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宗教

小学生の頃の話。

当時仲の良かった友人で、K君(仮名)という子がいた。
私もK君も母一人子一人の母子家庭で、お互いなかなか周囲に馴染めなかった子供だったのだが、
ひょんなことから意気投合し、ちょくちょく遊ぶようになった。

K君は隣のクラスで、体育の合同授業でたまたまペアになり、何でもない話からゲームの話題になって、
共通のゲームにハマっていたことで意気投合した。
住んでいた町内も割と近く、登下校も一緒にするようになり、
休みの日の予定が合えば、お互いの家を行き来してゲームをして遊ぶようになった。

後になって分かったのだが、K君のお母さんはテロ事件を起こした某教団の信者だったそうで、
騒動の間にワイドショーなどで出ていた教祖の声のリピートが録音されているカセットテープや、教団の会報誌らしきパンフレットのような本を何度かK君の家で見かけた事があった。


元々引っ込み思案気味なK君の性格もあったのだろうが、
お母さんがそこの教団員ということもあってなのか、
学校でも、K君の住んでいた公営団地の中でも、なんとなくK君は浮いた存在になっていた。
それでも、二人でテレビゲームで遊んでいる時のK君は、
対戦の勝ち負けに一喜一憂してよく笑い、ちょっとしたことでも気を遣ってくれる優しい子だった。

ある週末のこと。

当時の学校はまだ土曜日も午前中いっぱいまで授業があっており、
いつもなら昼で学校が終わって、一旦帰宅して食事をとってから、K君の家か私の家でゲームをして遊ぶのが常だった。
その日も家に帰りつき、昼ごはんを食べてK君の家に行こうとしていたら、家の電話が鳴ったので出てみるとK君だった。

私「もしもし、どうしたの?」

K「あ、歌屋君、ごめん…今日の約束なんだけど、お母さんが『これから一緒に出かけるから』って…だから遊べなくなって…」

私「あー…そうなんだ…分かった、また今度ね!」

K「ホントにごめん!あ、僕こないだ話してた〇〇(ゲームの名前)の新しいやつ買ってもらったんだ!今度歌屋くんにもやらせるから、また一緒に遊ぼうね!」

私「マジで!?俺まだ買ってないんだよ、
楽しみにしてるね!」

そう言って電話を切った。
急に予定が潰れて寂しくもなったが、それも仕方がないと思って、私は自室でゲームを始めた。


それからしばらくして、K君は学校を休みがちになった。

ずっと来ないという訳ではないのだが、週の内2〜3日は休むようになり、
1ヶ月後には丸々1週間来なくなることもしばしばあった。
時たま登校して来た時に様子を訊ねても、
「ちょっと体調が悪くて…でも大丈夫だよ」
と、何となくはぐらかすような言い方をしていた。

一時期は休まず登校していたようだったが、昼過ぎには見なくなったので、早退していたようだった。
心配もしたが、隣のクラスのことなので口を挟むことも出来ず、
他の子達にも気軽に声を掛けられるような性格でもなかったので、
何も出来ずにズルズルと時間ばかり過ぎていった。
家にお見舞いにでも行こうと考えたが、母から
「体調の悪い時に無理やり押しかけたら迷惑だ」
と止めが入ったので、様子を見に行くこともしないままでいた。

K君が休みがちになって2ヶ月ほど経ったある日のこと。
その日最後の授業が終わって下校しようとしていると、
廊下で隣のクラスの担任のU先生から呼び止められた。

「少し話があるから、着いて来てほしい」

というので、何か怒られるような事でもしたのかとビクビクしていると、U先生は
「別に何か怒ろうって訳じゃないから」
と慌てて笑ったので、少しホッとしつつも、U先生の後に着いて職員室の方に向かった。

職員室の隣には生徒指導室があり、私はU先生からそこに通された。
U先生は、当時学校内で最も恐いと言われていた強面の生徒指導主任で、
校内で粋がっている不良達にも恐れられていた存在だった。
やっぱり何か怒られるのか?と再びビクビクしていると、
察したのかU先生は
「本当に怒ったりするようなことじゃないから」
と念を押して笑って言った。
当時はちょっとした悪口でも泣きべそを書いてしまうようなヘタレで、悪さの一つも出来ないウサギのようなガキだったので、
(悪いことしてなんかないよな)と思う反面、人生はじめての生徒指導室という空間に通されたことに、得も知れない恐怖を感じていた。

