拝啓、現実主義者様

5月26日に貴殿が投稿された、アイドルマスター シンデレラガールズについての投稿、「工藤忍・今井加奈の担当へ」。私も拝読した。

単刀直入にお願いします。
工藤忍・今井加奈を担当しているプロデューサー各位は、担当を島村卯月に変更してください。

といきなり衝撃的な書き出しで始まる文章には、TwitterなどのSNSで私をはじめ多くのプロデューサー諸氏の反響を呼んだが、概ね「怪文書」と評されて沈静化したようである。要するに、まともに取り合うだけ損と見なされた形か。

私もこの書き出しには驚いた。そして本文を一通り読み終えると、まず頭にきた。足はみなみを向いた。なぜなら私は今井加奈担当だからである。ピンポイントで喧嘩を売られた気分である。

しかし、冷静になってもう一度読み返し、更に5月31日に追記として投稿された「補足:工藤忍・今井加奈の担当へ」を拝読したことで、貴殿の論拠はそれなりに理解したつもりである。これを前提に、私なりの反応を貴殿宛の手紙という形で述べさせていただく。

なおこの手のオタクお気持ち表明には「主語をやたら大きくとる」や「冗長で脱線が多い」などが悪癖としてありがちである。そうならないように注意して推敲を重ねたが、それでもそのように読み取れてしまった場合は、横山千佳の胸よりも薄っぺらく背よりも低い私の文才の責に帰するものであり、平にご容赦いただきたい。

私はシンデレラガールズにどう関わっているか

いきなり自分語りで恐縮だが、十人十色のプロデューサー諸氏の中で私がどのような立ち位置で私の考えを持つに至ったかを示す意味はあると思うので、簡潔に紹介させていただく。

幸か不幸か他の作品でもマイナーなキャラクターや作品そのものがマイナーなものに魅かれることが多く、「公式から報われない」ことにかなりの耐性がついたオタクとなってしまった。

そんな中でシンデレラガールズの存在を知ったのは2013年。コミカライズ作品がきっかけだった。ただソシャゲ廃課金者の話を聞いて課金に尻込みしてしまい、それから6年間はゲーム本編には触れずコミカライズ作品と二次創作の閲覧で過ごし、2019年夏にようやくルビコン河を渡ってデレステを開始、現在PLv105である。担当は今井加奈のほか、矢口美羽、斉藤洋子、原田美世、高峯のあ、梅木音葉、など。お察しの通り全員CV未実装である。

「量産型Cu」理論の功罪

まず、貴殿が仰った「量産型Cu」という概念はひとつの正しい捉え方だと思う。

分かりやすく可愛い典型的なアイドル、普通の女の子のきらびやかな世界への憧れという典型的なアイドル物語は、世界観の芯を定めるために必要なものであり、それを描くために『量産型Cu』のキャラクターを据えることは必須といえる。そういう直球の人物なしに個性派の変化球ばかりを描くようでは、世界観の把握が難しく、一般的に受け入れられず、マニアックな人気に留まるものになるだろう。

これは真理だと受け止めた。正統派を軸に据えてこその個性派である。百花繚乱も度が過ぎれば百鬼夜行になりかねない。

だが、上記を補足記事で後出しにしたのは大きな悪手ではなかったか。5月26日の投稿では冒頭であの衝撃的な書き出しのあと、バランスをとるでもなく

彼女らは個性が非常に薄い。なんとなく可愛いことの他には特筆するような能力はない、いわゆる普通の女の子が頑張ってアイドルやってる、というキャラクターである。
もちろん彼女らはそれぞれ年齢も、性格も、体型も、出身も、趣味も、話し方も、アイドルとしての活動やユニット関係もそれぞれ違う。担当たちはその微妙な違いを楽しんでいるのだろうし、薄いながらもその違いを個性として輝かせることを望んでいるのであろう。
しかし、身も蓋もなく言えば、これらは相対的に些細な違いに過ぎない。詳しくない、思い入れもない人たちが客観的に見たときに、多少の見た目や表面的な設定が違ったところで、「核」となる部分が同じであるようなキャラクターが2人いれば、良くてそっくりさん、悪く言えばコピーと見なされるであろう。

