月が満ちる夜
誕生日おめでとうウォヌ
この言葉を口にするのは何回目?
もう毎年恒例で、けど毎年特別な日
今日は綺麗な月が出てるといいな。私の中で君は月だから
今このnoteを書きながら、去年の誕生日は夜空に月が見えて、独り言のように「おめでとう。」なんて言ったな〜とか懐かしい余韻に浸ったりもしてる。
ウォヌのことになると、途端に文字が進まなくなることがある。言葉つっかえて出てこない感覚。
友達にも話したことがあるけど、ウォヌについて何かを語ろうとする時、君みたいに綺麗な言葉を使いたくて、、、けど出てこないからつっかえる。
誕生日おめでとう〜‼️以外に何を語ろう。何を綴ろう。なんて
頭の中には無数にあるはずなのに出てこないなんて不思議だね。
ん〜何を書こうかな。何を残そうかな。
あ、じゃあまずはソロ曲を出してくれてありがとう。について書こうかな
ハラメでこの曲を聞いた時、ロック調のバラードの時点で大好き〜‼️ってなったことを覚えてる。
その後数回聞いて、初めてゆっくりと声を聞く。
がなり声が聞こえた時は震えた。この人こんな歌い方もするんだ。って驚いた
さすが練習生時代ボカチだった男。感情の込め方がありえないくらい上手い
いつもの低音ボイス、ハスキーがかった綺麗な高音
それとは別の感情がそのがなり声1つに集約されたような苦しくもどこか寂しい叫び。
自分をゴミ箱に例える発想も
君の傷をここに捨てて良いよ。それはいずれ愛に変わるから。
こんな歌詞も。君が書きたい歌詞はストレートな愛じゃなくて遠回りしたような、不器用ながらにも優しい愛なんだな〜って思った
この曲でさ〜、1番好きな部分があるの。
ラスサビの部分が本当に好きで、元々ラスサビで転調する曲が好きなのももちろんあるけど
このラスサビの部分で、今までは自分の中でだけの叫びだったのが、最後だけ相手に伝えたくてたまらないもがきが入ってる気がして好き。
歌詞には疑問形だけど、僕を思い出してよ!に聞こえる苦しい声。なのに最後の歌詞で諦めと、離れてても身近で守ってるよ。が伝わる儚くも優しい言葉
周りからまたその曲歌ってるの?って言われるくらいには口ずさんでるんだけど、ほんっっとうにソロ曲出してくれてありがとうね。
君がインスタで写真垢を作った。
その瞬間、その時を残したくて写真を撮るきみの綺麗な綺麗なアカウント。
その写真たちを見て、写真から微かに伝わる君の感性に酔いしれるのが好き
数年前からドギョムとウォヌがカメラにハマった時。その時から空の写真だったり風景を撮ることが好きになった
時折その自分が撮った写真を眺めながら、こんなことがあったな。今みるともっと綺麗に見えるな。なんて思うこともある
そしてまた私は、君を真似てアカウントを作った
雨の日、雲が多い日、明るく晴れた日、何気ない道端の標識、何気ない風景
これがひとつの画面に沢山出てくると、どこかその人の心の中が見えそうで変な感情になった。
この時期はこのフィルターにハマってたんだ。という懐かしい感情も
少し憂鬱な感情だったんだろう。という事も
自分一人しか見れないこのアカウントが今ではとても大切な物になっている。
"誰にも言えない私の心の中" を具現化したようで、君の真似をしてアカウントを作ってよかった。と心から思った
何気ない瞬間に、残したいと思った感情のまま撮る写真がこんなにも後に記憶の走馬灯として残ることに驚いた。
去年の誕生日から1年。
感情が表情に出るようになったな〜って思うことが増えた。
なんて言うんだろう、目に見えて楽しんでるんだ。が分かるようになったなって思う
別にそこに何かがあったとかそんな事はどうでも良くて、ただ楽しんでる事が全面に伝わることがどこか嬉しくて微笑ましい。
緘黙で、ライブをするのも何を話していいか分からない。と言っていた君がゲーム配信をして
週の初めには必ず頑張ろうと言ってくれる君がいて
Caratが誕生日に沢山準備してくれるから、ただの過ぎ去る日だと思ってた誕生日が特別なものに感じられるようになって
そんな姿を画面越しからでも見れて、伝わることが嬉しくてたまらない。
これからもその姿を遠目からでも眺めていたい。
誕生日は過ぎてしまったけど、改めて誕生日おめでとうウォヌ
産まれてきてくれてありがとう。
2024.07.18
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