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3/3 いいんですかいいんですか、こんなに人を信じてもいいんですか

 初運転時から外出が怖くなった。バスに乗っている時、車道付近を通行する時、他人に命を握らせている感覚が実態を伴ってきた。それは、自身が車の操作を体験したことで改めて他人への信頼を疑わなければならなくなったのである。
 指導員は「速度、方向、タイミングなどをすべて完璧にこなすことで初めて運転が完成する」という旨を教えてくれた。それってつまり、今現在にいたって車を運転している人の大多数は“間違いのない”ドライブが可能だということ。もちろん小さなミスくらいはあるかもしれない。危うく事故になりかけたというケースもあるだろうけど、それでも実質的には事故を引き起こしてはいない。他人の精度はそんなにも優れているのか。
 私なら絶対に無理だ。咄嗟の判断とかできないから、慌てているうちに車を暴発させてしまう。そのための教習所だとはわかっているが、教習所なんかで判断力を鍛えられるのなら今日にいたるまでボーッと生きてきてないんすわ。
 逆に、みんな見て見ぬふりをしているのかもしれない。バイト時に失態を冒したとして、それを誤魔化したとしても案外なんとかなったことが幾度かある。同様に、自車をぶつけたからといって警察に報告もせず、その場だけの件にしてなんとなく立ち去っているのかもしれない。人間社会って、緻密な規則を打ち立てるのに内実は出鱈目だから。
 だからこそ、他人への信頼が必要になってくる。出鱈目なことをやってくれたらバスは衝突する。電車は脱線する。飛行機は墜落する。大勢の人の命が規則とほんの数人の思考に託されている。よく「ずぼらな整備で事故が〜」みたいな報道もあるから、乗り物のメンテナンスを欠かさないことだって人間の仕事だ。
 こうやって屁理屈ばかり言ってないでちゃんと勉強をすればいいのだろうけど、どうしても反発したかった。自分より全体的に優れた人たちに対して猜疑心が生まれ、どこかしら欠陥を探す癖があるのだろう。君も完璧側に来るんだ、そう言われている気がする。日常的精神はなかなか向上しないだろうけど、せめて運転時くらいはまともな思考でいたい。以上。


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