見出し画像

白痴

※この文章には「発達障害」という言葉が出てきますが、決してそういった方々の非難目的で作成しているものではありません。


 幼少の頃の話。

 小学校6年生の冬、親の再婚に伴い九州の地方都市から郡部の田舎へ引っ越した。
中途半端な時期に転校したので馴染めるか不安しかなかったが、思いの外、周囲の人々も優しくしてくれて、すぐに遊び友達も出来た。


 転校してある程度経ってから、クラスの中で全く馴染めていない子の存在に気づいた。
永島(仮名)というその男子生徒は、今で言うコミュ障気味な子だった。
 話しかけられても聞き取れないくらいの声量でしか返してこないし、
国語の授業などで教科書を読まないといけない時でも聞こえない位の声でしか読めないような感じだった。
 
 担任が深く追求しなかったところを見ると、発達障害の類を持っていたのかもしれないが、直接聞いた事がないので分からない。
だが、いじめられていた訳でもなく、そこにいると言われなければ忘れてしまいそうな、存在感の薄い少年だった。

 それまで私がどちらかと言えばいじめられっ子寄りのスタンスだったのもあるが、
どうもその永島という男子生徒の、教室の隅で縮こまっている姿を見ると、転校する前の自分と重ねて見てしまったのか、私は少しづつ永島にコミュニケーションを取るよう努めた。

 初めは「うん」とか、首肯するだけの返ししかしてくれなかったが、友達が遊んでいる輪の中に半ば無理くり引き入れたりしている内に、永島はよく笑うようになった。
 少しづつ口数も増えていき、移動教室の際には自分から誘ってくるようにもなった。
担任教師からも「あなたのおかげで永島くんが元気になってくれた」と褒められたりもした。

 決して偽善のつもりではなかったが、それまでの自分の陰キャぶりが少し解消されたような錯覚をしていたのだろう、
一人のクラスメートの心を変えられたような気がして、少し誇らしかった。


 程なくして小学校を卒業し、中学校へ上がった。
永島とは違うクラスになったのだが、進級して数カ月後、再婚相手の父親一家との家庭内トラブルがあり、私の家は大いに荒れた。
 少なからず私も巻き込まれ、時には通学が出来ない時もあったのだが、
最も堪えたのは、両隣に住む同じ中学に通っていた同級生と2年年上の全く絡んだことがない先輩から、校内にうちの家庭内トラブルを触れ回られた事だった。

 住んだ経験がある方なら分かると思うが、田舎というのは噂が広まるのが恐ろしく早く、それに尾ひれ背びれが付いて広まるのも早い。
そしてそんなどうでもいい話題をいつまでも語りたがる人が多い。
全ての田舎の地域性がそうな訳では無いだろうが、少なくとも私が住んでいた地域はそんな所で、そんなことくらいしか話題のない寂れた土地だった。
 知らない間に学年中に知れ渡り、子供の口を通じて親たちにも伝わる。
私も例に漏れず、その話が広まり始めたその日からいじめられた。

 教室で無視されることから始まり、そのうち悪口が飛んできた。
何も言い返せないのが分かると、今度は一部の調子に乗った輩から暴力を振るわれ始めた。
初めはクラス内だけだったのが学年内、続いて部活の先輩へと、所属を問わずいじめられるようになった。
 誰かに相談すれば良いと思うかも知れないが、今のような時代ではなかったのと、
これも分かる方には分かると思うのだが、仮に教師に通告しても、今度は「チクった」と言われて何倍にもして返される。

 最悪、年上の不良の中には自宅まで襲撃しに来るような輩までおり、私達より何年か上の世代では傷害致死や重い後遺症が残った傷害事件を起こした中学生もいたという。
 当時、家では弟を身籠っていた母と二人で細々と耐えていたのだが、もしそんな事態にでもなったら子供が流れかねないと思っていた私は、母に学校の事は相談せずにバカの一つ覚えみたくやり返しもせずに耐えていた。
 唯一、我が家の事情を知っていた担任には相談しようと思ったのだが、やはりその後の報復が恐ろしくて何も言えなかった。

