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1/4 ニューイヤー。エチルウィークリー

 三が日は色んな所に行かなくちゃいけないから忙しくて仕方ないね。親戚の家に挨拶とか飲酒とか赤ちゃんのお世話とか飲酒とか甥っ子のお世話とか飲酒とか。ごめんなさい、サボってました。
 本日の日記は、サボりまくってたここ一週間の自身の思考を取り留めもなく振り返ってみることにする。


 一週間前に二十歳を迎えた私は、父や姉から勧められた種々なお酒を試飲した。結果、私はアルコールの味や臭いに不快感があり、柑橘が強めのチューハイくらいしかまともに飲めるものがなかった。まあでも、これから舌が慣れていくのだろうし、これから死ぬまでお世話になる飲料だろう。まずはアルコール度数の低い缶チューハイ辺りからちょっとずつアルコールの味を覚えればいい。そんな呑気な心構えで毎日色んな種類のアルコールに挑戦していたら、お酒を飲みすぎだと周囲から諫められてしまった。ことあるごとに飲むものだから、そこらへんにしておかないとお酒に費やして素寒貧になるって。ごもっともである。アルコールに依存しているわけではないし、なんなら炭酸は苦手だから、本来ならチューハイだってあんまり飲みたくないのに一本、また一本とアルコールを手に取っている。きっと、今までお酒を飲むことに憧れていたのだと思う。私は末っ子で、二人の姉が大人の嗜好品を扱うようになっていって。遅生まれであることも起因しているだろう。周りの人たちはアルコールに手を出し始めていて、私はその光景を指を咥えて眺めるしかできなかった。だから、取り返すように飲んでいるのだと推測する。酔うという感覚を知った時は本当に楽しかった。酔うってこんな感じなんだ、なんでそんなにふらふらしてたんだってやっと理解できた。酔い方は人それぞれだと思うが、私はあまり変わらないタイプだと思う。平生から雰囲気に酔うことでの不可解な言動が多いが、アルコールによってその確率が上がるというわけでもなさそうだ。まだアルコールの摂取を泥酔するまでに至っていないからかもしれない。二日酔いや嘔吐も未経験。なので、他所で飲む機会ができる前に、自分がどれくらい飲めばおかしくなるかくらいは知っておきたいところだ。

 年が明けた当夜、私は近所の神社に初詣に行った。その神社は正月以外は遊び盛りの子供ですら立ち寄っている様子を見ない、こじんまりとした神社である。この神社では一定期間本殿が御開帳し、おみくじやお守りや破魔矢を売り、売店は特になく、深夜2時頃まで甘酒とみかんを配給するおじさんがいる。それが例年のお正月である。しかし、今年はなんだか鳥居の前から既に雰囲気が違う。剥き出しの電球で飾られていたわずか5mほどの参道に提灯が並び、焼き鳥と熱燗を売るおっちゃんがいた。今更ながらこの神社を興す気概でも湧いてきたのだろうか。私は栄えようが滅亡しようがどちらでもいいのだが、これからのこの神社は去年までのような寂びれた様子に、少々ばかりの華を精一杯用意するようになるのか。いち町民の私には与り知らない事情であるが、塩つくねを二本頬張りながら微かにノスタルジーな外気を感じた。
 お参りを済ませてそこらへんをプラプラしていると、本殿の傍におみくじを発見する。おみくじの種類もいくつか増えてた。当神社限定おみくじとか作っていた。なるほど、神社興しとやら、わりと必死なのかもしれない。その心意気に免じて、新しいおみくじとやらを一つ買ってやろう。


 結構かわいいけど、なんで横を向いているんだ。
 さて、これのどこがおみくじになっているのか。よく見てみると、臀部にシールが貼ってある。これを剥がすのかな。

 尻から出てきたのはよくみたおみくじの紙。しかもまずまずの運勢。春に台湾に行く予定があるのだから、旅行運はもうちょっとほしかったところ。
 まあ、亀の入れ物を細工している時点で通常よりありがたみがあるのかもしれない。この亀も置物だと思えばかわいいし、おみくじ代の三百円は無駄ではなかっただろう。

 
 一昨日、親戚の集まりで三才の甥っ子と会う機会があった。甥は車や新幹線が大好きらしく、見ただけで車種や車両名を言い当てていた。ミニカーを動かして遊ぶ甥は、私を含めたくさんの大人から一斉にお年玉をもらっていて、戸惑いながらも口角を上げていた。金銭感覚がないために何をもらったのかよく分からず、取り敢えず“なんかもらった”という感情を顔で表現したのだろう。テーブルの上を転がる小さいタイヤは、不規則なタイミングでアクセルを踏み、カーブし、ときにジャンプする。どれ、私が遊び相手になってやろうとミニカーを一台拝借すると、両方のフロントドアが開くタイプのミニカーだった。懐かしい、私も幼少期に父のミニカーを借りてドアを全開にして、トビウオみたいに跳ねさせていた。甥に似たような感性はなかったが、それでもバイクをウィリーさせて跳躍させるその姿は、数年後にチャリ走にハマると確信した。
 姉が甥のために買ってきたパウパトロールの大辞典を見せていると、本の内容やキャラクターには関心を示さず「ぼくはこれが好きー!」と道路が描かれているページを大きく開いてミニカーを走らせていた。ふむ、と思い立ち、その場にあった色鉛筆とノートの切れ端で道路を描いてあげた。すると、甥も楽しそうに道路の続きを描きはじめる。ここにまち、ここはぼくのいえ、ちゅうしゃじょうがなくちゃくるまをとめられない! など、拡大していく道のりと想像力に、純粋な創作意欲を感じた。この子は、今後もこうやって妄想をアウトプットに移すかは分からない。だけど、今回の世界を創造した経験がほんのちょっとでも未来に影響を及ぼしていたら、それはもう私の勝ち。勝確なのだ。


 私は、ある程度好きなものでも季節や年が変わると急激に興味が霞んでしまうことがある。具体的に言えば、長いこと推しているストリーマーの数年前の動画、別に最近見はじめたチャンネルの動画でも当てはまるが、その時の流行や季節が変わってしまうと、途端にそれらが意味のないものに思えてきて、見る気が失せてしまうのだ。その性が普通なのかは分からないが、姉はタイプが異なり、過去の動画を見漁って楽しんでいるため、同じ推しの話でも共有できなかったりする。しかし、例外はあり、ハマったばかりで、シリーズで纏められていればその動画群を順を追って視聴することが可能である。この時期これが流行ってた、この年の冬の話してるの和むな。そんな滋味深きひとときを過ごす力があるのに、上記以外だといちから視聴する気力が湧かない。姉だから無理に話を合わせなくていいものの、こういう難儀な性格から人と接することが苦手になっていると考えると、どうしてもお風呂に頭を沈めずにはいられなくなる。


 近況はこんなところだろう。雑然としているけれど、小話がたくさんある感じなんかいいね。頭の中に浮かんだことをここにメモしておいて、一週間か三日に一度纏めて書いて掲載する形式でもいいのかも。そうすれば、特になにもない日を作らずに済む可能性もあるし。倦怠防止も兼ねて、三日ごとに書いていこうかな。
 今日はここまで。最後にコミケで使ったホワイトボードの新たな勤務先を見せて締めようかな。

冷蔵庫

 以上。

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