U先生「急にこんなとこに連れてきてごめんね。
ホントに怒らないから安心して」

私「はい…で、話したいことって何ですか?」

U先生「うん…歌屋さぁ、うちのクラスのKと仲いいんだよね?」

私「K君ですか?はい、よく遊んだりしてます」

U先生「そうだよね。うちのクラスの他の子とかもそう言ってたから」

私「K君、最近学校来てないみたいですけど…」

U先生「ん…お母さんからは体調不良とか、家庭の用事があるとかって言われて、休みとか早退けになってるんだけど…」

何となく、U先生は言い淀んでいた。

U先生「実は何回か家庭訪問に行ったんだけど、それもなんだかんだと理由を付けられて断られてるんだ。
無理に行っても面倒なトラブルになるし…
でも、先生もKが心配だからさ…」

そう言って、先生は困った顔をしたまま黙ってしまった。
厳しい人でもあったが、しっかりと教え子に対する愛情も持って、教職という仕事に就いていたのだろう。
本当に心配気な表情をしていた。

U先生「それで、歌屋にお願いがあるんだけど、このプリントをKに届けてもらえないか?
今日の国語と算数のプリントなんだけど」

そう言って、先生は数枚のプリントを出してきた。
同じクラスの子じゃダメなのか?とは訊かなかった。
私もK君が心配だったので、見舞いの口実を見つけられて嬉しかった。

U先生「それと、これは先生からKへお手紙だ。
一緒に渡しておいてくれ」

そして便箋サイズの紙をプリントと一緒に挟んで、クリアファイルに入れて私に持たせた。
私はランドセルにファイルを入れると「今から帰りがけに行ってきます」と言って立ち上がったので、
U先生も「わざわざごめんな。あ、それと…」と言って、少し考えた後に、

「明日、Kがどんな様子だったか、ちょっとでもいいから教えてほしい」

と言われ、分かりました、と答えて、私は学校を後にした。


学校を出た私は、一旦自宅にランドセルを置きに帰り、
K君に渡すプリントの入ったファイルと、買い置きのお菓子をいくつか包んで家を出た。
せめてものお見舞いの品としてのつもりだった。
自宅から10分ほど歩いた県営の集合団地がK君の家で、階段を上がってK君の部屋のある階まで上がっていると、近隣順民の夕餉の香りが漂ってきた。
母は今日も遅くなると言っていたが、こうした普通の家庭では、やはり母子家庭の方が特殊に思えたりするのだろう。
「普通じゃない」
そんな気持ちをかすかに抱きながら、K君の部屋の前に着き、ドアチャイムを鳴らした。

かすかにドアの向こうから物音がしたが、返答はない。
もう一度チャイムを鳴らしたが、相変わらず返答が無いので、
「Kくーん、歌屋だけどー」
と声をかけると、足音が聞こえてドアが開いた。

顔色は少し悪いようだったが、K君は少しはにかんでドアの前に立っていた。
プリントとお菓子を手渡して、お見舞いに来た旨を伝えると、喜んでいるような、でも少し複雑そうな表情をしていた。
U先生からの手紙も入っている旨を伝えると、K君はプリントの中身もそこそこに手紙を読みだした。

しばらく手紙に視線を落としていたK君は、急に涙目になった。
大丈夫かと訊くと、K君は「あの…話したいことが…」と口ごもっていた。

何事か聞こうとしたその時、
誰かが歩いてくる気配がしたので振り向くと、スーパーの買い物袋を提げたビジネススーツ姿の中年の女性がゆっくりとこちらを見ながら歩いてくるのが見えた。
K君も気になったのか、ドアから身を乗り出してそちらの方を見ると、一気に青ざめた顔になった。

K「お母さん…」

そう言われた女性は、自宅前に誰かがいるのを訝しんでいるように見えた。
咄嗟にK君が出てきて、女性に「おかえり…」と言った。
私も「こんにちわ」と言って会釈をした。