この記述である。補足記事を読んだ後に読み返せば意図は察せるが、数あるCuアイドル達を「良くてそっくりさん、悪く言えばコピーと見なされるであろう」と一刀両断したうえ、その例えに担当アイドルの名前を出されては、怒りを買っても仕方ない。特に「微妙な違いを楽しんでいる」とは、「詳しくない、思い入れもない人たちが客観的に見た」らそうかもしれないが、私にとっては大きな個性の違いである。

私の主観で今井加奈を例にとるなら、ツインテール枠なら中野有香がいるし、セーラー服高校生枠なら多田李衣菜がいるし、前歯枠なら安斎都がいる。

島村卯月には声があり、歌があり、ニュージェネの一人として恵まれた出番が今後も間違いなく約束されている。大金を投じたり必死にtwitterで選挙活動しなくても、卯月は歌ってくれるし喋ってくれるし活躍してくれるのである。

という貴殿の理屈に従うなら、特にCVが既に実装されている中野有香に切り替えれば既に声も歌もあるので充分代えが効く、という理屈になるだろう。

だが、暴論である。あまりにも暴論である。今井加奈は今井加奈としての容姿とキャラクターが気に入って推すのであり、中野有香は中野有香としての容姿とキャラクターが気に入って推すのである。二人の違いは貴殿が思うよりも大きく、似ているかどうかは問題ではない。プロ野球でオリックスファンに「阪神も本拠地近いんだからそっちでいいじゃない」と言うようなもので、言えばその瞬間から阪神地域での命の保証はなくなる。

極論すれば「詳しくない、思い入れもない人たちが客観的に」どう見ているかなど知ったことではなく、自分が誰を推すか決める要素に値しない。他人の視点に遠慮したプロデュース業の何が楽しいのか。許す限りの有り金を投じることも含めて楽しんでいるのだから、「大金を投じなくても」は大きなお世話である。

私は『量産型Cu』の存在意義を一切否定しない。むしろ必要不可欠であり、アイドルゲームであるシンデレラガールズにとっては中核的な価値観ですらあると考えている。

5月31日の投稿でこう追記していただき、安心するとともに初めて論拠を察することができたが、残念ながら私の読解力では5月26日の記事だけだと、どう読んでもやはりピンポイントで喧嘩を売られたとしか受け取れなかったのである。

全ては「増えすぎてしまった」こと

『量産型Cu』に存在意義はあるが、『X人目の量産型Cu』の存在意義はXが大きくなるほど薄れていく。これが元記事で本質的に訴えたかったことだ。(中略)
工藤忍と今井加奈は、現時点で声が付いたとしても『X+1人目とX+2人目の量産型Cu』にしか成り得ない。

繰り返すようだが、言わせていただく。なぜこの本質的な訴えを5月26日にハッキリ示していただけなかったのか。私もそうだが、5月26日の段階でこれを見抜けた読者は少なかったのではないか。夢見りあむが読者だったらとっくに本能寺で焼死していておかしくはない。

『量産型Cu』というのは個性がほとんど無いことそのものが特徴であるから、比較的作りやすいし生まれやすいのである。
(中略)
Cuらしく可愛らしくて万人受けするアイドルを作ろうとすると、どうしても強く個性的にすることは難しく、結果的に『量産型Cu』になってしまうケースが多くなるのは必然的なものと言わざるを得ない。
(中略)
『量産型Cu』らの差異の小ささを考えれば、ほんの小さなゆらぎ、些細な条件の違いで明暗がまったく変わっていてもおかしくなかったのではないだろうか。図らずも現実がそうなっていないのは(中略)残念であり理不尽さも感じるだろうが、それでも現にX人(数え方はお任せしよう)の『量産型Cu』に声が付いているという現状は変えるべくもないのである。

この理屈には私も納得したし、今井加奈担当としてはあるまじきことかもしれないが、同意見である。

2011年11月28日のデレマス開始当初の時点でCuアイドルは既に30人いた。私の主観ではあるが、まだ各アイドルのキャラクターが掘り下げられていなかった当時、その3分の1以上は量産型Cuに当てはまったと思う。当時はまだシリーズ開始から6年以上経っていた「765プロ」の作品群しかなかった頃である。それに対し、全く違うアプローチで創りはじめたのがシンデレラガールズの当初の意義だったことだろう。

