丁度良く、それでいてなんでもない日

「今からお手伝い、頼めるかな」
 縁側から足を投げ出し、干した洗濯物を眺めていた俺に、神様がそう尋ねた。
「いいよ」
 俺の答えがその三文字であることを分かっていたはずなのに、神様は「ありがとう」と律儀にお礼を言う。
 一応、この村の決まり事を守っているのだろう。相手がやりたくないことを強要しない、自分がしてほしいことには了承を取る。それは神様も例外ではなく。
 ただ、神様は神様なので、俺がそれを聞いてどうするかは初めから分かっているのだ。何でも知っていて、これから何が起きるのかも全部お見通し。だからこのやり取りにはあまり意味が無いような気がするのだけど、意味が無くてもやることに意味があるらしい。
「これを、"門番さん"に渡してほしいんだ」
 手渡されたのは茶封筒だった。切手は貼られていないし、宛名も書かれていない無地の封筒。厚みはなく、入っていても精々手紙が一枚くらいだろうか。封はされていないし、少し草臥れているところを見るに、何度も繰り返し使っているようだった。
「他に何かやることあったらついでにやってくるけど」
「帰りに、"川釣りさん"のところに寄ってくるといいよ」
「川釣りさんの手伝い?」
「ううん、今日は手伝いじゃないから、長くはかからないよ」
 川釣りさんの手伝いは時間のかかることが多い。戻るの遅くなるかも、という俺の考えを見透かしたような先回りに、全部見えてるんだろうなあと思う。神様は全てを知っている。この先に起こることも。それがこの村の神様というものだから。
「門番さんは場所分かるけど、川釣りさんは今日家にいるの」
「今はいないけど、君が戻るときには家にいるよ」
 神様が目を細める。川釣りさんが帰宅する時間も、俺がいつ門番さんのところから戻るかも、このひとはもう当たり前のように分かっているのだ。
「川釣りさんの方は、気が向いたらでいいからね」
「うん」
 俺は自分の肩掛け鞄に封筒を入れ、縁側に置きっぱなしだったサンダルを履いた。そんなに体を動かす手伝いではないから、スニーカーでなくても良さそうだ。
 それに、もしスニーカーを履いた方が良ければ、神様がそう言うはずだ。振り返り、日陰の中にいる神様の顔を見る。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 神様がそう言うなら、大丈夫。この村で都合の悪いことは何も起きない。万事が、まるくきれいに収まるように出来ている。
 俺は扉の無い表門から屋敷を出て、当てのない散歩のような速度で村の出入口へと向かった。



 思ったとおり、門番さんは村の出入口に座っていた。
 村の唯一の出入り口には、目印代わりの柱が二本立っている。片方の柱の傍には小さな小屋があって、門番さんはそこに住んでいるらしいけど、基本的にはずっと出入口の柱の下に座って村の外を見ていた。
 村と外を繋ぐ出入口は、森を掻き分けたような一本道になっている。車一台なら余裕で通れる幅ではあるが、当然、コンクリートで舗装されているわけでもない。この夏の初めに、"行商さん"のトラックに乗せてもらって、この道を上ったことを思い出す。がたがたと揺れる車体に五分もせず酔ってしまってしまい、行商さんに心配をかけてしまった。
 俺はもう慣れちまってたからなあと、運転の粗さを詫びていた行商さん以外に、この道を通る人はほとんどいない。村の人が外に行くことも時々はあるけれど。
 閉塞的、というのだろうか。村の外との行き来が禁じられているわけでもないし、外の人が来ることをタブー視されているわけでもないが。外の人間にとって、ここはどうにも居心地の悪い場所らしい。俺の両親も、俺が夏休みの間だけここにいることを了承はしてくれたけれど、話題としてはあまり触れたがらなかった。
 村の出入口もただの柱二本でしかなく、そこに門番さんがいつも一人で座っているだけ。入ろうと思えば誰だって入れそうではある。門番さんの目がちょっと気になるくらいで、実際に彼が誰か呼び止めているところを見たことはない。