K君の母は私を一瞥すると、K君に
「何してるの?」
と抑揚のない口調で言った。
表情も能面のようにのっぺりとしていて、何となく気味の悪さを感じた。

K「と、隣のクラスの友達で!休んでた分のプリントとかを持ってきてもらって…」

K君が緊張したように私の紹介をした。

私「う、歌屋っていいます!あの…U先生からプリントをK君に届けるようにって…」

何故だか私もK君につられて緊張しつつ挨拶をした。
友達の親御さんってだけで、何故ああも緊張したのか分からないが、私は酷く緊張していた。

K母「わざわざありがとう。Kは具合があんまり良くなくてね」

K母はうっすら笑って私に言った。
「笑って」というより、笑ったような表情をしていた、と言った方が適切かもしれない。
何とも言えない表情差分をしていた。

K母「それで、なんで隣のクラスの子がプリントを届けに来るの?」


再びK母は無表情になって私に問いかけた。そんな事言われても知らない。
私はただU先生に言われてお見舞いがてらプリントを渡しに来ただけだ。
そう言えば良かったのだろうが、K母の得も知れぬ威圧感というか雰囲気に何も言えないでいた。

「お母さん!!」

突然K君が大きな声を出したのでビックリして振り向くと、
K君は目に涙をいっぱい溜めて、振り絞るように言った。

K「あの…歌屋くんは一番仲がいい友達で…その…ちゃんと話したいから…その…」

K母「それで、どうしたいの?」

K「その…少しだけ、お話する時間がほしい…です」

ちゃんと話すから、
とK君は消え入りそうな声で言った。
K母は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からなかったが、
10秒ほど沈黙が続いた後に、

K母「30分だけならいいよ。お話してきなさい。ただし、それ以上はダメだからね。もうすぐギョウ(業?)だって始まるんだからね」

わかった、と言ってK君はしっかり頷いた。
そして私の手を引いて「家の中は散らかってるから…」と言って階段の方に向かって歩きだした。
言われて家の中に視線を移すと、引っ越しの準備のように段ボールや荷物が散乱していた。
K母に会釈をして我々は棟の外に出た。


K君と私は団地の中庭にある広場に出た。
ジャングルジムやシーソーなどいくつかの遊具とベンチが設置されており、子供が遊ぶ姿や談笑している大人達が散見された。
我々はその内の一基のベンチに腰掛け、少しの沈黙の後にK君が話し始めた。

K「今日はごめんね…お母さん、悪い人じゃないんだけど、あんまり他の人と話さなくて…」

私「あ…別にいいよ。ていうか身体は大丈夫なの?」

K「うん、具合は大丈夫。ズル休みしてる訳じゃないんだけど…」

そう言ってK君は少し気まずそうな顔をした。
私もK君がそんな子じゃないと思っていたので「うん」とだけ答えて、それからまた少し沈黙が流れ、K君が口を開いた。

K「僕ね、近々引っ越すんだ」

やはり家の中の散らかりは引っ越しの準備だったようだ。
何となく予想はついてはいたが、実際に口に出されると何も返せなかった。
K君は当時、数少ない友達の一人で、何もなければ同じ中学に上がって、それから先も仲良くしていくはずだと思っていたから。

いつかお別れの時が来るかも知れないとは思っても、
そんないきなりお別れが来ても受け入れられなかった。

K「僕も学校の奴らはどうでもいいけど、歌屋くんとお別れになるの寂しいから…お母さんに嫌だって言ったんだけど…このままザイケではいられないから、って…」

おそらく「在家(信者)」という意味だろう。
当時、K母が入信していた教団は出家を推奨しており、出家信者の家族と教団との紛争が多発していた。
私の住む地方の郊外にも教団の道場があり、
出家信者が集団生活をしていた。

私「じゃあ、〇〇(道場のある地名)に行くの?」

K「うん…同い年くらいの子達もいっぱいいるし、中で勉強も出来るから何も問題ないってお母さんは言ってるけど…」

私は何も言えなかった。
お別れは嫌だが、家の事情であれば仕方がない。
しかし事情が事情なだけに何とも言えない。
黙っていると、再びK君が口を開いた。

K「歌屋くんと仲良くなってなかったら引っ越しなんてどうでもなかったけど、きっとあっち行ったら仲良く出来る友達とか出来ないだろうと思うから嫌だよ。
でも、お母さんいなかったら僕一人で生きていけないし、僕もついていくよ」

そう言ったK君の横顔は、いつもに比べて酷く大人びて見えた。
叶わない現実の一つを目の当たりにして、彼は彼なりに自分の中の子供らしさを一つ捨てたのだろうか。
なんだか、K君が少し遠く感じられた。

