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ネタバレあり七色いんこミュ観劇記録

※前置き
七色いんこ原作ファンであり、宝塚も好きで有沙瞳ちゃんは数作品映像で見たことがある、七海ひろきさんは名前だけ知っているという人の観劇記録です。大ネタバレ注意。

 七色いんこを初日に観劇してきた。七色いんこは元から原作が好きで、いつか宝塚でやってくれないかと淡い期待をしていたのだけど、外部で、元宝塚の七海ひろき・有沙瞳で公演を行うと聞いて、迷いなく観劇を決めた。

  結論から言うと、原作ファンでもとても楽しめる内容だった。扱われたエピソードは「ハムレット」「青い鳥」「終幕」。いんこの正体の深いストーリーに繋げるなら最適解なのでは?という組み合わせだった。やっぱり舞台化するなら生い立ちの部分・千里刑事との関係性の部分は不可欠だと思うので、かなり満足。削られたり、変更があった部分もあるけれど、大多数はきちんと理由があって納得できるものだった(舞台で車が走らせられないからとか、削ったエピソードがなければ成立しないものなど)。終幕はほぼフルでやってたと思う。そのせいで少しダレた気もするけど、削るのも大変だし辻褄合わなくなりそうなので、許容範囲かと。「終幕」はいんこ(七海ひろき)でなく陽介中心にせざるを得ないけれど、いんこが過去を第三者目線で振り返るというアイディアもよかった。千里刑事もちょこちょこ出てきて、原作とほとんど同じだった。

印象的だった部分

①コーラ
 舞台版ではいんこは喫茶店で「いつものコーラ」を頼む(原作を確認したけれど普通にコーヒーを飲んでいた)。これが終幕のある部分の伏線となっており、原作にはない設定だけれどなぜいんこがコーヒーを頼み続けてるのかがわかると、胸が痛くなる。いい設定だった。

②陽介とモモコ
 原作のサブタイトルはほぼすべて演劇作品の名前になっている。終盤の一場面で、二人が一緒に読んだ作品の名前を振り返るシーンがあるのだが、「ハムレット」「ガラスの動物園」「ベニスの商人」「11ぴきのねこ」などなじみのあるものばかり。つまり、原作のサブタイトルを『陽介とモモコが仲良くしていた時に、一緒に読んだ演劇作品が七色いんこのストーリーになっている』と解釈することが出来るのだ。そして、最後に上げられたのがタイトルにはない「ロミオとジュリエット」。原作を読んだ方なら分かると思うが、七色いんこという作品自体がロミオとジュリエットであると考えることが出来るため、最後に追加されたのだろう。
 今回舞台で見るまで、このような考えには全く至っていなかった(おそらく原作にはそのような伏線はない?)ので、陽介とモモコと読者(客)が共鳴できるこのシーンが印象に残った。

③舞台演出
 舞台の上部に小さな枠(額縁)があり、その中には白い服がたくさんかかっていた。この部分を使って映像の投影を行っていた。宝塚の劇場のように映像を出せるような設備がなかったのだろうが、舞台の世界観を壊すことなく投影できる良い解決策だったと思う。いんこが名刺に使っているインコの描かれているカードや、原作のサブタイトルを投影しており、原作へのリスペクトを感じることが出来た。
 宝塚の劇場には盆やセリがあり、基本人力に頼ることなく舞台セットが変化するので、七色いんこで役者たちがセットを動かしたり、舞台上で衣装を変えたりすることに驚いた。人が行うことで集中が途切れてしまうという難点もあるだろうが、七色いんこの場合はいんこがアメリカで演者をしていた時にはそのような設備はなかったはずなので、七色いんこらしくてよかったのかもしれない。