 体育祭の時期、2〜3クラスずつまとまって行動する事があり、永島のクラスと一緒になった。
昼休みで自分の席にいた時、後ろから思いっきり椅子を蹴られて前のめりに転んだ。

 一瞬、何が起こったか分からなかったのだが、後ろから笑い声が上がったのでそちらを見ると、永島と数名の生徒がこちらを見て腹を抱えて笑っていた。
 横にいる男子が「俺じゃねーよ、永島くんがやったんだよ(笑)」と言ったので彼を見ると、こちらを見てひたすらケタケタと笑っている。
さすがに頭にきて彼を睨むと、それでも彼はケタケタ笑いながらこちらに歩を進めてきて、続けざまに3〜4発殴ってきた。
わずか半年と少し前まで、小学校の教室の片隅で居るのか居ないのか分からないくらいの子が、こんな風に変わってしまうのか、
そう思った瞬間、殴られている事よりも、純粋な人間の悪意に初めて触れたような気がして、ただただ怖くて震えていた。

 それから永島は度々ちょっかいを出してくるようになった。
極力無視していたのだが、調子に乗った彼は、廊下ですれ違う時にも殴ったり蹴ったりしてくるようになった。
永島には不良の兄弟もいないし、報復の心配はなかったので単純にやり返せばよかっただけかも知れないが、当時の私は口喧嘩すらしたことのないチキンだった。
いっそ不登校にでもなれれば良かったが、それすら出来ずにただただ時が流れていった。

 体育祭直前の予行演習の日、昼休憩になったので教室に 戻った。
その日は弁当持参の日だったのだが、当時の私と母は再婚相手の親(義祖母)から台所、風呂といった家庭内のインフラを使わせて貰えず、母も弁当も準備できなかったため、
朝に早起きして、義祖母の目を盗んで台所に立ち、前日に買った冷や飯を卵と塩コショウだけで炒めたチャーハンもどきをタッパーに詰めて持参した。
弁当でも買って持っていけたら良かったのだが、
それすらも「何でお前だけ買い食いしてるんだ」といじめのネタにされていたので拵えたものだった。

 食べようとタッパーを取り出したら、私の机に永島といつものメンツが現れた。
案の定、チャーハンもどきをけなし始めたのだが、私は無視を決め込んでチャーハンをかきこみ始めた。
涙が出そうだったが、泣いたら余計にいじられる。
耐えればいいんだ、これが終われば明日は日曜だ。


次の瞬間、机が蹴り上げられた。


 チャーハンはタッパーごとぶちまけられ、床に白と黄色の模様を作る。
初めは何事か分からなかったが、教室の床に転がるタッパーとチャーハンの残骸を眺めていたら、ようやく事の次第を認識して、涙が止まらなくなった。
 チャーハンの残骸を片付けようと跪いてかき集め始めたところ、背中を思いっきり蹴られた。
思わず痛みの感じた方を見ると、永島が以前と変わらないニヤけた表情でこちらを見下ろして、


「無視してんじゃねーよ」
と言った。


 情けないのと恥ずかしい気持ちで周りを見ると、いつもは傍観しているか無視している生徒もこちらを見て言葉を無くしている。
永島をけしかけさせていたいじめの首謀たちもさすがに引いたような表情をしていた。
 その時、私の頭の中で真っ暗な映像が浮かび、何かが切れるような音がしたのを最後に、そこからしばらくの間、記憶が飛んだ。


 気がついたら、生徒指導室で担任と学年主任と向き合っていた。
どうやら完全に切れてしまった私は、その場で永島と取り巻きを袋にしてしまったらしく、騒ぎを聞きつけた隣の2年生の先輩数名に抑えられたが止められず、
更に駆けつけた柔道有段者の体育教師から絞め落とされたらしかった。
 しばらく保健室で寝ていたそうなのだが、不意に起き上がって教室に戻ろうとしていたそうで、どこに行くのかと保健の先生に訊かれたところ、

