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国鉄チャレンジ2万キロ 3.体調との戦い

  4.体調不良との戦い
 チャレンジ2万キロは、「レールオリエンテーション」とも言われる。オリエンテーションとは、幾つかの決められたポイントをまわり、いかに早く終了できるかを競うスポーツである。国鉄全線踏破は早さを競う必要はないが、似ているところがある。それは、ポイントの代わりに各線区をまわること、体力を消耗することである。ある人に「列車ばかり乗っていないで、スポーツでもしたら」と言われたこともある。確かに列車の乗っていること自体、テニスやジョキングのようなハードではないかもしれない。しかし、2、3時間同じような姿勢で列車に乗っていると、疲れる経験は誰でもが知っているのではあるまいか。しかもそれが夜行列車を利用し、24時間、いや30時間以上も乗っていることとどうだろうか。その間乗換え、証明写真、駅スタンプなどの活動もある。いかに体力を消耗するか想像に難くない。北海道や九州など1週間以上もかけて踏破すると、体重が2、3㎏減ってしまう。体力の消耗は、その踏破方法によって大分違うし、またその踏破方法は、年齢によってもかなり違う。若者の場合は、通常金無し体力ありのため、連日夜行列車を利用し宿泊費を浮かす努力をしている。体力を許す若者ならでの業であろう。逆に年輩者は金あり体力なしのため、毎日宿に泊まり温泉につかるなど、実にゆったりした道中である。私はというと、金も体力もないわけで、夜行列車+ホテルというところか。体をだまし、まさに体力との戦いを繰り広げることになる。この戦いでの武器は、整腸剤、胃薬、頭痛薬、目薬であった。特に腸が弱いので、整腸剤は欠かせない。あせったり、食後すぐに動いたり、水を飲みすぎたりすると、すぐに下してしまう。精神的なものが原因と思うが、踏破中の下痢はたいへんつらい。
 1981年7月28日旭川から根室へ向かっていた。富良野(根室本線)から特急「おおぞら」(当時富良野経由)に乗車し、新得付近で缶コーラを飲んだ。もちろん整腸剤を飲んでいたのだが、釧路の手前で腹痛に襲われた・釧路で根室行の列車に乗り換えねばならない。乗り換え時間は、わずか7分。青い顔で腹痛を我慢し、走って根室行の列車に乗り込んだ。しばらく列車は動き出さなかったが、私の腸内の列車は、今にもトンネルから抜けようとしていた。急いで車内のトイレに飛び込んだ。やはり下痢であった。列車が動き始めてからもしばらくトイレの中にいた。

 目の痛みが起きたのが中国地方踏破の時だった。1983年8月6日広島から芸備線、木次線を踏破し、松江に向かう途中、左目にごみが入ったようで、チクチクする。宿に着いて、鏡を見て水で洗ったものの、一向にすっきりしない。この夜は異物感から熟睡することができなかった。翌日、大社線、境線、伯備線を踏破したものの、目の不調で楽しむことができなかった。夏の陽ざしは強く、左目がちかちかし、時間が追うごとに痛みが増し、開けていることさえつらい。正常な右目だけを頼りに行動したのだが、目の痛みが気になり、イライラした。耐え切れず、米子で眼科を探したが、日曜日でどこも休診だった。
 翌日東京に戻り、眼科を行った。なんと左目に鉄片が刺さっていた。さっそく鉄片を抜いてもらい、目薬をつけてもらった。目の傷に薬がしみて、しばらく目が開けられなかった。チャレンジ踏破中、大病や大けがはなかったものの、このように体調を崩すことは度々あった。体調を崩すと、鉄道の旅の楽しみも半減してしまい、踏破中に計画の変更を余儀なくされることもある。金がなくても体力がなくても「健康であること」これはなくてはならない。

 

 

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