実験作のような位置づけでもあった以上、万が一シリーズ自体が失敗した際に運営が巨額の負債を抱えるリスクを思えば最初から100人全員にCVを実装するなどあり得なかったことは理解に難くない。

だが、順調に評価されプレイヤー数を伸ばし、現実世界でのアイドルグループに倣って「シンデレラガールズ総選挙」を開始し、「総選挙で好成績を残したアイドルに優先的に声が振り当てられていく」という流れが確立したことが、多分に結果論でしかないが現在に至る禍根の始まりだったのかもしれない。特に第一回総選挙は投票母数が今とは桁違いに少なく、組織票の動員などもなかっただろう。そこで上位に入ったか入らなかったかは、本当にその当時総選挙に参加したプロデューサーの嗜好がたまたまその割合だっただけでほぼ左右された、まさしく「運の要素」だったと思う。それを後から参加したプロデューサーが物申すのは筋違いというものだ。結果論だけなら何とでも言えるが、時計の針は戻せないのである。

そもそもは『量産型Cu』が増えすぎてしまったのが元凶であるが、そのことで運営を責めるのも難しいだろう。というのも、『量産型Cu』はその性質から言って増えやすいという宿命的な特徴があるからだ。
(中略)
Cuらしく可愛らしくて万人受けするアイドルを作ろうとすると、どうしても強く個性的にすることは難しく、結果的に『量産型Cu』になってしまうケースが多くなるのは必然的なものと言わざるを得ない。
(中略)
だからといって状況を好転させる方法があるとは思えない。なればこそ、構造的に活躍の難しい彼女らをわざわざ担当して、分かりきった苦しみに悶えるプレイヤーの存在も、推すプレイヤーが居る故に無理に出番をひねり出して活躍させきれず苦慮する運営も、どちらも生産的とは思えないのである。

ここも基本的には同意する論点である。そのうえで私個人の考えも交えるため少し話が大きくなるが、重ねてご容赦いただきたい。

開始当初のモバマスなら、Cuらしく可愛らしくて、個性がさほど強くなく万人受けする量産型Cuは王道中の王道であり、どれだけいようが問題なかっただろう。「私たち、よく似てるね」と本人同士が認め合うようなキャラクター2人が生み出されてもおかしくはなかった。その観点では、確かに当初の運営の判断を責めるのが難しいのもその通りだと思う。

だがそこからの3年弱で、当初の100人でさえ多かったアイドルは183人まで増え、量産型Cuも相応に増えすぎてしまった。2015年9月3日のスターライトステージ開始当初の時点で、シンデレラガールズ総選挙は第4回まで行われ、加えて地上波アニメ化に伴うサプライズCV実装もあったが、とても追いつける数ではなくなったと言っていいだろう。2012年にCV実装を始めた段階で「全員にCV実装する代わりにこれ以上アイドルを増やさない」か「CV実装は一定数に留め、それ以外は実装されることはないと明言する」の選択肢もあったはずだ。過ぎたことを責めても仕方ないのだが、この点は明らかに運営側の判断ミスだと強く思う。

ましてスターライトステージのシステムは、アイドル全員が登場するため、CV実装の有無がもたらす格差をアニメ以上に残酷に浮き彫りにした。190人全員にCVを実装するなど、それにかかるコストと時間を考えれば沢城みゆき御大並みの器用な声優を複数連れて来て艦これやけものフレンズを上回る1人10役ぐらい兼任でもさせない限り非現実的でさえあるのに、CV実装の具体的な姿勢を明確にしないままメジャータイトルになってしまいこの現状である。貴殿の仰る通り生産的ではないし、好転させられる要素もない。

だがその状況の打破を、「プロデューサーに担当変更を求める」ことだけに求めるのは私は納得できない。シンデレラガールズの世界を広げられないとすれば、その責任は運営とプロデューサーの双方が負うべきものだ。私はこれまでのゲームプレイを通じた運営への要望がこの現状を招いたのであれば一人のプレイヤーとしての責任を負わねばならないし、運営は運営を生業としている以上、その結果が意図したものであれ意図しなかったものであれ責任を負わねばならない。

