同盟における弁論

私にとって、同盟は最重要の項目になっていたらしい。
同盟は、互いに了解したいくつかの決め事を遵守し、かつ互いの権益を保護する義務に基づく。

けれど、そういった事は明文化されているわけではない。

それは、この同盟の本質的な弱さであるわけだが、一方で、暗黙のうちに了解される事が、不履行になるわけも、するはずもないという意思が明確にあり、それが存在する程度には互いを行き来していたという事でもあるのだ。

私たちは、互いに権益を持ち、その権益に対し多額の投資を行う事で、引き換えに便宜と利益の双方を享受してきた。

これは、双方に起こる現象であり、互いが公開する収入と歳出のバランスにも明記されている。

しかし、そのような投資は、互いが持つ権益や、互いの諸機構に対する投資であり、構造そのもの一切は、私たちに委ねられているわけではなかったのだ。

ここで一つ押さえておきたい事がある。

私は決して、私たちの構造が本質的にそのようなものであったという事を見逃していたり、見つける事ができなかったわけでは全くない。

もちろん、そのように認識していたのにも関わらず、今日の現状を招いている以上、そのような言いぶりは、自己弁護でしかないのは承知している。

だが、認識の正しさが、行動の正しさを保証するものではないという事は明らかである。

私は、主権者として、今日の責任を痛感するものであり、この責任を全うすべく、ここに立っている者である。

私たちは、異なる文化と、異なる法体系、異なる政治システム、異なる立地を有しているにも変わらず、互いの手を取り合ったのであり、それは恩寵であり、それら諸条件の超越的理念を基にする同盟であった。

黄金の錠前も、玉の家々も、崇高な魂さえも、照りつける日差しや、止むことのない風雨によって朽ちていく。

それは道理てあり、私たちもその例外ではない。

私が、私達に望むのは、哀願や怒り任せの暴力ではない、まして互いの構造の持つ支配的部分を過大に評価するような冷笑でもない。

私たちは、少なくともある時期と期間は互いとって、より優良たり得る自覚と自信によって完全に敬意を払っていたし、払われていた。

私は、私たちから、今現在それが完全に失われているわけではない事を確信している。

私は、けして私たちが敗北の途上にいるとは思わない。

時事刻々と変わる状況は、私たちを追い詰めているけれど、それは破滅への断定とは異なる事だ。

多くのことは助けになり、風向きも戻ってくる。

マストが折れたわけでも、帆に穴が空いたわけではない。

一度風を受ければ、私たちに追いつける者なのだ誰一人いない。

私はそう確信している。

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