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1/24 託すなその期待、甘すぎるなその虚像

 こんばんは。今週は寒波がやってくると聞いて、いつもは21℃に設定しているエアコンの温度を22℃にしました。1℃上げただけでも、足元から忍び寄ってくる冷たい空気が温風によって封殺されていくのがわかる。暖かいね。
 去年の春休みもこうやって過ごしていたことを思い出す。家族は大体仕事でいないので、その時は自室の温度と湿度を極端に上げて引き籠り、ポケモンアルセウスをひたすらやることで「自分の部屋以外は廃れてしまい、彩度が失われていないのは私の部屋の中だけ」という妄想に浸っていた。部屋から出る時は、ノブを捻る前に深呼吸をして”調達”という意識でリビングに赴いていた。なかなかポストアポカリプス感を楽しんでいたように思う。

 さて、話は変わって。期待しすぎることってよくある。特に人間関係において、相手に過度に期待しすぎて、いざ予想から外れた返答をされるとひどく落ち込む。期待外れの時の反動形成は人によって異なるが(母は他者に八つ当たりすることが多い)、私はとにかく自分を責める質だ。相手は私の駒なんかじゃないのに、自惚れてしまった、つくづく相手のことを考えないな、と卑屈の坩堝に吸い込まれていく。このゲーム一緒にできたら面白そうだな。ここでこの話題持ち込めたら盛り上がるかも? 向こう見ずに構想だけ練りに練って、実際に誘ってみたら断られたり、うまくいかなかったり。そういう時、本当は相手の意思を頓着していなかったことに気付いて、自分が心底恥ずかしくなって消えたくなる。
 今日も卑屈に飲まれかけた。最近授業のコマがよく被る人と話すようになり、大学内で唯一の友人になった方がいる。以前、その方が行きたいと言っていた場所があり、近場だったこともあるので春休み中に遊びに誘った。いつも通り、お伺いを立てる前に自分の中で妄想に近い予定を立てていたので「目的地に到着する前にここで休憩できそう」「どこから回ったら面白いかな」とワクワク思案しながら「二月はいつ頃遊べる?」と聞いた。前向きな予定に関してはテキパキと組む立てることができる。だけど断られた。遊べる時間ないんだって。
 仕方ない。そもそも、もっと前から話してみるべきだったのだろう。でも不意に話を振ったというよりは、来月の予定をたずねたのだから、よほど時間のない人でなければ時間は空いていると思っていたのだ。そっか、じゃあまた今度だね、と言葉少なになり今日のところは退散した。これは今夜は反省会コースか~? と自棄気味に帰宅をした。けど、正直未だに後悔が身に沁みていない。なんだか吹っ切れたような気がする。くよくよ悩んでても詮無いことだし、また誘えばいい。心の皮膚が数ミリ厚くなり、硬質化したようだ。ただ、それはそれで感性を徐々に失っている心地にもなって複雑だ。しかし、この皮膚もきっと誤差だろう。数日経てば元通りのふにゃふにゃになる。また硬くなる。スパンの短いふにゃかたふにゃふにゃかたふにゃふにゃループだ。


今週の顔。FFシリーズⅥしかやったことないです


 今日はここまで。みんなは遊びに誘う時は事前に話しておこうね。じゃ!(知っておこう)

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