全裸学生を目視検査の現実
第1 序論
西日本新聞でこんな記事を目にした。修学旅行において、中学生の女子生徒が、「水滴チェック」と称して全裸での目視検査をされたというのである。私自身、九州の公立高校出身であるが、高校1年時の宿泊訓練なるものにて、同様の経験をしたことがある。その時から、こんなこと許されるのかと疑問に思いながらも、自分で選んで入学した高校だし、甘んじて受け入れるしかないと思った。また、周りの人間もこの出来事について声を上げる者はおらず、普通のことなのか?自分の肌感覚がおかしいのか?と思ったのを記憶している。大袈裟にいうわけではないが、私にとっては刑務所みたいな経験だった。
そもそも、学校生活なんて刑務所的側面があるような気もする。手と足を大きくあげてみんなと揃える行進とか、学校や刑務所でしか見たことないのだが…こんなものを教育と称して批判能力の乏しい、精神の未発達な子どもに施している我が国はどうなのか…皆さんでもう一度熟考されるとありがたい。なお、かなり穿った見方をしている点には留意されたい。
話を戻して、やっと時代が私に追いついてきたのだろうか(笑)。このような記事にて問題にされるのは、まだこんなことが続いていること自体は悲しいが、問題が顕在化したという点では嬉しくもある。
第2 目視検査の必要性について
ここからは、法的思考っぽく考察していけたらと思う。記事によると(真偽は不明)、どうやら水滴を残したまま脱衣所に行くことはマナー違反らしく、そのことを知らずに育ったら、恥をかくため、入浴指導の一環として行なっているらしい。まとめると、水滴をたらして脱衣所に行くとマナー違反という考え(価値観)に基づいて、大人になってもそれを知らないでいると恥をかくというパターナリスティックな教育(?)目的から行っているということだろう。そもそも、入浴指導って何んだろうか…風呂に入ることまで指導するものだろうか…公立学校で指導すべき項目なのだろうか…といった疑問は置いておいて、仮にこのような目的が正当だとして、本当にこの目的を達成するために全裸による目視検査(以下、本件検査という)が必要かを検討していくとしよう。
まず、必要性を考える上で必要な視点は、本件検査をすることによる学生の不利益と本件検査により得られる利益(上記目的達成による利益)を比較衡量することであろう。学生の不利益については、全裸を同性(さすがに同性だよね?)によってまじまじと(?)みられるという意味で性的羞恥心を感じ、精神的苦痛を伴うことが考えられる。さらに、精神が未成熟で、より多感な年頃であることを考慮すると、今後の人生においても影響するほどの精神的ダメージを負うと考えてもそうおかしいことではないように思われる。他方、得られる利益としては、将来的に旅館等の施設において、水滴を落とさない大人になり、恥をかかなくて済むという教育目的(?)の達成だろう。さあ、みなさん、この二つを比較してみて欲しい。学生の不利益が言うに及ばず大きすぎるのは明白だろう。少なくとも、教師の皆さんほど、賢くも、立派でもない私の頭ではそのようにしか考えられない。自分の視野の狭さに落胆すべきでしょうか…
第3 反論について
この記事によると、水滴で旅館の床などが濡れ、学生が滑って転倒することなどを防止する安全の観点からとの指摘もあるみたいである。仮にこれを反論だとしても、水滴で床が濡れて危険なのであれば、その状況を学生に確認させ、すべってケガすることの危険性を説明した上で、学生らにその床を拭かせるほうが、本件検査より、よほど上記目的を、より学生の不利益に配慮した形で、達成できるのではないだろうか。他に上記目的を同程度かそれ以上に達成でき、学生の不利益を小さくできる代替手段がある場合、そちらを採用すべきことに異論はないだろう。このくらいのことにも思いが至らない校長の力量にわが国の教育の質の低下を見ないではいられない気もするが。校長には、さぞご立派で、崇高な教育理念があるのだろう。私のような教育者でもない者の頭ではそこまで思い至らない…
少なくとも、校長自身の教員時代から本件検査がなされてきたから、今後も見直す予定がないとのご説明は、どんなに頭を捻っても私のような凡人には理解できない。
第4 おまけ
同性だから、性的羞恥心は感じず、精神的苦痛はないとの時代遅れの反論も考えられないわけではないが、そもそも、性器等を含めたプライベートなゾーンを学生や先生たちの前で大っぴらにすること自体が精神的苦痛であろう。ましてや、先生だからそんなことをしても許されるなどといった反論は、時代遅れの教師至上主義に基づいた愚弄なものとして生理的に受け付けないので悪しからず。
長々と語ってきたが、こんな誰が書いたかもわからない人の文章もここまで読んでくれる人はそういないだろう。まあ、読んで少しでも私の言っていることを理解してくれたり、読者自身の思考の種にしてもらえれば、これ以上の喜びはない。無論、批判等も大歓迎である。
最後に、このような何者でもない者の、負け犬の遠吠えが少しでも社会に届くことを切に願う。なお、拡散(コピペ)等はどうぞご自由に。
以上
追記:このようなことが実際に起きていた(いる?)ことは私の実体験を通して認識するところであるが、このような教育・指導のあり方に違和感を覚え、本当に悩まれている方や傷ついた学生の方がいらっしゃいましたら、迷わず、「弁護士」にご相談してください。ネットで調べれば、子どもの人権に力を入れてご活躍されている優秀な弁護士の先生がたくさんいらっしゃいます。このような問題は、当事者である学校の先生に相談しても抜本的な解決にならないと思います。弁護士に相談するのが一番です。お金がかかるとか気にしないで大丈夫です。本当に悩んでいる旨を、熱く文字に起こして、近くの弁護士の先生でもいいので、手紙でもいいので送ってみてください。誰か手を差し伸べてくれるはずです。弁護士の使命は社会正義の実現です(弁護士法1条)ので、遠慮せず相談してみてください。
本当の最後に、当事者のみなさんにしか起こせないことが、訴訟の世界には多くあります。実際に傷ついたみなさんにしか成し得ない社会正義の実現があります。難しいとは思いますが、勇気を振り絞って一歩踏み出してみてください。
柄にもないことを書いてしまい、熱い…
大都会の寒さのなかで心の熱を感じながら…
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