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【続日本100名城スタンプ】133.鮫ヶ尾城

続日本100名城スタンプを押しに、2023年5月に新潟県にいがたけん妙高市みょうこうし鮫ヶ尾城さめがおじょうに行きましたのでご紹介します。

※ 本記事は訪問当時の情報を記載しておりますので、最新情報は公式サイトやお問い合わせなどで確認をお願いします。


スタンプ設置場所の情報

鮫ヶ尾城の続日本100名城スタンプは斐太ひだ歴史の里総合案内所に設置されており、入館料は不要です。冬場は閉館するので、神の宮温泉かわら亭に設置されるようです。

スタンプまでの道のり

今回は妙高はねうまラインの北新井駅から斐太ひだ歴史の里総合案内所へ向かいました。

北新井駅

北新井駅の構内には鮫ヶ尾城の旗が設置されていました。

北新井駅 構内

路線バスもあるようですが、調べても使えそうな便がなかったため、徒歩で向かいました。北新井駅を出て左に曲がると斐太歴史の里(鮫ヶ尾城跡)へ着きます。

北新井駅前

矢代川を渡って道路をまっすぐ進みます。長い筒状の「上信越自動車道」が通っている二つの山のあたりが鮫ヶ尾城のようです。

鮫ヶ尾城 全景

まっすぐ進むと鮫ヶ尾城跡の案内が見えました。左へ行くと摩尼王寺まにおうじがあるようです。摩尼王寺は、上杉謙信の用紙だった上杉景虎うえすぎかげとらの祈願寺だったようです。

鮫ヶ尾城跡まで2.3km

上新バイパス(国道18号)にぶつかるので、トンネルをくぐります。

上新バイパス(国道18号)

徒歩だとトンネルを抜けて左へ曲がると少し近道のようです。

上新バイパスを抜けたあたり

上越新井線(県道63号線)沿いにある廃墟のパチンコ屋の左を進みます。

上越新井線(県道63号線)
廃墟のパチンコ屋の左を進みます

県道85号線に合流しますので、県道に沿って進みます。

県道85号線との合流

そのまま進むと左手に立ノ内館たてのうちやかた跡の案内がありました。鮫ヶ尾城主の居館があったようです。

立ノ内館跡

このあたりで斐太歴史の里(鮫ヶ尾城跡)まで1.0kmの案内がありました。

鮫ヶ尾城跡まで1.0km

右手に神の宮温泉かわら亭の案内がありました。

神の宮温泉かわら亭の案内

冬期は神の宮温泉かわら亭に鮫ヶ尾城の続日本100名城スタンプが設置されているようです。日帰り温泉を営業しているようですが、当日は営業時間に間に合いませんでした。間に合えば温泉入りたかったです。

神の宮温泉かわら亭

県道85号線を進むと左手に斐太ひだ神社がありました。当日は祭礼が催されており、境内は音楽で賑やかでした。

斐太神社
斐太神社 境内

斐太歴史の里(鮫ヶ尾城跡)から450mの案内があり、麓に着きました。

鮫ヶ尾城跡まで450m

麓から少し登ります。車の場合はこのあたりに駐車場があり、駐車できました。

鮫ヶ尾城跡まで徒歩7分

斐太歴史の里総合案内所の案内が見えました。

斐太歴史の里総合案内所の案内

スタンプ設置場所の紹介

斐太ひだ歴史の里総合案内所の案内を過ぎると、斐太遺跡の石碑がありました。弥生時代後期後半(3世紀)の集落遺跡群だそうです。

斐太遺跡

石碑の横には弥生時代の竪穴住居が復元されていました。

竪穴住居

斐太遺跡の竪穴住居を過ぎてしばらく歩くと、斐太歴史の里総合案内所がありました。

斐太歴史の里総合案内所

案内所の受付に伝えると続日本100名城スタンプを出してもらえました。どこから来たかの記名はありましたが、入館料はありませんでした。

鮫ヶ尾城 続日本100名城スタンプ

スタンプのデザインは、鮫ヶ尾城の本丸跡(東屋)です。

鮫ヶ尾城 本丸跡(東屋)