「あいつ(おそらく永島)と、家の事情をバラした隣の先輩と、永島の取り巻きの同級生)を殺しに行く」

 と答えたそうで、急遽男性教師人が数名駆けつけて生徒指導室に連れてきたのだそうだが、ほとんど覚えていない。


 永島と取り巻き達に大きな怪我はなかったが、私が相当暴れたのか、大層怯えていたので親が迎えに来て帰ったのだそうだ。
私の家にも連絡をとなっていたそうなのだが、事情を知る担任教師が母の体を慮って留めていてくれたそうで、
私から詳しい事情を訊いて、その上で今後の対応を判断しようとしていたのだそうだ。

 それから私は変わった。

 まずは教師陣にこれまでの経緯を洗いざらい話した。
誰にも言えなかったこと、部活の顧問も問題化を恐れて何も対応してくれなかったこと、
永島達を殴ったことは悪いことだと思っているが、今後も同じことがあるだろうが、たとえ殺されてもやり返していくこと。
それらを一気に、淡々とまくし立てた。

 それから学年主任と担任からしばらく生徒指導室に居ることを命じられた。
母に連絡しないでくれと言ったら「約束する、だから申し訳ないけど我々のことも信用してくれ」と言われた。
意味は分からなかったが、自分もどこそこ体が痛かったので言う通りに従った。

 数十分経った頃、担任が私を呼びに来て、職員室に連れて行かれた。
入ると、学年の担任、副担任、教頭が座っており、端の方に部活の顧問がバツの悪そうな表情をして座っていた。
今思えば当たり前と思えるが、いくら中学生の子供がやったこととは言え、家の事情をネタにいじめがあったり、
生徒を預かる立場の部活の顧問が問題をもみ消そうとしていたという事態が大事だった訳で。 
 特に女性の教師は皆泣いていた。
「気づいてあげられずにごめんね」だとか「今後は何があっても同じことはさせない」だとか聞いた記憶があるが、そこもよく覚えてはいない。

 それからいじめはピタリと止んだ。
全クラスで私の件で学活の時間を作って話をされたそうで、
今まで事情も知らずに何となくいじめに加担していた輩も、事が事なだけさすがに引いたらしく、一時は腫物に触るように接されたが、嫌がらせの類は一切なくなった。
 代わりと言ってはなんだが、永島と、最初に話を流した奴らが無視をされるようになった。

 話を流した奴らはさすがに気まずいと思って沈黙を決め込んでいたそうだが、永島はそれでも変わらなかったらしく、
こちらに直接ちょっかいを掛けてくることはしなかったが、自分の教室では私の家の悪口を吹聴していたらしく、クラスメートの子にたしなめられたことに腹を立ててその子に殴りかかったそうだが、たまたま少林寺拳法をしていた子だったため返り討ちにあい、
その日からしばらく学校に来なくなり、数カ月後に戻ってきた時には特殊学級のようなクラスに移ったのだそうだ。


 そうして私の中学1年は終わり、2年の連休明けに親の仕事の都合で元いた地方都市に戻ることになり、その田舎を後にした。


 それから高校生になった数カ月後、当時の田舎時代に唯一仲が良かった平沢(仮名)という男子が私の家に泊まりに来た。

 彼だけはいじめられていた時でも親身に接してくれて、転校しても連絡先を交換してやり取りを続けていた。
田舎時代に唯一バンドの話が出来る友達でもあったので、当時の私のバンドのライブを見に来るついでに泊まりに来てもらったのだが、初日の夜に四方山話をしているとこんな話題になった。