 門番さんは無口で、俺が村に来たときも、一緒に来た行商さんが一方的に挨拶しただけで何も言わなかった。余所者であるはずの俺のことも、気にかけるような素振りすらなかった。
「門番さん、こんにちは」
 柱の上を覆う程に生い茂った木の葉が、屋根のように陰を作っている。その中にいる門番さんは俺の声に気付くと、何も言わずに目線だけを寄越した。眉間に力の入った目付きは、ともすれば怒っているようにも見える。
 神様は「そんなことないよ」とクスクス笑っていたが、正直なところ、少し怖いのが本音だった。
 行商さんよりもずっと若いように見えるが、強面で無口な男の人というだけで、近寄りがたく感じてしまうのは仕方ないことだと思う。背も高く、しっかり鍛えたような体格もしていて、無断で村に立ち入ろうとする不届き者がいれば投げ飛ばす、というような雰囲気の人なのだ。しかもそんな人が、常に猟銃を背負っているのだから尚更である。それが人に向けられるものではないと分かっていても。
 ほとんどが朗らかで陽気なこの村の人たちの中で、門番さんは自分から声を掛けにくい数少ない人達の内の一人だった。
「これ、えっと、フジノカ様からです」
 フジノカというのは、神様の名だ。村の人は神様のことを好きなように呼んでいるから、一番間違いなく伝わる名前を口にしてみる。
 門番さんは俺の差し出した封筒を受け取りながら、「そうか」と短い言葉を発した。
 そのまますぐに封筒を開け、中から一枚の手紙を取り出す。何が書いてあるのか少し気になったけど、勿論覗き込むようなことはしなかった。
 門番さんから神様宛てに、お返しのお手紙があるかもしれない。もしくは伝言か何か、返事を持って帰ることになるかも。そう思ってその場に立ったまま、門番さんが手紙を読み終えるのを待っていた。
「この手紙、読んだか」
「えっ、いや、読んでないです、けど」
 責めるような声色ではなかったが、急に話しかけられたことに驚いて言葉に詰まる。何だか後ろめたいことがあるような言い方になってしまった。
「だろうな」
 門番さんは片側の口元を引き上げた。たぶん笑っているのだろう。
 それから手紙を半分に折り、文面の後半が読めるように俺の前に差し出した。
『手伝いさんは君のことを少し近寄りがたいと思っているようだから、仲良くね』
 そう締め括られた手紙には、俺のことについて、直接言われたら気恥ずかしいような文面が何行にも渡って綴られていた。どれだけ誠実に手伝いをしてくれるかだとか、例えば人への手紙を盗み見るようなことはしないよ、なんてことも。
「アイツがそう言うんなら、そうなんだろ」
 門番さんはフンと鼻を鳴らして手紙を封筒に戻し、また村の外を見た。
「一応、何か、お返事とか、伝言とか、ありますか」
 手紙の前半に何が書いてあるかは分からない。少なくとも、俺のことを伝えるためだけの手紙ではないだろう。念のため、返事に関して手伝えることがあるかどうか聞いてみる。
 門番さんの答えは素っ気無く、シンプルなものだった。
「無い。俺が読んだことくらい、分かるだろ」
 返事が無くても。そう言外に含んだ言い方だった。
 確かに、神様なら、自分の出した手紙が無事に届けられ、読んでもらえたことくらい、分かっていても不思議ではない。そう言われてみれば、そうである。
「それじゃ」
 一礼をして、元来た道に戻ろうとする。手伝うことがないのであれば、ここにいる意味も特に無い。この村における俺の役割は、手を貸してほしいことを手伝うことであって、望まれていないお節介を焼くことではなかった。
「誰がこの道を通るのか、書いてあるだけだ」
 一瞬、誰に対する言葉なのか分からなかった。口にしたのは門番さんで、この場所にいるのは俺だけ。独り言でなければ、必然的に俺に向けられたことになる。
「手紙に、ですか」
 会話を続けていいのか迷ったが、ここで無視していくというのも、それはそれで無愛想な気がした。
「そうだ」
 意外にも、門番さんは話を続けてくれた。
「いつ、誰が通るのか、手紙に書かれている。俺はそれが全部的中するのを、ここで確かめている」
「それは……」
