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『行けたら行く』ってそのまんまの意味じゃなくね???

 『「行けたら行く」はまず来ない』と言うような話を、世の中の不条理みたいな語り口で説明する人が本当に多いのだけど、マジで「行けたら行く」を「行くつもりがある」と理解する人がいるのだろうか?

 何というか、その辺がなんか割ともやっとしている。

 「行けたら行く」なんてよほど年寄りでもないならば、割と日常的に耳にしている気がするけれど、もはや慣用句として成立していないか?
 慣用句として存在していることは理解しているけれど、それでも納得出来ないという話なのだろうか?

 人によって文脈は違うにしても、結論としては理不尽な拒絶扱いされている。

 「行けたら行く」の"行けたら"は誰が判断するのって考えれば疑問の持ちようがないだろう。
 それは相手が判断して、その判断によって行くか行かないか決めるって意味だ。
 十分に好意的に考えたとしても、行く確率は50%を上回ることは考えにくい。

 「行けたら行く」は、要は「(行けるか行けないかはその時に俺が判断して)行けるなら行く」と言う意味だ。
 だからそこで「行けない」と判断されても仕方ない。

 "行けたら"をそれ以外の方法で理解できなくないか?
 ひょっとして「AとBは同じとされていたが(これこれの理由で)実は違う」と言う一文を「AとBは同じ」と理解してしまうタイプの人か?
 "行けたら"と言う部分を不要な部分と切り捨てて、核心の"行く"しか判断できない人とか?

 まさか「来い」って言ってる相手に「行ける?」って同意を求めてるって意味にはならないだろうと思うのだ。
 それなら「行けたら」ではなく、「行っていいの?」って聞くわけだし。

 少なくとも、この言葉が人口に膾炙しているのだから、そのような推論は「無理のある推論」とは言えないと思うのだけど。

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