『女子高生、ドラゴンを飼う』

一体餌には何を上げればいいのか。
美由希は自分が連れてきた生き物を前に、途方にくれていた。
ドックフードは食べるだろうか?キャットフードは?
いっそのことペットショップにでも持ち込んでみようか?
そんな事を考えて
(待て待て待て)
少女はかぶりを振った。
この生き物をペットショップに連れて行く?
そんなことできるはずない。
少女はこの奇妙な生き物を見つめた。爬虫類めいた鱗、蛇のような長い首、蝙蝠そっくりの翼。
「ドラゴン、だよねぇ」
少女が拾ったのは、小鳥ぐらいの竜だった。


「大伴さぁん」
朝の教室。
美由希は自分の名前が呼ばれて死にたい気分になった。絶対にロクなことにならないからだ。
自席で読書に勤しんでいた美由希の前に現れたのは、クラスメイトの杉山薫だった。
「おはよう、大伴さん」
そう言った薫の口元は意地悪く吊り上がっている。
スクールカーストの頂点に立つ薫の周囲には金魚の糞めいた取り巻きがいる。薫のファッションや髪形を真似た取り巻き共は、どいつもこいつも下手な模造品みたいだ。
「おはよう、杉山さん」
美由希はできるだけ平静を装う。
「大伴さんってさぁ、いつもボンヤリしてるよね」
薫はあくまで親しげだ。
「そう?」
「朝食、しっかり食べてないんじゃない?心配なのよ」
美由希は薫が何がしたいのか分からない。しかし取り巻きどもはニヤニヤ笑っている。
そうしている間にも、何かを察した他のクラスメイトたちは美由希と薫たちから一定の距離を取り始める。
「大伴さんはもっとしっかり食べた方がいいと思って。差し入れがあるの」
そう言って薫は、美由希の机の上に薄汚れた瓶を置いた。
理科室から盗んできたのか。それはヒキガエルのホルマリン漬けだった。
薫の取り巻きたちが美由希を押さえつける。
取り巻きの一人が瓶に手をかけて、開こうとする。
美由希は絶望した。
このホルマリン漬けを食べろって言うの?
少女は必死に体を捩って逃げ出そうとした。しかし、取り巻きたちがそれを許さない。
取り巻きがなかなか瓶を開けられないので、薫は痺れを切らしたようだった。
薫は瓶を机に叩きつける。派手にぶち撒けられるホルマリン液。それをもろに浴びたのは美由希だった。教室の中にツンとした薬品の匂いが一気に充満する。
「くせぇ〜」
「臭っ!なんだこれ」
クラスメイトから口々に声が上がる。
薬品のすえた匂いとヒキガエル。
それは美由希に吐き気を及ぼすには充分だ。
彼女は床にゲロを吐いてしまう。
「うわっ!窓開けろ、窓!」
ホルマリンと吐瀉物の匂いで、教室は阿鼻叫喚の有様。
「勿体無いなぁ。せっかく朝食を準備してあげたのに」
薫は「なんでこんなことしちゃったの?」って顔だ。
(死ねっ・・・死ね死ね死ね!)
美由希はありったけの憎悪をもって薫を睨みつける。
耳障りなチャイムの音が鳴った。
薫と取り巻きたちは何事もなかったみたいに自席に帰って行く。
「おはよう、みんな」
担任の黒田が教室に入ってくる。
黒田は吐瀉物の中に膝をつく美由希を見た。
「出席を取るぞ」
しかし何もないみたいに出席を取り始める。
教室に充満する匂いに対しても何も言わない。
黒田は見て見ぬふりをするのが一番だと知っているのだ。
「大伴」
担任はいつも通りに出席を取る。
「・・・はい」
美由希は汚物の只中にいた。


美由希は暗く汚れた空き教師で昼食を取っていた。クラスの中にいるよりはいい。
「美由希、ここ?」
親友の叶絵が教室に入ってきた 
美由希の唯一の友達。
同じ美術部で幼馴染。
「今朝は何があったの?廊下まで凄い匂いがしたけど」
「ホルマリン漬けのヒキガエル食わされそうになった」
「うわぁ・・・薫もよくやるよ」
薫は一年ほど前から美由希をイジメるようになった。その行為はどんどん過激にエスカレートしている。
「流石に度を越してるよ。私がPTAとかに言って・・・」
「やめて。そんな事したら次のターゲットは叶絵だよ」
「そんな事言ったって・・・あれ?」
叶絵が窓の外を見た。
「あれって美由希の荷物じゃない?」
グラウンドを薫とその取り巻きが鞄を持って走って行く。
「・・・」
クラスにいなきゃ何もされないと思った美由希は甘かった。