そして運営は何らかの形で落とし前をつけねばならないだろう。その結果がたとえアイマス史上初の「CV未実装アイドルの解雇」という最悪の事態を招いたとしても。そして解雇対象が私の担当だったとしても。

もしそうなればユーザーの激しい反発や離反を招くのは必至だが、それならそれで双方痛み分けという理屈が成り立つし、運営は相応の痛みを受け止めて教訓を遺すこともまたサービスを有償で提供する企業活動の責任のひとつではないのか。運営は慈善事業で娯楽を提供しているのではない。コストをかけ、対価を得て、サービスを提供することは、シンデレラガールズとて例外ではない立派な営利活動である。それに関わるリスクや代償も、当然つきまとう。CV実装の問題は、そのひとつだと考える。

私は待ち続ける

「声なしアイドルの担当は、そのアイドルに声が付くことでシンデレラガールズの世界が広がるという確信がないのであれば、他の声付きのアイドルに担当を変更してください」
(中略)
ただし、それが『量産型アイドル』ではなく、シンデレラガールズの世界を広げるに足ると確信できるのであれば、担当を続けることは止めません。茨の道ですが、あなたの担当にしか出来ない何かを目指して頑張っていただきたいと思います。

私の担当は貴殿の仰る「声のない量産型アイドル」である。それは認める。また残念ながら、声がついたからといってシンデレラガールズの世界が広がるという確信はない。だが他の担当に変えることはない。貴殿にそれを求める権利もない。担当アイドルは担当アイドルとしての容姿とキャラクターが気に入って推しているのだ。他の量産型アイドルがどれだけ似ていようが彼女以外は別人である。別人を同じようには推せない。

彼女たちに声を追加する価値が本当にあるのであろうか?
(中略)
ただの自己満足と逆張りのために、あなた自身のゲームの楽しみも、コンテンツ全体の利益も損なうことが、果たして正しいのか?

この問いへの答えは「ある」。彼女が喋る話を「聴く」ことだけで価値がある。個人的な価値観では声は他の要素と同格なので、声優が他のアイドルとの兼任でもいい。私個人はもはや来年や再来年に実装されるとは思っていないが、いつかは実装されると信じている。10年だって20年だって待てるのだ。筋金入りのマイナー勢を舐めないでいただきたい。もっと言うなら、CV実装という大きな楽しみを待つCV未実装のアイドルを推している身よりも、CVが既に実装されながらあと一押しの要素に欠け50位前後を低空飛行し続けているアイドルを推している身のほうが、余程辛いのではないかとさえ思う。

自己満足だから必ずコンテンツ全体の利益を損なうわけではないし、逆に言えば選挙に勝てないことを嘆いて当たり散らすのはCV実装済のアイドルのプロデューサーでも見受けられることである。プレイヤーの母数が多いとそれに比例してバカの数も増え、その行動もより目立つのはメジャータイトルに避けられない話である。


現実主義者様、貴殿の問題提議は見事であった。「『量産型Cu』に存在意義はあるが、『X人目の量産型Cu』の存在意義はXが大きくなるほど薄れていく」という観点は、CV実装に限らず該当する各アイドルのキャラクター戦略において無視できない重要な問題だと思う。

だが、論拠の示し方が足りなかった。それゆえに多くのプロデューサー達に怪文書と断じられたことがまず残念だった。また、その解決策は貴殿と私とでは明確に異なる。貴殿は担当変更を求めて健全な運営が維持されることを第一義とするが、私はたとえ担当が他のアイドルとのCV兼任、あるいは万が一解雇されることになっても担当の存在そのものを第一義とする。

言うまでもなくあくまで私一個人の考えであり、他の量産型Cuアイドル担当プロデューサーにはまたそれぞれの考えがある。ただ、貴殿が例えに挙げたアイドルのプロデューサーとしての考えを示したく、乱筆乱文ながらしたためた次第である。

思想は違えど、お互いにシンデレラガールズを憂いての意思表示であることは間違いあるまい。貴殿の今後ますますのご健勝とご多幸をお祈り申し上げて、筆を置かせていただく。

6月22日

敬具


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?