最近のこと

ここ数年、私の生活はかつてない好景気の最中にあった。
ひょんなことをきっかけに、本来は降下してこないような幸福が続け様におき、お腹も膨れてぐっすりと眠れるようになったのだ。
毎日の労働もそのけたたましさをすっかり潜めていたし、退屈で仕方なかった休日も楽しみになっていき、生活の前後にある諸々の嫌々は、全部が中和されていたように思う。

けれど、傲慢さというのは留まるところを知らないらしく、どうもつけ上がりはじめた。
それでも最初のうちはまだ良好で、感謝を忘れなかったり、想像することを欠かさなかった。

けれども、月日がわずかあれば、そのインチキにかかるには十分だったらしい。
まともで真っ当なつもりだった事はすっかりと色形を変え、もしくはそれ映す鏡の変形具合といったらない。

全部はそっくり入れ替わっていたのだ、必要はたまたまで、評価や価値は偶然であった。

善良さはすでに硬直していたららしい。
そしてしばらく後、全ては溢れた。
全て手のひらには、もう一滴もない。
行ったきり、もう帰ってこない。
それはツールがいっぺんに動かなくなってしまったのだ、が、もちろんそれには理由がある。
理屈は簡単で通電しなくなたのである。
機能を失った構造は不要であり、効力が発生しないというのは、悲痛である。
生きていれば良いこともあり、悪いこともある。というのは実際その通りだ。
言い古された言葉は世界の景色を正確に反映している。
不運ではなく、単純に無節操から変電所を爆破し、枕木を砕いて回ったので、恨むことすら呪うことすら出来ない。ただ嘆くばかり。

おでんをツンツンしなければよかったな。

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