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思いやる気持ちを妨げているもの

#NVC

オンラインサロンで開催しているNVCの抄読会も昨夜で9回目。
ゆっくりじっくり、皮膚の内側に染み込ませるように味わっています。

昨夜は、第2章の終盤。50~53ページを読みました。

「あまりにも自分勝手なところがあなたの問題だ」「彼女は怠惰だ」「彼らは偏見に満ちている」「それは不適切だ」「彼の方が優秀だ」「これは組織の方針だから仕方がない」「管理職として部下にそれをやらせるのが役割だ」「彼はああいうことをしたのだから罰を受けるのに値する」

こうしたフレーズは、いずれも道徳観や自己の価値観を持ち出して、相手を非難。侮蔑、批判、比較によって相手を裁くものです。

そこには、強い決めつけや、あたかも他の選択肢がないことを前提に、自分の責任を回避する姿勢が見えてきます。

そしてこのような「思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション」は、ヒエラルキーあるいは支配構造がある社会から生まれ、そういう社会を支えるために使われる。と説いています。つまり、このようなコミュニケーションによって、私たちは、「従順な奴隷」に組み込まれていく・・・と。


考えてみれば、家庭でも職場でも、「それは社会の常識」であるがごとく断じたり、「職場のルール」として、その意味を深めることなく思考停止に陥っていることがいかに多いことか。

「普通である」ことを良しとし、その普通から零れ落ちることを恐れるがゆえに、いつしか「普通教」の信者になり、「それはおかしい」「そう考えるのは普通じゃない」と決めつけて、自分や相手の感情や、自分や相手が本当に何を求めているのかには目を向けずに、従順な奴隷になる。

それによって、自分の思考や感情、行動の責任は、ほかでもない自分自身にあるのだという自覚が曖昧になって、自律的に生きる在り方からは遠ざかっていく。


自分の感情や自分が求めていることを表現しなくても、きっと察してくれるだろうという、日本人特有の「甘え」も影響しているのかも知れません。


さて、これを読んだ今、私たちは何を始めればよいのでしょうか?

メンバーの皆さんは何を望むのでしょうか。


ひとつひとつ、自分に、自分たちに問いかけながらさらに読み進めていきたいと思います。






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