平沢「そういえばさ、歌屋くん、永島って覚えてる?」

私「ん?あぁ、覚えてるよ。クッソムカつく記憶しかないけど(笑)」

平沢「だよね(苦笑)あの時(チャーハンの件)俺も同じ教室で見てたけどマジで引いたもん…いくらなんでもアレはまともな人間の神経じゃしきらんよね…」

私「ぶっちゃけ、あの時の記憶があんまないから何があったか分からんのよね(笑)それで何で急にあいつの話?」

平沢「…歌屋くん、もう一人『赤井(仮名)』って覚えてる?」

私「俺と同じ小学校だった赤井だろ?覚えてるけど…何の話?」

平沢「うん…実は赤井の親、離婚したんだよ」

私「へぇ〜そうなんだ、
それで、それが永島と何の関係があるん?」

平沢「その原因が永島らしいんよ」

私「は?なんじゃそりゃ?」

平沢「…赤井の母ちゃんと永島がデキてたらしいんだよ」

私「はぁ!?」

 あくまで「らしい」を含むのだそうが、平沢の話を要約すると以下の通りらしい。

 
 私が転校してから永島は特殊学級に移ったが、親の強い意向で一度、元のクラスの授業に戻ったそうだ。
平沢は2、3年と永島と同じクラスになったそうなのだが、
元々発達障害気味で授業にほとんどついていけなかったのと、私との件で完全に危険人物指定されていたそうで、
私が転校した後はすっかり小学校時代に出会った頃の永島に戻っていたらしい。

 むしろ、その頃より挙動不審な点が増えており、もうとても普通にクラスメートと接せられる状態ではなかったそうだ。
 程なくして永島はまた学校に来なくなり、数カ月後に戻ってきた時にはクラスルームと給食の時間だけ教室に戻って、他の時間は特殊学級のあるクラスで過ごしたという。

 もう一人、赤井という生徒は小学校時代の同級生男子で、
オツムはいまいちだがスポーツ好きな裏表のない良いヤツで、不良、普通の生徒と隔てなく接していた奴だった。
 ほとんどの同級生と絡めなかった永島にとって、まともに遊び相手になってくれるのは同じ特殊学級に通う不登校気味な生徒と、家が近所で、会えば仲良く接してくれる赤井だけだったのだという。

 中学校3年にもなると、永島は特殊学級にもあまり来なくなったそうだ。
元々休みがちでもあったそうだが、永島は同じく特殊学級に通っていた友達と家でゲーム浸りになっていた。

 親も何も言わず放置をしていたそうなのだが、大体集まるのは永島か赤井の家だったそうだ。
 ただ、赤井は不登校でもなく、昼学校が終われば部活をこなして帰宅するサイクルだったのと、
赤井は永島以外の友人もいて、その人々とも遊んだりしていたそうなので、基本赤井の家で遊ぶ時は休日に限られるはずであった。

 それがある日から赤井の家の近所で、学校があっているはずの平日昼間に永島の姿が近隣住民からよく目撃されるようになったのだそうだ。


 さすがに人の少ない田舎の土地でのこと、平日の昼日中に中学生風情の少年が独り歩きしていると目立つ。
更にその時間帯、赤井の家には専業主婦の母親しかいないはずだそうで、それもあって色々と下世話な憶測が流れた。
 本人はそういった周囲の視線を気にしていたのかは知らないが、少なくとも赤井の家の周辺ではちょっとした噂になっていたそうだ。

 そんな事が数ヶ月続き、とうとう赤井の父親の耳にもそんな噂が入った。
初めはさして気にしていなかった赤井の父も、度々自分の家に平日の昼間から自分の息子の同級生が出入りしているような話を聞かされて、次第に悪い予想をするようになったそうで、
ある平日、家族にはいつも通り仕事に行くよう装いつつ、
有給を取って昼に家に戻って確かめてみたのだそうだ。

 ここから先は当の赤井自身も既に学校に来ていないのと、
赤井の家が空き家になっているそうなので、同じく近所に住んでいる同級生の親が『それっぽい話をしていた』という内容の又聞きなので真相は分からないのだが、
どうやら赤井の父が確認を決行したその日、予想通り修羅場があったらしい。