受付で鮫ヶ尾城に登るか聞かれ、登ると回答すると、登山道について丁寧に教えてくれ、トレッキングポールも貸してくれました。親切に接してくださってありがたかったです。

斐太歴史の里案内所のトレッキングポール

鮫ヶ尾城について

スタンプが押せたので、鮫ヶ尾城跡の本丸まで登城してみました。斐太歴史の里案内所の前には鮫ヶ尾城跡の全体図がありました。

鮫ヶ尾城跡の全体図

斐太歴史の里案内所から東登山道を案内してもらいました。

鮫ヶ尾城跡 東登山道入口

東登山道入口からいったん下って淡水魚の池の横を抜けます。山城なので、下った分だけ上ることになります。

淡水魚の池

淡水魚の池を抜けた後は上りになり、歩道として比較的整備しているようでした。

淡水魚の池の後に進んだ登山道

少し開けた場所に出ますが、まだ登山道のようで先に進みます。

鮫ヶ尾城 東登山道

登山道を進むと大堀切おおほりきりがありました。鮫ヶ尾城は石垣がなく、多くの堀切で守られていたようです。

鮫ヶ尾城後 大堀切

大堀切を過ぎると、東一ノ丸跡に着きました。このあたりはギフチョウの生息地のようで、採集禁止の案内がありました。

鮫ヶ尾城跡 東一ノ丸跡

東一ノ丸跡の後に急斜面があり、ロープが張ってありました。案内所でも難所として教えてくれました。

東一ノ丸跡の後にロープで渡る急斜面あり

難所を過ぎると本丸跡の近くになり、曲輪くるわが集結しているようでした。

鮫ヶ尾城跡 本丸前の案内

左に曲がると三ノ丸跡と井戸跡がありました。山城に必須の給水施設である井戸跡にはまだ水がありました。

鮫ヶ尾城跡 三ノ丸跡
鮫ヶ尾城跡 井戸跡

まっすぐ進むと二ノ丸跡と本丸跡がありました。本丸跡には東屋があり、妙高市街が一望できました。

鮫ヶ尾城跡 二ノ丸跡
鮫ヶ尾城跡 本丸跡

本丸跡には鮫ヶ尾城址さめがおじょうしの石碑がありました。

鮫ヶ尾城址 石碑

鮫ヶ尾城さめがおじょうは戦国時代に堀江宗親ほりえむねちかが城主だった山城です。上杉謙信死後の家督争いである「御館おたての乱」により、謙信の養子だった上杉景虎うえすぎかげとらが鮫ヶ尾城で最期を遂げました。

鮫ヶ尾城の案内(斐太歴史の里総合案内所前)

本丸跡の後は緩やかな北登山道で斐太歴史の里総合案内所まで戻りました。北登山道には米蔵跡があり、御館の乱の際の焼け米が見つかるようです。私も探してみましたが見つかりませんでした。

※国指定史跡となった現在は採集が禁止されています。

鮫ヶ尾城跡 米蔵跡

まとめ

今回は新潟県妙高市の鮫ヶ尾城と続日本100名城スタンプについてご紹介しました。

  • 最寄駅:妙高はねうまライン 北新井駅

  • 移動:北新井駅から徒歩30分

  • スタンプ設置:斐太歴史の里総合案内所

  • 城跡:総合案内所から徒歩20分

斐太歴史の里総合案内所へは北新井駅からかなり歩くので、車・バス・タクシーなどが使えればもっと楽かと思いました。

鮫ヶ尾城で上信越自動車道の下をくぐる

最近は、上越妙高駅でレンタサイクルが借りられるようで、私が行った時にサービスがあったなら絶対使ったなーと思いました(本記事を貼ってくださりありがとうございます)

疲れたので、北新井駅前の「オーモリラーメン」で味玉ラーメンを食べました。家系とは違う豚骨醤油で私の好きな味でした。ずっと行列ができていましたが、YouTuber ヒカキンの地元らしく、動画でも紹介される人気店のようでした。

オーモリラーメン
味玉ラーメン

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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