何かこう、離れて行った人達にありがとうと言いたいというか気づきが多いというか。


お疲れ様です、ゆーがです。

ふと思ったことを書くだけの1人語り回です。
誰得だと言われればそれまでなんですが。

ふと思ったのでこれは記事にしておこうという発端です。

多分内容はほとんど無いです。
あ、別に病んでるわけじゃないです平常運転です。
だけど重い内容があるから見ないことをおすすめします。



多分自分は誰よりも人が離れていく性質を持ってるみたいなんだけど幼稚園児の時はそこそこ友達は居た…はず。

小〜中学生の頃は虐められててやり返したら友達がいなくなった。
家庭が崩壊して引っ越した人もいた。
その節はごめんなさい。

高校は友達とまではいかないけど、仲良いかもしれないみたいな人が多かった気がする。
広く浅く、そんな言葉が合う。
学校では仲良いけど普段は別に遊んだりしない、みたいな。

バンドを始めてからも、ファンが増えたり減ったり。
当たり前か。そういう世界だもの。
〇〇の方が一緒にいて楽しい、ライブつまんない、〇〇の方がかっこいい。
そんなん知っとるわ。

大学生だった頃はなんとも言えない。
19歳の時にずっと仲が良かった地元の人達にお前めんどくさいと言われて縁を切られた。
理由は奢りだからと言われて行った焼肉でオレがお金を出さなかったから。
お前は出すべきだった、わかる?と言われた。

20歳の時には実の父親を自ら言の葉で切った。
作っただけで父親と思うなと当時住んでいたマンションの一室で大声で言った。
多分、人生で1番誰かに罵声を浴びせた瞬間だったと思う。
その数ヶ月後、両親の離婚。
母親について行った。
その年の10月だったか、父親が亡くなった。
葬式には行かなかった。
お世辞にも父親と呼べる人では無かったし二度と会いたくなかったから。
薄情者と言われても仕方ない、そう思いたければ思って欲しいオレはこういう商品です。
逆に自分と同じ境遇を生きて、この父親の葬式に行く人間がいるなら紹介して欲しいくらいだ。

21歳の時。
コンカフェにハマって仙台某所に通ってた。
推しの子ができて毎日が楽しかったけど、ある日推し変した。
そしたら元推しの子からDMがきた。
そんな人だと思わなかった、私たちの関係が悪くなったらどうするんだと。
結果その子も数ヵ月後にはいなくなり推しと言った子もいなくなった。
理由はよく覚えてないけど店側と揉めたんじゃなかったっけ。
切り捨てられるのは許されるのに切り捨てるのは許されないらしい、不条理。

24歳の年だったか。
初めて彼女が出来た、そりゃあもう嬉しかった。
だけど3日でフラれた。三日坊主って言葉は実在した。
元カレと寄りが戻ったから別れたい、そりゃよかったねお幸せに。

29歳になって、自分の性格の悪さが理由で飲み仲間がいなくなった。
その後は彼女も。
この話は散々してきたからとりあえずいいだろう。
もちろん後悔はしていない。
自分の性格のせいだし自分はその人にとって必要がなくなった、それだけの事。

こうして見ると自分は失うことに慣れてしまったのかもしれないし去るものを追わないとも捉えられる。
一人っ子あるあるとも言える。

母親からは友達を大事にしなさいと教わったことは実はない。
自分の時間は有意義に過ごせと教わった。

自分で自分のことを理解している。
でもその分、得られたものがあまりにもデカすぎた。
自由、時間、趣味、環境、最高な推し。

傍から見ればボッチが嘆いてるだけだろう、そうですその通りです。
お酒やコーヒーに時間を費やしても誰にも文句を言われない、休みの日に昼に起きてポケモンしてても何も言われない、彼女という存在より推しのことの時間の方が有意義なことにも気づけた。

昔言われたことがある。
自分のファンは大事だがアンチはもっと大事だと。

むしろ離れてくれてありがとうだったのかもしれない。
言ってくれたから気づけたのかもしれない。
住めば都、慣れれば絶景も殺風景。
結果、自分は恋愛なんかせず推しを愛でてたまに気の知れた方々と燥ぐのが合ってるんだと。

太陽だって近づきすぎたら焼け死ぬからね。
そんな英雄がいた気がする。

近づきすぎたら離れる、去るものは追わない。
これは今まで離れていった人達が教えてくれた事だ。
間違ってるかもしれないけど自分にとっては正解。

何かを得るためには何かを捨てなきゃならない。
要はその人たちが何かを得たいからオレを捨てただけ。
簡単なことだ。

…うーん。


研究者ってこんな気持ちなんだろうなぁと夜に思い耽る。
でもこれだけは間違いなく言える。
改めて、オレから離れて行った人たちへ。
ごめんなさい、そしてありがとう。


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