「分かってんなら、見張りをする意味があるのかって思うだろ」
 門番さんはまた口元を片方だけ吊り上げた。面白くて笑っているのか、それとも違う意図があるのか、俺にはよく分からなかった。
「誰かがこの場所を見張って、カミサマのご神託の通りだってことを確認する必要があるんだろうよ」
 はっ、と、皮肉っぽいような、自嘲するかのような、それでいてそのどれでもないような小さな笑い声と共に息を吐く。門番さんの言うカミサマという四文字は、他の村の人が神様を呼ぶときの音とは違うように感じられた。
 神様に対する距離感というか、敬意の度合いは、村人によってかなり差がある。恭しく傅くような態度の人もいれば、近所の子供にするように親しげに接する人もいる。それをお互いに非難するようなことはない。
 神様は、自分がどんな風に思われていようともあまり気にしていないようだった。呼び方も接し方も其々の好きにさせていたし、神様がそういうスタンスでいるのに、態々他の人の態度を改めさせようという人もいなかった。
 この村の人は、基本的に自分の好きなように生きることが第一優先事項だ。自分勝手に生きていると言えば聞こえが悪いけど、それでも何か大きな問題が起きることもなく、村全体で帳尻が合うように上手く機能している。
 だから例え、村の真ん中で神様の悪口を叫んだとしても、誰も気には留めない。神様のことが大好きな村人がそれを聞いたとしても、精々「何かに必要なことなんだろうなあ」と思われるだけだろう。
 それでも、この村の大多数の人は、少なくとも俺が話したことのある人で、心の底から神様を厭うような人は一人もいなかった。
 門番さんはこんな感じなんだなあ。いつも遠目から見ていただけのこの人のことを、少しだけ知れたような気がした。
「門番さんが寝てるときはどうしてるんですか」
「家で寝ていようが、この道を通るのが子狸だろうが、俺には分かる」
 門番さんはどこか誇らしげに言った。そこには、この村の人が自分の好きなことを語るときと同じような響きがあった。
 神様ではない俺にも、何となく分かるような気がする。門番さんもきっと、ここにいたくているのだろう。そして自分がここにいることに、ちゃんと意味があることを自覚しているのだろうと。どんな意味があるのかは、神様ではない俺には分からないけれど。
 何となく近寄りがたかった門番さんのことが、少しだけ分かったような、それでいてやっぱりよく分からないような、そんな気分になる。
 分かるような、分からないような。優しいような、そうでもないような。それはこの村にいる他の人に対する印象と同じで、それがまた、俺にとっては何故か居心地の良いものだった。



 帰り道、川釣りさんの家に寄ると、丁度川釣りさんが帰宅のために玄関の扉を開ける瞬間に出くわした。タイミングが良すぎる気もするが、この村ではよくあることだ。
 神様に寄るように言われた旨を説明すると、川釣りさんは「魚が多めに獲れたから持っていけ」と小さなバケツの中に魚を分けてくれた。透明な水の中で、二匹の魚がゆらゆらと揺られていた。
 今日は焼き魚かなと思いながら、家に戻る。神様の住む家は、この一夏だけ俺の帰る家でもあった。
 見えてきた表門から、村の人が一人出てくる。少し遅れて神様も門から出てきた。村の人が俺に気付いて、小さく会釈をする。俺も慌てて頭を下げた。
 それから村の人は神様に「それでは、また」と、穏やかな、それでいてすっきりしたような顔付きで言うと、ゆっくりと立ち去っていった。
「丁度良かったでしょう」
 神様が俺に向かって、何でもないような顔で言う。分かり過ぎているからか、神様は時々抽象的な、もっと言えばふわっとした言動になることがあった。何でも知っているくせに、変なところでぼんやりしているのだ。それでも神様の言うことに間違いがあったことが無いのだから、流石だと思う。
「どれのことを言ってるのか分かんないよ」
 俺が川魚を見せる前に、神様は「今日は塩焼きにしようか」と言って笑った。

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