芸術と潜在意識 1:龍安寺の石庭を解明する①

*この連載は、2017年~2018年にかけて、ウェブスペース En-Sophに掲載された『芸術とスタンダール症候群』を改題、転載したものです。

『幸福否定』と『芸術』と『スタンダール症候群』

久しぶりの投稿になります。
2012年から2014年まで【幸福否定の研究】を連載していた渡辺です。

あれから数年が経過し、自身の認識に様々な更新があったため、また新しく連載をはじめようと思いたちました。『スタンダール症候群』という奇妙な現象の研究を踏まえながら、「芸術の本質とは何か?」を探る試みです。

スタンダール・シンドローム(英: The Stendhal Syndrome)

フランスの作家スタンダールが、1817年に初めてイタリアへ旅行した時にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の内部の17世紀のフレスコ画を見上げていた時に、突然眩暈と動揺に襲われしばらく呆然としてしまったということから、1989年、イタリアの心理学者グラツィエラ・マゲリーニが同様の症状を呈した外国人観光客の例を数多く挙げてこのように命名したもの。彼女によると、崇高な充実感と同時に強い圧迫感が見られたという。
原因は解明されていない。憧れのイタリア美術の精髄を目の当たりにして、その作品の中に吸い込まれるような経験をするのだという説もあるが、イタリアのローマやフィレンツェ、ミラノのような都市は見上げるような人を圧倒する美術作品、建築が多く、長く上を見上げて眺め続ける姿勢により、眩暈や吐き気、失神が引き起こされるという説もある。このような症状が起きるのは、殆どが西ヨーロッパの国々からの観光客で、イタリア人にはほとんどない。またアメリカ、日本からの観光客にもこのような症状が出ることはほとんどない。
(以上、Wikipediaより)

以前から読んでくださっている方はご存知かと思いますが、現在、私は静岡市で、東洋医学の理論を基盤とした整体の施術院を開いています。いわゆる整体=体の不調を直すこと、だけではなく、パーソナリティ障害や統合失調症など、自滅的な傾向の強い、既存医療では十分に対処できない心因性疾患も施術しています。

15年程前から、そのような手技のみでは対応できない患者さんのための、よりふさわしい方法を探していました。そして2006年、『幸福否定』という独自の心理学理論を提唱し、治療法までも開発した心理療法家の笠原敏雄先生と出会い、人間観が変わるほどの衝撃を受けました。

2年間にわたる【幸福否定の研究】は、わたしが実際に学んだ笠原先生の幸福否定理論と心理療法の有効性を、心理療法の追試結果などを踏まえて紹介したものです。

『幸福否定』の研究は、患者さんの症状を改善させるという職業的な目的とは別に、私自身にとっても自己探求(心理療法を自己診断的に行ってみる、など)のきっかけを与えました。そして、探求の試みを続けるなかで、「芸術の本質とは何か?」という問いが、自分にとって非常に大きなテーマであることが徐々にはっきりとしてきたのです。

『スタンダール症候群』は、既に笠原先生が『幸福否定』の例として解説していますが、私にとっても、上記のような問いに取り組む上で非常に重要な指標であり、核となるものです。

今回の連載では、それらを手がかりに、芸術の本質について考えたいと思います。


連載の流れと狙い

芸術の本質について研究をはじめたのは2011年くらいからで、まだまだスタートラインに立ったばかりです。専門の研究機関に属しているような人間ではないため、研究内容に対する反応を得づらい状況もあります。今回の連載で私の分析を読まれた方からなにかしらフィードバックでも頂ければ幸いですし、それによって研究も進むのではないかと思っています。

あくまで暫定的なものですが、連載全体の流れは下記のようになります(今回は、1の部分)。

1.現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2.スタンダール症候群の説明
3.スタンダール症候群が出る作品
4.スタンダール症候群が出やすい条件
5.芸術の本質とは何か?


予定通り進むかどうかはわかりませんが、よろしくお願い致します。


龍安寺石庭の謎

Φ(ファイ)は「数」ではなく「機能」である
/ ジョン・アンソニー・ウエスト『天空の蛇』


前項でも述べた通り、2011年頃から「芸術とは何か?」という問いに取り組んでいた私は、研究の過程で、芸術的行為を定義するいくつかの条件に注目するようになりました。詳細は次回以降に回しますが、そのうちの一つにあたる、「数の機能的な側面」について調べるため、昨年夏以来、エジプトのピラミッドや古代遺跡の本を数多く読んでいました(古代遺跡は装飾が少なくシンプルな為、長さや高さ、距離など比率に関する事に注目する事が多くなります)。

そして、数の機能的な側面という点で、古代遺跡と同時に、日本を代表する建築物である龍安寺の石庭にも注目するようになりました。

昔から、石と石の距離のみが提示されているだけにも関わらず、深遠な魅力があり、何かの本質を捉えているのではないか?と興味はあったのです。(注1)しかし、比率などは過去に色々な人が測っただろうし、また、石のどこを基準にして測ればいいのかわからない、さらに、そもそも実寸がわからないという事で、これまで特に具体的な比率分析を試みた事はありませんでした。

しかし昨年、龍安寺に関して調べている最中、『謎深き庭 龍安寺石庭:十五の石をめぐる五十五の推理』/細野透著(以下、『五十五の推理』)という本が出ているのを知り、読んでみたところ、私が関心を持つ古代建築物とも共通する芸術の普遍的な要素があるのではないか、ということに気付いたのです。

連載はまず、この『龍安寺の石庭』を分析するところからはじめたいと思います。


底辺:高さ≒1:2の推測

『五十五の推理』において、建築&住宅ジャーナリストの細野氏は、日本で飛鳥時代から使われてきた曲尺という道具に注目します。底辺:高さ≒1:2のL字型の直角の物差し(ピタゴラスの定理より 1:2:√5 に極めて近い直角三角形ができる)から、龍安寺の石庭の石の配置の構図に、この物差しの比率が使われたのではないか?と、推測したのです。


画像1


(図版引用:『謎深き庭 龍安寺石庭 十五の石をめぐる五十五の推理』/細野透著p40~41)

私自身は、この図を見たとき、細野氏の説が合っているような物足りないような、中途半端な感覚がありました。何か本質的なものに触れてはいるかもしれないが、龍安寺の石庭の本質を解き明かしたとまでは言えないと感じたのです。

「確かにおさまりはいいが、直角三角形にこだわらなければ、少し角度をずらしても成り立ってしまうのではないか?」

一方で、龍安寺の石庭の実測図による寸法では、直角三角形を基準とした場合、石庭が1:2:√5の直角三角形に綺麗に3分割されるのは事実です。さらに調べるうち、『龍安寺 枯山水の海(日本の庭園美)』(監修:井上靖、千宗室/撮影:西川孟)という本で、野村勘治氏による実測図がある事を知ることができました。

さっそく、何か他の基準がないかどうか、自分で本を取り寄せて比率を測ってみる事にしました。

注1:私事ですが、6歳から13歳まで大阪に住んでいたこともあり、子供の頃でも龍安寺には数回行っています。はじめて訪れたのは小学生の低学年の頃だったと思いますが、子供心にも、異様で深遠な感じがしたのを覚えています。2011年以降は4回訪れています。

文:渡辺 俊介 校正/構成/編集:東間嶺@Hainu_Vele)




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