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12/2 逆張りがかっこいい時代はもう古い

 タイトル通り。
 まあ思い返してみればかっこよかった時代なんて一度もやってきてないんだけど。そんなこと分かっていても、何度も「みんな知ってる物事を知らないことで常識から逸脱した自分かっこいい」と思い込む”あイタタ経験”をしてきている。しかもこれ一過性じゃなくて、今でも無意識に陥ってる時がある。なんと恐ろしいものだ。

 同じような拗れ方をした者なら、もう今回取り上げたい話題が何なのか想像つくだろう。サッカーである。
 なんか盛り上がってるらしいじゃないですか。流石の私だってニュースくらいは見るので、W杯? っていうのがやってることくらいは知ってますよ~。最初読み方分からなくて「ダブルハイ」って読んでた。ドーハの悲劇~とか日本がよく勝てた~とか日本が勝ったら桜の木の下に埋めてもらっても構わないよ~とか。色々目にしました。数少ない友人らも朝方まで応援してたし、その光景を傍から見てて楽しそうで仕方ありませんよ。
 私だって混ざって応援とかしてみたい。選手の一挙手一投足に一喜一憂して勝敗を皆と分かち合いたい。
 ……でもね、やっぱり無理なんだ。だって心の底から興味が湧かないんだもの。そもそもサッカーが苦手。球技があまり得意じゃないのもあるけど、必ず協調性が求められるあの環境は見てるだけで具合が悪くなる。人と協力する事が苦手すぎるから怖くて見ていられない。とことん捻くれてるんだわたしゃ。以前まではオリンピックも似たような意識があったけど、近頃は個人競技とかは見られるようになった。明確な相手がいないタイプのね。

 ここまでの自分語りを聞くと「タイトルでは古いとか言ってんのに結局逆張りしてんじゃねーか」と思われるだろう。私だって別に逆張りなんてしたくない。朝起きてリビングの扉を開けるとそこには誰もいなくて、テレビ前のテーブルにはレンタル屋のシールが貼られた映画のDVDがあり、キッチンには私の知らないピザの空箱とかお皿とコップが積まれたシンクがそこには広がっていて「昨夜みんなで盛り上がっていた」という雰囲気の残滓の目下で立っている気分なんだよ。本当に悲しくなる。当時食わず嫌いをして聴かなかったヒットソングを、今更聴いてみてハマったことも多々ある。だが、その話を共有する相手もいない。そのブームはみんなの中ではとっくに過ぎているのだから。この悪癖に関しては、友達が少ない理由にもろに影響している気がする。
 逆張りといっても、流行のゲームをプレイしたりトレンドのミームを見ていたりと、サブカル方面では全くの受け入れ姿勢を見せている。じゃあその延長線の上でそれらを受け容れられるかといえば、協調というのを見せつけられると考えると、やはりそれは自分には無理だと絶望する。でも、苦手意識のあった曲を時間が経てば聴けるようになったように、いつかみんなとサッカーなどのスポーツの話題で盛り上がれる自分が現れるかもしれない。来るといいな、そんな未来。


最後に、近しいマインドを持っていて親近感の湧くにゃるら氏の一口エッセイも載せておく。


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