明けなかった方の若者
恋愛文筆の旗手、カツセマサヒコ氏の新作『明け方の若者たち』がTwitterで話題(新作だしね)なので、絶対ハマらないだろうと思いながら、本屋でチラ読みしてみた。
なるほど、ヒロインとの出会いの舞台が、「勝ち組合コン」だった。勝ち組なる呼称をもちろん主人公は皮肉っている。が、一流会社に内定をもらった者だけが参加する云々の描写に、わが懐かしき暗黒時代を思い出し、うんざりして、本をそっ閉じしてしまった。
大学が直接原因ではないが、世間の就活時に鬱を発症し、社会不適合が決定づけられた、いわば私の負の分岐点が大学時代だ。
リア充の甘酸っぱ小説。落伍者は冒頭で見事なスクリーニングにかけられ、すっ転び落ちる他ないのである。いや、あくまでおのが話。本設定にはあまりにナイーブな自分、自分にはあまりにセンシティブな設定、というだけ。
ところで、髪型というのは、自分の体の一部でありながら男女ともわりと改変可能で自己表現できるゆえ、人の印象を左右する。名は体を現すというが、髪はもっと現す。
私は昔から量産型、つまりその時最も流行っているような髪型が、嫌いである。
「私は時代に適応してい(き)ます」
「私はモテたいです」
そういった気持ちの表明だと思って、その人への興味はすーっと減じていく。今まで男女とも友達にすらなったことがない。順応力がある素直なタイプであろうマジョリティな人々は、自分と対極すぎるのだ。
女性のヘアスタイルは多様になり、今一概に流行っている髪型を言うのは難しいが、男性はまだまだわかりやすい。
マッシュ系の重たい前髪。あれが苦手だ。そう、カツセマサヒコ氏はまさしくその髪型だ。
偏見に満ち満ちている私は、作者の髪型が苦手だから著作に食わず嫌いしている、というのもある。しかし髪型は人を現すと信じているので、やはり難しい。
もしカツセ氏が今後、坊主か、サイド刈り上げの短髪(非EXILE系)か、長髪マンバンに変身大成功したら、鼻息荒く本屋に走るかもしれない。顔全開の髪型期待しております。
全く何様なんだ、と我ながら。しかし、社会にも恋愛にも敗け越しまくった者の(もしあるのであれば恋愛)小説の方に、よっぽど惹かれるのだから仕方ない。
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