田口富久治先生追悼
田口富久治先生追悼
2022/06/08
はじめに
本日6月8日、田口富久治先生の訃報に接した。共同通信の流した記事。
《田口 富久治氏(たぐち・ふくじ=名古屋大名誉教授、政治学)5月23日午前5時8分、老衰のため愛知県日進市の病院で死去、91歳。秋田市出身。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻道代(みちよ)さん。東京大を卒業後、明治大、名古屋大、立命館大などで教授を務めた。マルクス主義の立場から政治を分析。著書に「社会集団の政治機能」「現代資本主義国家」など。》
田口先生は、東大法学部で堀豊彦の門下であり、丸山真男、辻清明の教えを受けた方であるが、彼らのいわゆる「近代政治学」とは異なる「マルクス主義政治学」の構築を目指した人である。それは、先生の回想記などでも触れられていることである。1990年代初めまでは日本共産党のイデオローグのひとりである。
あらかじめ述べるならば、わたしは、当時の日本共産党の方針は忌避したが、一方、編集者としては、研究者の政治イデオロギーがどうであるかにかかわらず、その研究者の研究業績が学術的に価値があると判断されるものは、積極的に取り上げる編集方針で臨んでいたし、それを貫いてきたつもりである。
1 『デモクラシーと抵抗権』
わたしが、田口先生と最初に接触したのは、1988年9月に東京大学出版会から刊行された堀豊彦著『デモクラシーと抵抗権』の企画に際してであった。堀先生の逝去は1986年4月9日。その後、堀門下で堀著作集の刊行の計画が進められたらしい。1987年、当時名古屋大学教授であった田口富久治先生と早稲田大学教授であった藤原保信先生から、堀著作集出版の打診が東京大学出版会にあり、政治学部門の担当者であったわたしがその窓口を務めることになり、お二人と東大の山上会議所でお会いして、企画内容を具体的にお聞きした。全3巻の構成。これが出版価値があるかどうか。
当時、現代政治学叢書や政治学講座や講座国際政治の大型企画を進めていたわたしは、とても全3巻の企画を担う余裕はなかったが、『政治学原論』の著書で堀先生にお世話になっていた東京大学出版会として、即座に断るわけにはいかないと考えた。
そう考え、当時、出版企画をもって接触していた、堀門下の先生方に相談した。升味準之輔、京極純一、岡義達、永井陽之助の諸先生方である。意外や意外、堀著作集の出版企画を全面否定する方はいらっしゃらなかったが、どなたもポジティブな姿勢を示してはくれない。どうなっているのか、と思った。
その頃、親しくさせていただいた斎藤眞先生に、この堀著作集の企画について話題にしたところ、東京大学出版会のことに配慮していただいたのだと思うが、堀著作集全3巻はやめた方がいい、ただし、一巻本ならば出版価値がある、という明確な判断が示された。
これを金言として、わたしは田口・藤原先生に、一冊本ならば引き受ける用意があるが、ただし、関係者に事前拠金を求める方式をとってほしいと要望した。お二人ないし関係者の間でどのような相談があったかはわからないが、結果的には、わたしの要望にそって「堀豊彦先生著作編集委員会」が組織され、予定以上の拠金が集まり、堀豊彦著『デモクラシーと抵抗権』は1988年に刊行された。実務担当は白崎孝造である。
本書には、吉野作造の思い出、また日本政治学会の成立などのエッセイも収録され、貴重な著書となったと思う。また、同書では無記名であるが、解題は藤原保信、あとがきは田口富久治の手になる。
なお、同書の刊行の縁もあり、堀豊彦先生夫人の甲子様、ご子息の孝彦様との交流が生れたことも記録しておく。
2 『戦後日本政治学史』
その後、田口先生とは直接的な接触はなかったが、1990年代の日本共産党による丸山真男批判の経緯で離党した田口先生から、『戦後日本政治学史』の企画についての打診があった。同書は2001年の刊行であるから、打診があったのは1998〜99年だったと思う。
それ以前に、石田雄著『日本の社会科学』『社会科学再考』、大嶽秀夫著『戦後政治と政治学』『高度成長期の政治学』を手がけていたわたしは、この田口先生からの提案企画に応えるべきだと思った。事前の手紙と電話の交渉を経て、わたしが先生の立命館大学の研究室に訪れたのは1999年の暮れだったと思う。
訪れたのは17時頃。先生は「大学のレストランでと思ったが、閉まってしまうので」とおっしゃって、生協で買ってきたという缶ビールのロング缶4〜5本を研究室に用意されていた。ツマミはなかった。
既に目次をいただいていたわたしが、この企画について要望したのは次の二つ。
① 「戦後日本政治学史」というタイトルにする以上、東大だけでなく、他の大学で展開された政治学についても対象にしてほしい。
② ほかならぬ(田口)先生の著作であるので、マルクス主義政治学についても取り入れてほしい。
この2点である。
これに対して、①については、既に早稲田大学の内田満先生による同志社〜早稲田の政治学についての研究があり、それを越えるものは難しいが、努力する。そして、②に対しては、言う通りであるが、自分の企画の構想の中でマルクス主義政治学を取り入れるのは困難である。努力はする。
この田口先生の率直な答えを受けて、わたしは、東京大学出版会の編集企画会議にかけて、了承を得た。なお、先生の用意された缶ビールはほとんどわたしが飲み、危うく東京に帰る新幹線に乗り遅れかねないほど、先生と親しく話しをしたことも記録しておこう。
このような経緯を経て届けられた原稿は、遺憾ながら、上記の①②の要望を満たすものではなかった。しかし、それにもかかわらず、出版に値する内容であると判断した。実は、この間、わたしは、東京大学出版会の編集局長に就任し、全分野の刊行物の責任を持つべき立場となり、個々の企画の内容を精査する余裕を持つことが出来なくなっていた。
幸い、政治学分野の一端は優秀な編集者である奥田修一が担うことになり、田口先生の原稿も彼が担当することになった。彼は、大部の原稿の不備を先生と密接な連絡をとって整え、上梓に至った次第である。ゲラで不備や間違いを指摘すると、先生は、Danke! と書き添えてきたという。
その刊行後の評価については、読者に判断に委ねる。
おわりに
一言述べておきたいのは、『戦後日本政治学史』の後の次著の企画を奥田に持ち込んだことである。少なくとも、東京大学出版会での『戦後日本政治学史』の刊行に田口先生は満足した証左であろうと思う。この次著の企画は、奥田から東京大学出版会では出すべきではない、という判断が示され、わたしもそれに同意した。
以上をもって、わたしと田口先生との付き合いは終了したが、先生のいつもの変わらぬ率直な姿勢に対して、わたしは、たいへんに好感を抱いている。
そして
唯物論者である先生に「ご冥福をお祈りします」と言うことが適切かどうかはわからないので、次のように言う。
平安あれ!