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お手紙。LINEで暑中お見舞い申し上げますを言いたくない中1。

 お手紙を書くことがある。

 小学校の時の同級生は、全く手紙を書かない人がほとんどだった。みんな、LINEで済ませてしまうようで、「何だかなあ」と、いつも思っている。

 私は年賀状と、暑中見舞いと、あとは大体、春にこんにちは、秋にこんにちは、という手紙を書く。

 小学校を一度転校したので、前の学校の人が4人、卒業式を挙げた小学校の同級生が一人、先生が一人。転校したては15人くらいに書いていたのだが、一年、二年、と、その人数は減っていった。

 手紙を書くのは楽しい。でもそれは私にとって、言葉で情報を伝えるものではない。
 
 封筒のチョイスや、筆記用具や、字の荒さ加減や(これは少々抑える必要がある)、付属の絵や、それらで、元気ですよとか、ちょっとご機嫌ななめかなとか、そこら辺を伝えるわけである。

 相手に100%は伝わらない。そして、私も、100%伝わることを望んではいない。そもそも、完全に感じ取ってもらうことは不可能なのだ。自己満足と言って仕舞えばそれまでなのだけれども、でも、伝わり切らないところが一定数ある方が、面白いかな、と思っている。

 まず、〇〇へ、を書く。そして、庭の紫陽花が枯れましたとか(綺麗に咲いています、とは書かない。性格上。)、妹と弟が激しく戦っていますとか、そこらへんを。二、三行書く。ここで、心の準備をする。

 次に最近のお話。誰々がどうしたとかは書かない。共通の知り合いがお互いの記憶の中に鮮明に残っているケースは稀だ。転校前の友達は皆、同じ中学にいるので、少しは伝わるのだけれども、それは場を(紙面を?)和ますためであることが多く、本題ではない。

 本題ではない、と書いたが、本題はそもそもないことが多い。
 あくまでも私の場合で、相手がどうだかは知らないが、私は手紙を書くことが好きなので、「情報を共有する」ことが好きなわけではないのだ。

 あくまでも自己満足と、ちょっとおふざけで手紙は終わる。終わる予兆はなく、ぱたっと、「あら終わりなの?」くらいの感覚だ。

 そして追伸を書く。
 追伸を書くことを定例化しているあたり、本来の追伸とは違うのかもしれない。ここは、なんだかおかしなぼやきというか、独り言の拡張みたいなものを適当に記しておく。

 封筒を新しく買うことはほぼない。
 作るのが楽しいからである。絵を描いたり、素敵な包み紙をちょきちょきして、程よいオーラを出した封筒を作る。

 「この手紙を受け取ったあの子が、微笑みますように…」なんて思いはしない。ただ、手紙を送りつけることで、LINEで挨拶をしないようにしている。これは効果がある。

 10月から切手料金が値上がりするらしい。手紙も、近年中に、ちょっとしたギフトのようになるかもしれない。そうなったら面白そうだ。
 入学祝いが素敵なカード、とか、合格祝いは満開の桜の葉書で、とか。

 手紙ギフトの第一人者に、とはいかなくても、結構手紙を書く中1、として、今、暑中見舞いの絵をどうするか考えている。


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