 近所の同級生が親達から又聞きした内容によると、
昼に父親が帰ってきてしばらくした後、赤井家から父親の怒号が聞こえたらしく、
噂ではほぼほぼ下着姿の永島らしき子供が赤井家から走り去っていくのが目撃されたとかいう話まで出たのだそう。
それから赤井の家に永島の両親が謝りに来ていただとかという目撃談もあったそうだが、
騒動の数日後から近所で赤井の母親の姿を見なくなり、赤井自身も中学3年の冬頃から休みがちになって、年が明けた3学期には『転校した』という事で、家も空き家となり、誰もいなくなってしまったそうだ。


私「…それで、永島は今どうなってんの?」

平沢「俺も分かんない。でも高校とかは行ってないと思う。2年も3年の時も同じクラスだったけど、N高校(周囲では偏差値最低ランクの高校)にすら受からないレベルだったから」

私「それもだけど、まだ永島一家は同じとこ住んでんのかな?それがマジだったら普通、絶対引っ越しじゃん」

平沢「歌屋くんも知ってると思うけど、〇〇(田舎の地名)に土地とか持ってて生きてたら、自分から外に出ていこうなんてそうそう考えつかないよ…
あんな二束三文にもならない土地売っても何にもならないし、こんな街に出てきて生きていける年寄りもいないだろうし。

 永島も今どうしてるのか知らないし興味もないけど、俺はあいつが歌屋くんにしてた事、忘れないよ。
あんなやつは、外に出ない方がいい」


 それからしばらく沈黙が流れたが、翌日のライブの話題に戻って気まずい空気は幾分か紛れた。
しかし、その時の私の頭の中にはもうすっかり遠い土地となってしまったあの田舎の風景が広がっていた。
 実際に過ごした期間は2年もなかったが、牧歌的で澄んだ空気と水が広がっている綺麗な思い出と、どこまでも暗い人間の興味本位の悪意が交互に織り混ざっている。

 去年の今頃、数十年ぶりにその土地へ出向いた。
平沢ともう一人の友人に会いに行くためだった。
当然だが、当時よりもインフラや都市機能は発達し、コンビニやファミレス、ファーストフード店なども複数店作られていて、
今時のファッションをした若者が闊歩し、郊外という点を除けば暮らしていくことに何一つ不便さを感じる要素はない。
私がちょっとした地獄を味わったあの頃の町並みからは大きく変わっていた。

 それでも、もう私にはあの町に明るい何かは感じられなかった。
単に自分のトラウマから来ている観念なのかも知れないが、
それだけ時代が流れようと、その土地に根付く柄が変わることは相当に考え難い。
 土地に住む人々が悪い訳ではなく、土地に縛られることによって次第に娯楽から考え方に至るまで、その土地に合った形に自分の心が形作られていくのだと思う。
 そして、そこに人が棲んでいて、そうした土壌が在り続ける以上、そこに棲む人々が根絶やしにでもならない限り、その観念は消えていかないのだと思う。


 今、件の永島少年はどんな大人になったのだろうか。
仮に例の友人の母親との噂が本当だったとして、彼はどこかで己を立て直せたのだろうか。
それとも、やはりあの時のまま年齢と身体の成長だけを重ねて、今も誰かの視線から逃げながら世に対して背を向けながら今日を生きていっているのだろうか。
 
 赤井家はどうなってしまったんだろうか。
赤井本人にも、赤井の父にも何の咎もないはずなのに、生まれ育った土地を出て行きざるを得なかった彼らは、最後にあの土地を出ていく直前に何を思ったろうか。
 赤井の母も、もし噂が本当なら、どんな気持ちで息子の友人を受け入れていたのだろうか。

 それを知る術はないし、以前の平沢の台詞を借りれば「興味もない」。
 世の中は分からない事だらけだが、分からないといけないことと、分からなくても良いことと分かれていると思う。
ならば、今の彼らの所在を知ろうとする事自体、下世話で下卑た考えというものだろう。



 ただ、もし今も彼が変わっていなかったとして、
どこか我々の目の届かないような所から、小学生当時のような仄暗い視線でこちらを眺めているのかも、と思うと、
心霊スポットや夜の神社などで誰とも知れないものの視線を感じた時と同じような不安な気持ちになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?