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起業したきっかけ



心をリセットしてくれる祖父母のお墓参りの景色

 私は、もともと会計事務所の2代目として事務所を承継していく予定でした。
家族での経営では遠慮なく言い合うことが続き、ある日、メンタルに弓矢が刺さった私は、事務所にいられなくなり、退職しました。

         メンタルの回復には1年かかりました。

そのメンタルがやられている時に、妊娠をしました。
「ちょうどよかったやん」と言う友人もいました。
しかし、私としては、何もちょうどよいことはないと当時は思っていました。そんな気持ちの切り替えをうまくはできないし、どうせなら、メンタルが安定している状態で妊娠したかったと思っていたからです。

あとから、妊娠すると、自分が受けたメンタルダメージばかりにとどまっていることもできなかったり、産まれてくる子どもの出産準備などに気を取られたりしたので、ちょうどよかったのかもしれないと思うようになりました。

ちょうど、妊娠2か月頃にコロナが日本に入ってきました。
外出を控えるように言われ、外出時には皆がマスクを必ずするようになり、毎日テレビやネットに流れてくる感染者数や死亡者数に、これからどうなるのだろうと不安でした。

産院でのマタニティヨガも1回受けた後は中止で再開の目途は立たず、
立ち合い出産もなくなったので健診に行くたびに再会の目途について尋ねていました。
産前のセミナーもすべてなくなりました。

リアルのママ友を作ることもできず、ツイッターで全国のママ友と繋がり、不安を共有していました。
先に出産となったママ友から「出産時にもマスクだった」という情報を聞いて、うちはどうなのかと産院で聞いてみたら、「今のところ周りがマスクをするので妊婦さんはしなくて大丈夫です」と言われ、ホッとしたのを覚えています。

妊婦はコロナに感染しない・しにくいというニュースもありました。
しかし、妊婦は自分と子どものことを想って、他人と接しないように注意しているだけじゃないの?と疑問を持っていました。

志村けんさん、岡江久美子さんの死亡ニュースは怖かったです。

もし、自分がコロナに感染し、数日で亡くなってしまったら?

これが起業のきっかけとなりました。
コロナにはいつ羅漢するかわからない。
そうであれば、何か元気なうちに子どもに残せるものは??

私が子どもに残せるものとして考えたのは、「書くこと」でした。
おそらく、私自身、小さい頃から徳島に離れて住む祖父母と
よく手紙を送りあってきたことが経験としてあったからだと思います。
すでに亡くなってしまった祖父母からの手紙は大切に保管しています。

けれども、手紙のデメリットとして、どこかに行ってしまいやすいことがあります。
そこで、子どものために主にママが記入できるノートが欲しいと思いました。
そんなノートを探しに、大きな本屋さんや雑貨屋さんなどに行ってみたのですが、ちょうどよいものがありませんでした。

母子手帳では伝えたい言葉を書く欄はあまりないし、育児日記は別で書いていたし日記とも違う。
どちらかというと、その子が強く生きていってくれるよう、子どものルーツに関わることを書きたい。

ちょうどよいノートがないのなら、自分でそんなノートを作ろうと思いました。

でも、そんなノートのニーズがあるかわからない。

最初にノートを作りたいという話をしたのは夫でした。
「いいんちゃう?」
と言ってくれました。
でも、他人にそのノートの話をするようになるまでには1年かかりました。
ノートのニーズがわからないのと、乳児期でバタバタしていたからです。

初めて、他人に話したのは、2021年年末、前職の時に入っていた大阪府中小企業家同友会の指針セミナー同期の女性たちとの女子会でした。
「なみちゃん、いいやん!やりー!応援してるわ!」
と言ってくれました。
しかし、やっぱりニーズはわからないし、他人に話すとアイデアを取られてしまうのではないかという不安もあり、行動を起こし始めるのには、また1年かかりました。

2022年冬、以前とある会でお会いしてfacebookで繋がっていた女性起業家さんにコンタクトを取りました。
そこで、アイデアを取られないようにするために取られていた商標登録の話をお聞きし、大阪府よろず支援拠点を紹介されたのです。

そうやって、ようやく、私は動き出すことができました。

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