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鉄道150年特集バックステージ⑭・「訓練された乗客」が日本経済を押し上げた。コロナで何が変わるのか

『巷説 東京地下鉄道史 もぐら見聞録』(1985年、日本鉄道図書)という、タイトルからしていかにも面白そうな本があります。著者の吉村新吉さんは、1937(昭和12)年、高等小学校卒業後に当時最先端の仕事だった東京地下鉄道に入社。駅員、運転士を経て出征し中国戦線に。復員後は東京高速鉄道と合併してできた営団地下鉄に戻り、運転部から運輸司令長、運転課長と実力ポストを歴任された方です。正史には出て来ないようなさまざまな現場のエピソードが、落語のような軽妙な語り口で満載された知る人ぞ知る本です。


吉村さんが1959(昭和34)年、運転課員として丸ノ内線開業後に混雑が激しくなった赤坂見附駅のラッシュアワーに毎朝出向き、乗客に整列乗車を呼びかけて奮闘したエピソードがあります。
「地下鉄道株式会社入社の時の改札口での「有難うございます」以来の大声でお客さんにお願いし、案内し、ときには「混んでいて乗れませんョ」などと半ば脅かしたりして特に銀座線浅草行列車の整列乗車に従事していた。あの頃、傍で見ておれば馬鹿でかい声で一生懸命青筋たてて叫んでいると思われたと思うが、それが延々現在まで続く整列乗車の始まりであったと思えば、随分、効果があったと一人己惚れているのである。」

それまでの鉄道に整列乗車の習慣はなかったと言われています。整列乗車の始まりは諸説ありますが、1953(昭和28)年に開業した丸ノ内線が、大手町、東京、銀座まで延長し混雑が激しくなったため池袋駅で行ったのが最初、という説もあります。吉村さんは「渋谷に続いて」赤坂見附でと書かれています。戦後の銀座線の混雑も激しかったと聞きますので、赤坂見附はおそらく営団地下鉄で2つめか3つめだったのでしょう。

戦後、東京への都市集中は急激に進み、郊外には大規模団地や建売住宅が数多く建設され、通勤電車のラッシュはたいへん激しくなりました。1965(昭和40)年頃に、通勤輸送はパンクすると言われ、国鉄は「通勤五方面」と呼ばれる東京の各線を複々線化して輸送力を拡大する施策を、投資額に限りのある私鉄は日本民営鉄道協会を中心に時差通勤を訴え、ラッシュのピークをしのごうとしたのです。

300%になろうとする乗車率、乗り換え客で溢れるホーム……これらを乗り切るため、整列したり速やかに乗り降りしたり。通勤客も知らず知らずのうちに「訓練」を自らに課してきたのです。

わたくし(偽)は1980年代末、バブル崩壊直前に大学生から社会人になりましたが、東武伊勢崎線北千住駅で乗り換えをしていました。アパートのあった小菅駅と北千住の間は最混雑区間、満員の圧力で開かないドアをこじ開けて乗り込む始末でした。

北千住駅の上りホームはさらに大変でした。新しい運輸大臣が就任すると、必ず視察に組み込まれるほどの激しい混雑。東武線の電車が着くたび、同じホームの日比谷線へ乗り換える人の波がどっと押し寄せていくのです。(タイトル写真がそれです)

それでも混雑が破綻せず、パニックも事故も起こらなかったのは整列乗車のおかげでした。一つのドアにつき、横に3人×3列の列が形成されるよう、ホーム上には枠が引かれていました。すぐ次の列車に乗る「直通」、左脇に「その次」、そして「始発」。乗客を詰め込んだ日比谷線が出発すると、それぞれの列がざざざ、と右にずれ、次の電車を待ち構えるのです。北千住の乗客たちは、日本で最高度に訓練されていたと言って過言ではないでしょう。正確な朝ラッシュの通勤輸送は、こうした乗客の訓練によって回っていたのでした。

2001年に刊行された『定刻発車』(三戸祐子、交通新聞社)は、日本の鉄道がどうして世界で最も正確に運転されているのかを、通勤輸送を巨大システムととらえて運転技術や危機回避の運行システムなどを鉄道の現場でつぶさに取材してまとめられ(現在は新潮文庫に収録)、鉄道業界でも大変高い評価を受けた本です。

「鉄道の時間の正確さは日本人の時間感覚をつくり出した」と私たちは考えていますが、『定刻発車』で三戸さんは、鉄道が時間に正確になったのは大正時代だと証明します。しかし、その後は時間に正確、精緻な大量輸送を実現した日本。それによって日本社会がどう変わったか、三戸さんは「小走り」をキーワードに、訓練された通勤者が整然と動くことで、通勤輸送のみならず日本の生産性も上がっていったのだと喝破します。つまり、日本の高度経済成長は「通勤」という行為で成し遂げられていったと。

しかし、時代は低成長となり、加えてコロナ禍による外出制限で、通勤の概念が変わり始めています。ポスト・コロナで通勤はどうなるのか、そして私たち日本人の時間感覚、生活感覚はどう変わっていくのか。鉄道システム全般を俯瞰して「なぜ日本の鉄道は正確なのか」を導き出された三戸さんは、未来をどう見据えているのか。間違いなく訓練された通勤者の一人であった私にとって、最初はちょっと抵抗感のあったお原稿ですが、日本社会のあり方を痛烈に突かれています。タイトルは「乗客の『小走り』が支えた、定時運転と日本の近代」ぜひ、本誌で確かめてください。(偽)


2020年4月21日、夕方前の横浜駅コンコース。こんなに見通せるほど人が少ないことはなかった。
同日、16時半過ぎの東急田園都市線・半蔵門線渋谷駅ホーム。人影はまばら。


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