インド系英国人のリベンジ
英国にヒンドゥー教徒の首相現る
英国で10月25日、旧植民地であるインド系首相が誕生した。1947年、約90年に及ぶ英国の植民地支配から独立を果たしたインドは、ムスリム教徒が多く住む一部がパキスタン、残る一部は主にヒンドゥー教徒が住むインド共和国として国を分断し独立した。その独立劇は決して平和なものではなく、100万人超の死者と1千万人以上の難民を出したと言われ、正確な犠牲者は未だわかっていないという。現在でも両国の国境付近は紛争が絶えず厳戒態勢が敷かれている。ちなみにインドとパキスタンは核保有国でもある。
さて、英国王チャールズ三世より正式に首相に任命されたリシ・スナク氏は、その翌日、インドの新年を祝う「光の祭典=ディワリ」の催しを首相官邸内で行った。モディ印首相も、スナク首相誕生を英印間の「生きる架け橋」と表現し、ディワリを祝うメッセージと共にツイッターで世界中で活躍するインド人などに向け発信した。
当然のことながら、伝統的に英国国民の大部分はローマ・カトリックから分離したイングランド国教会の信仰者で、教会の首長はチャールズ三世である。国家を代表とする首相が異教徒となった背景は色々考えられるが、多様性=ダイバーシティの進んだ英国にとって早かれ遅かれ、誰もがスナク氏のような非白人の首相が現れるであろうと想像していた。首相はチャールズ三世と毎週1回会談し、イングランド国教会の首長である国王に助言をするというのが定例となっているのだが、ヒンドゥー教徒であるスナク氏がどのような助言をするのかは興味深いところだ。
インド系移民は英国で富と名声を獲得
スナク英首相の父母は、ケニヤ、タンザニアなどの東アフリカが英国に統治されていた時代に英国とアフリカを仲介するため英国から推奨されインドから渡った移民だった。弁護士や医者などホワイトカラーに就くなどし富を築いたが、その後は、アフリカ諸国が次々に独立するとインド系移民に対する反発が強くなり、アフリカを後にして英国へ移住した。
東アフリカから英国に移住したインド人は子供達に高等教育を施し、子供達は金融、弁護士、IT、医者、歯科医や会計士などの高給職に就くエリートになっていった。あらゆる業界で、インド人は英国に浸透していったが、特にロンドンにある「シティー」という国際金融の中心地で、インド系英国人が企業の重要なポストに配属されるようになると、経済界で権力を持つようになり、その後政界にも進出するようになった。そして、政治、経済でのあらゆる分野でインド系英国人が活躍の場を広げ、もちろん長者番付にはいつもインド人が上位に並んでいる。ちなみに、スナク氏は英国国王チャールズ三世とカミラ夫人の約2倍の資産7億3千万ポンド(約1200億円)を保有しているスーパーリッチ(大富豪)で、ファーストレディーとなったスナク夫人はインドで一二を争うIT企業の資産家のご令嬢である。
インド系英国人のアレンジ・マリッジとは
筆者は、ロンドンにあるシーク教寺院に行ったことがある。シーク教というのは、ヒンドゥー教から派生した宗教で、一般的に男性は生まれてから一度も髪を切ることがないためターバンを巻いている。
シーク教寺院を訪れるにはさほど難しい儀式はなく、まず入口付近に男女別の下駄箱があるので別々に進み、靴を脱ぎ、男性は用意された布を頭にかぶり、女性は頭をショールのようなもので隠す。イスラム教の様に男女別に座る必要はないので、来たものから順番にそのままホールに進む。そこでは、グル(指導者)がお経を読んでいるので手を合わせ祈ってもいいが、筆者のような異教徒はさらに奥の食堂に直行するのがよい。
食堂では誰でも食事のサービスが受けられる。カレーとご飯、フルーツやデザートなどを銀色の食器に盛ってくれので、盛られたらこれも来たものから順番にござのような敷物の上に座って、手で食べてもいいし、英国のシーク教寺院にはスプーンも用意されていたので筆者はスプーンで頂くことにした。
食事をしながら、招待してくれた友人が面白いものを見せてくれた。それは、シーク教信者向けの冊子だった。すぐさま読んでみることにすると、そこには、「アレンジ・マリッジ」のページがあった。アレンジ・マリッジというのは、日本のお見合いのようなもので親同士が子供の結婚を決める制度である。結婚相手は高学歴が最低条件のため、ページには結婚適齢期の男女の大学名、学位の詳細、修士の論文名や現在の就職先などが事細かく載せてあった。それらを参考に親同士が結婚を進めていく。卒業大学はオックスフォード、ケンブリッジ大学など名だたる名門校が記載されていた。
ちなみに、ヒンドゥー教は、新婦が結婚するための支度金を全て用意するという伝統があるため、新郎側は事前に新婦の両親と結婚費用について話し合うのがしきたりである。そのため、アレンジ・マリッジによる結婚は特に家族同士の金銭的契約の意味合いも強い。このような制度のおかげでインド系英国人は優秀な者、資産があるもの同士で結婚し、そのまた子供も同様なことを繰り返し繁栄を遂げていった。
英国でもインド人のカーストは決して死んでいない
インドでは、生まれながらに身分が決まってしまう「カースト」というヒンドゥー教の身分制度があり、白い肌が高貴とされ、カースト内での結婚を繰り返したためカースト上最も高い階級の人々(バラモン)は肌の色が白い。肌の色で差別するカーストは今では表向きには廃止されているとされるが、決して滅びることなく今でもインド人社会の中に根付いており、英国社会も例外ではない。バラモンは、ヒンドゥー教上では宗教的に身分が最も高いとされているが、インドでは必ずしも裕福ではなく彼らの半分は平均以下の暮らしをしている。ただ、欧米に住むインド人の上流階級はバラモンが多いという。
インドの報道によると、スナク首相夫人はバラモンの階級で、スナク氏もバラモン式の生活を送っていると言われているがカースト階級については公表されていない。ちなみにバラモンは菜食主義なのだそうだ。
ヒンドゥー教徒のスナク首相は救世主になり得るか
スナク首相は、ヒンドゥー教がスナク氏のアイデンティティーを形成したとして自身がヒンドゥー教であることにとって誇りを持っていると報道は伝えている。ロンドンのカーン市長は、英国で初めてとなるインド系首相を多くの人にとって「誇りの源」と称した。ちなみにカーン市長はパキスタン系英国人でもある。この英国のダイバーシティの波に乗って出現したインド系首相は、エリザベス女王が死去し国難とも言われている英国の立て直しに必死だ。
インドは英国の長きに渡る植民地支配から独立し、その後英国に渡った子孫はさらに富を増やし、首相を排出するまでになった。米国などにも優秀な人材を送り込み、米ハイテク企業のCEOなどは皆インド人だ。母国であるインドは半ば発展途上であるとは言え、これから更なる経済拡大が予想されており、国民総生産(GDP)は第3位の日本をそのうち抜くと称されている。スナク氏は世界中にある有益なネットワークで英国の繁栄を勝ち取る事が出来るだろうか。筆者はそれが英国に対するインド人の平和的リベンジに感じる。
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