今も探してるんだよ!あのときの写真に年を取らせる加工をして、毎日画像を検索してる。いつ見つかるかわからない。見つかったらまた同じことを…どれだけ今すぐ殺したいか…」
「お気持ちはお察しします。でも我慢してくださいね。今あなたが彼を殺したら、あなたの望みは叶いませんよ。あなたが捕まって終わりです。残りの罪人は放置されることになります。“連続殺人”はそう簡単なことではありません。それなりに準備が必要です。あなたも冷静でいなくちゃならない。感情は、最後の一人になったときに爆発させればいいでしょう」
 マッチ棒の頭に火が着いた。そのままマッチ棒は続ける。
「私も全力であなたをサポートします。でも準備にはまだ時間がかかります。とは言え、このままではあなたのほうが先に壊れてしまうかも知れませんね。そこで当面の問題である彼を先に消してしまいましょう。一人だけなら、それほど証拠を残さずに消せます。警察も手こずるでしょう。時間稼ぎになります。ところで今彼が死んでも、あなたは捜査線上に出てきませんね?彼との関係がバレたらそこでゲームオーバーですよ。」
「ああ、大丈夫だ。とくに警察に怪しまれるような関係にはなっていない。あいつ自身も俺が殺したくて仕方がないなんて、微塵も思っていない。あいつには殺される心当たりはないさ」
「それなら結構!でも彼を殺したあとは、こちらの準備が完全に整うまで、落ち着いて待っていてくださいね。」
「ああ、あいつさえ殺せば、写真とパソコンのデータを削除できる。そうすれば安全は確保されるからな。それだけで俺の苦しみはほとんど解決される」
「ああ、でも、それで終わっちゃダメですよ。それでは私達も楽しくない。みんな新聞に罪人全員の死亡記事が出るのをワクワクしながら待ってるんですから…」
「あんた達には感謝してる。この話を持ち込んだのは俺だ。最後までやり遂げる」
「そうこなくちゃ。ではやり方を説明しますね――」
 ログアウトすると、パソコンの画面からアイコンが消えていた。

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