④メタ発言
 原作の作者・手塚治虫はよく漫画の中でキャラクターが作者自身に文句をいうようなメタ発言をさせている。劇中でも、メタ発言(1回しか見てないので定かではないがアドリブ?)が行われていた。地下鉄の出口間違えたら大変だよね、とか物販の話やら。一番面白かったのは、下手で舞台セットを動かしている時にしゃべっていたら、上手にいた鍬形隆介がブチ切れる、というもの。上手で芝居をしようとしているのに下手で現実世界の話をしているから上手くいかず、仕切りなおしてもう一回上手で演じるのが面白かった。舞台版でメタ発言が多かったのは、手塚治虫がメタ発言が多い方だったからなのかな、と思ったり。たまたまのアドリブかもしれないが、楽しめたので良かった。

⑤結末の解釈
 ガッツリネタバレをしてしまうのだが、原作の結末ではいんこの舞台がどのような結末を迎えるのか、生きるか死ぬか、全く触れられないため、解釈は読者に任されている。原作を読んだときには、個人的に「ああ、いんこはトミーと同じように命をかけて芝居をするんだ、トミーと同じ結末を迎えたんだろう。」と思っていた。しかし舞台版では、「天罰が下る」という表現を用い、鍬形隆介やバーミンガムのような利己的な人間だけが得するということはあり得ない、という正義を感じた。原作から思い描いていた結末はどちらかというと暗いものだったが、舞台版ではもう少し明るく捉えられており、希望を感じられる結末となっていたと思う。

トミーの存在

 この作品では基本的に脚本の解釈が私自身と一致していて、あまり違和感は感じなかったのだが、唯一トミーについては解釈が私とは違うように思う。まずトミーが登場する時に英語を話すのだが、原作ではすべて日本語だったはずである。確かにトミーが日本語を話すわけはないのだけれど、簡単な英語を話し途中から日本語になることを考えると、そこはフィクションのお約束として日本語のままで良かったのではないだろうか。
 また、トミーといんこが別れる(トミーが射殺される)シーンで、トミーがいんこが寂しくならないようにか、おちゃらけた感じで去っていくように変更されていた。トミーは自分自身が戦争で人を殺してしまったことに強い罪悪感・責任感を感じていたはずで、その罪のために殺されるのだから、死に際にふざけるような人ではないのではないか、と違和感を持った。

印象に残ったキャスト

・有沙瞳(千里万里子)
 何作か映像で鑑賞し、歌が上手く実力のある娘役さん、というイメージだった。もちろん今回も歌は上手だったが、それだけでなく芝居も素晴らしいものだった。宝塚時代の印象に残っている役は雪組ドン・ジュアンのエルヴィラ、ディミトリのバテシバなど、正統派・大人っぽいものだった。本人も語っていたように千里万里子は宝塚時代にはあまり演じたことのない性格のキャラクターだと思うのだが、ハマり役でキャスティングに感謝すべきである。元スケバンでおてんばな部分はもちろん、特異体質の鳥アレルギーの部分も、本当に体が縮んでいるかのように見えた。原作で特に好きなキャラクターだったので、有沙瞳ちゃんに演じてもらえてよかった。
・倉持聖菜(ヨーコ)
 いくつか役をやっていたと思うのだが、ヨーコと最後の場面のいんこの舞台を手伝うシーンしか記憶がないのだけど。それでもヨーコはとても印象に残った。舞台上でもわかるほど顔がかわいくて、千里刑事と再会した時の「ヨーコですう!!!」の振り切った感が見事だった。また違う舞台も観てみたい、と思わせてくれる役者さんだった。
・郷本直也(鍬潟隆介・陽介の父)
 利己的で、陽介を自分の思い通りにしようとする父であったけれど、その悪役(?)がハマっていた。アドリブ力が高く、前述したようなメタ発言での振る舞いや、スペシャルカーテンコールでの客席へガッツリ絡みに行っていたのが印象的だった。また、カーテンコールでは数人ごとにお辞儀をして客席に挨拶する中、お辞儀をしておらず、最後まで鍬形隆介を演じてくれた。

 関東在住だがどうしても都合がつかないため、初めて宝塚以外の舞台を、それも大阪にまで遠征して見たのだが、見に行ってよかった、良い思い出になったと思えた作品だった。できたら主題歌のto be or not to beの楽曲配信と、円盤発売をお願いしたい。七色いんこも原作絵でグッズ発売してほしいなあ、と思った。

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