K「そろそろ帰らなきゃ」

そう言ってK君は腰を浮かした。
広場の中央に設置された時計を見ると、我々が外に出てから20分ほど経っていた。
先程のK母の様子を思い出すと、「あと少し話そう」とは言い出せなかった。

K「今日はわざわざありがとうね。それとお菓子もありがとう。あとで食べるね」

何か返さないといけなかったが、
「元気でね」以外の上手な言葉を必死で考えて、何も言えないでいた。

K「書けたら手紙書くよ。出来たらたまに電話もするから」

何か話さなきゃ。
さよなら以外の気の利いた言葉をこの友達に言わなきゃ。
ここで言えなきゃ本当に最期になってしまいそうで、焦る頭だけがぐるぐると回っていた。

私「うん…気を付けて…ね」

何故自分でもその言葉が出てきたかは今だに分からない。
単純に門出の安全を願って出ただけの事かも知れないが、あまりに不似合いで、不穏当な台詞が出た事に自分でも呆気に取られていた。

K君も同じく呆気に取られた顔をしていたが、
すぐに何か察したような表情になって、
「じゃあね」と笑って言い、自分の部屋のある棟に向かって歩いて行った。
その後ろ姿がK君を見た最期になった。

翌日、K君は学校に来なかった。
U先生に昨日の事を話すと「そうか…」と言ってしばらく黙っていたが、
「いや、本当にありがとう。また何かあったら話すからね」
と言って、始業のチャイムが鳴ったと同時にU先生は自分の教室に走っていった。

それから2週間後、K君は転校した。
それまで一度も学校に来る事無く去っていったので、結局私もK君が去るまで一回も会わなかった。

一度だけU先生に呼ばれて話をした。
当時の私の弱い頭ではよく理解出来なかったが、今うろ覚えの記憶を辿ると、こんな話だった。

転居の原因はやはりK母の出家に伴うものだった。
理由はどうあれ、まともに転校していくのであれば問題はなかったのだが、
私もK君から聞いていた通り、学校に通うのではなく教団の施設内で過ごすようになるのだという。

K母は施設内での教育のみで充分だと言い張ったが、教育は国民の三大義務である。
信教の自由もあるが、K君本人の事を考えてやってほしいとU先生はK母に掛け合ったが、教祖の教えに心酔していたK母にはその訴えも届かなかった。

最後の方では「学校に通わせない事でどうしてもまずい事態になるというなら転入だけはさせるからそれでいいだろう?」
とK母は開き直っていたらしく、U先生も呆れ返りつつも、K君の行く先を案じていたそうだ。

K君が引っ越したと思われるその日、
学校から帰った私が自宅の郵便受けを開けると、見慣れない白い紙袋が入っていた。
母宛の郵便かと思ったが送り状も付いておらず、よく見ると片面にマジックで私の名前が書いてあった。

触ってみると何か硬い固形物と、柔らかいものが入っているようだった。
少し奇妙に思ったが、中身の方が気になったので自室に戻って開封してみた。

中から出てきたのはスーパーファミコンのソフトと、よくK君と買って食べていた駄菓子だった。
ゲームソフトはK君と一緒に遊ぶ約束をしていたもので、菓子と合わせて見て、最期にK君が私にくれたものだと確信した。

泣きたい気持ちを堪えながらK君の遺していってくれた物達を眺めていた。
本当なら餞別を渡さないといけないのは自分の方じゃないか。
自分はK君に何かしてやれたろうか。

ゲームソフトを見ると、外側の裏面に何やら書かれた紙が貼られていた。
余程急いで書いたのか、所々文字が崩れかけていたが、
「友だちになってくれてありがとう」
と書いてあった。
それを読んで私は声をあげて泣いた。


あれからK君には会っていない。
後に件の教団の一連の騒動でK君が渡っていった教団施設も閉鎖になったと聞いた。
どうなったか、というより、何とか無事過ごしていてくれたらと思う他ない。

K君がくれたゲームソフトは、度重なる転居のどさくさで失くしてしまったが、
今でも同じタイトルのゲームの名前を聞いたり、一緒に入っていた駄菓子をスーパーで見かけたりすると、決まって彼の顔が思い浮かぶ。

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