消えない傷

いくら 謝られても
傷は癒えないし 忘れる事も出来ない
父と母の思い出の写真は笑顔
わたしが産まれてからの写真は両親共に無表情で
3人で写っている写真は数枚しかない
度重なる 両親の喧嘩は 日に日に酷くなる一方
今でも鮮明に覚えてるよ
幼稚園のお迎えを母がしてくれて
家に帰宅して自分の部屋に戻った直後
幼稚園の帽子についてる輪ゴム部分で首絞められた事
母が 笑いながらマッチに火をつけて
わたしのベットを燃やそうとした事
母が包丁を取り出しお風呂場にこもった事
分厚い漫画本をわたしの顔面に投げつけてきた事
わたしが風邪ひくと めんどくさいと不機嫌になり
何故風邪ひいたと怒る事
学校行事は来る事もなく 父だけ
両親の離婚時 わたしはまだ小学二年生
どっちと住みたいか…
父は わたしに お父さんと住みたいと言えと
言ってきたけど
内心 ほんとはね あんな酷い事されても
3人で暮らしたかった 嫌いになれなかったんだよ
だけど 言えなかった…
見知らぬ大人達から質問され
わたしは 父の言う通りに答えてしまい
チクチク心が痛かった
泣きたくても 泣かなかった
泣いちゃいけない気がしたから

父と二人暮らしが始まり
気が付いたら 父は毎晩お酒を飲み
アルコール依存症になっていた
お酒を飲むと 
兎に角 理由をつけては怒ってきた
テーブルに椅子 食事をしていたら
何が気に入らなかったのか
全てのご飯を 勢いよく下に落とし
お前が悪いから全部掃除しろ…と
片付け終わってからは
お前は布団で寝るなと
お前はここで寝ろと玄関で寝ていた
数ある漫画本を重ね 枕かわりにして
ある時は 掃除機のノズルで背中を叩かれ
鼻血出て 泣き叫んでも止めてはくれなく
ご近所から うるさいと怒られ
家の中での出来事を誰も気づいてくれなかった
いや…気付いてたのかもだけど
気付かないふりをしていたのかも…
悪魔 お前はおかしい 母にそっくりだ
ずっとずっと言われてきて
優しい時もあったけど
ずっとずっとこんな日々を過ごしていた

※わたしは 文章を書くのが下手です
ご了承ください


写真から見ても予想はつく
わたしが産まれてから父は母に対して冷たかったから
フォローも無い 愛情も無い 母として 妻として 女として
自信喪失になったと思う
当時はまだ差別も目立っていたから(海外の方です)
尚更心細かったと思う
いつだって 母の表情は悲しげで寂しそうで怒っていて
わたしが 心底邪魔だったんだと思う
口癖は 刑務所でも何処でも行って だった

わたしが産まれる前の2人は
写真を見る限り いつもラブラブで幸せそうで
母の事ばかり写真撮ってたから
産まれて来てごめんなさい…
子供ながら いつもそう心の中で謝ってた。

続く




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