放課後、雑草だらけの空き地の中で、少女は自分の鞄を探していた。
薫はこの空き地に美由希の鞄をぶん投げたのだ。教科書なんてどうでも良かったが、中には図書館に借りた本も入っている。あれは見つけなきゃいけない。
空き地は不法投棄されたゴミだらけ。
こんなところで必死に鞄を探していて、美由希はひどく惨めな気持ちになった。
鞄が見つかっても彼女の気持ちは沈んだままだ。
夕陽に照らさる学校が見える。
みんな死んでしまえ。
美由希はそう願った。
きぃ・・・きぃ・・・。
ドアが軋むような声が聞こえた。
何の音だろう。
変な音なんて放っておけばいいのに、彼女は音の発生源が気になった。
草の城をかき分けながら、音の位置を探る美由希。そんな彼女の目に飛び込んで来たのは、奇妙な生き物だった。
画面の割れたテレビの中にいた生き物。それは小さな竜だった。
「う、わ」
美由希は変な声を出した。触れてみたいと思った。
竜は興味深そうに美由希を見ている。
美由希は噛まれるのを覚悟で竜に手を伸ばす。しかし噛まない。竜は少女の手の中に大人しく包まれたのである。
美由希は鞄の中に竜をそっと入れた。
そのまま足早に走り始める。
何故こんな訳の分からない生き物を拾ったのか。
何故そんなことをしたのか自分でも分からない。
でも、その時はただそうしたかったのだ。
少女は笑っていた。


美由希は町外れの空き家で竜を育てることにした。この空き家は「入ったら呪われる」と噂のある幽霊屋敷。人も来ないのでちょうど良かった。
美由希は放課後や空き家に入り浸るようになった。少女はこのファンタジックな生き物の世話にのめり込んだ。
竜の餌には爬虫類の餌用の虫を与えた。
竜はすくすく育ち、すぐに子犬ほどの大きさになり、まさに忠犬めいて美由希になついた。
美術部で絵が好きな美由希は竜の絵をスケッチするのが日課になった。
美由希の両親は不仲であり、彼女はできるだけ家に帰りたくなかった。竜と少しでも長くいたかった。

ある春の夜、彼女は竜を自転車籠に入れて隠し、空き家を出た。『E.T.』を連れたエリオット少年の気分だ。
山の上の自然公園まで行き、そこで竜を放した。家の中では狭いので、たまにはのびのびと飛んで欲しかったのだ。
夜空の中を舞うように飛ぶ竜。月の光に照らされる竜は美しかった。
「これ、私に?」
竜は折れた梅の枝を咥え、美由希に差し出した。
少女と竜にとって、最も幸せな時間だった。


しかし竜は勝手に住処から何度も逃げ出していたらしい。空き家付近に変な生き物がいる、という噂が周囲に立ち始めた。
しかも竜はもはや子牛ほどのサイズになり、いよいよ空き家では手狭になってきていた。
別の場所を探さなくては。
そう美由希が思っていた矢先だった。
薫の家で飼われていた大型犬が攫われた。
クラスではその話題で持ちきりになっていた。
嫌な予感がしながらも空き家に戻る美由希。
やはり犯人は竜だった。空き家の中は血と肉に溢れていた。竜は犬の肉を貪り食っていた。
「なんで・・・こんな・・・」
驚く少女に、竜が心配そうに擦り寄る。
「いいよ、君は悪くない。悪いのは私だから」
美由希は竜を抱きしめた。少女のことを心配してくれるのは、叶絵と竜だけだったから。


その夜、美由希が竜と共に空き家にいると、誰かが侵入する気配があった。
入ってきたのは薫の父だった。
薫の父は愛犬を探し、変な生き物の噂を聞いてこの空き家に入ってきたらしい。
少女は竜を隠そうとするが、もう遅かった。
「なんだ?どういう生き物だ!?」
薫の父は竜を見つけてしまう。彼は猟銃を構えていた。
「逃げて!早く逃げて!」
男に飛びかかる美由希。
「誰だ?お前から撃たれたいか!」
猟銃を向けられる少女。
しかしその時、太陽が部屋を横切った。
竜が炎を吐いたのだ。神話のドラゴンめいて。
空き家は一気に燃え上がり、薫の父は這うように逃げ出した。
美由希も急いで家から飛び出す。
竜は空を舞っていた。
少女と竜はじっと見つめ合っていたが、どちらかが目を逸らした。それが別れの合図になった。
竜は夜空に飛び去った。
消防車の音が近づく中、美由希もまたそこから離れた。


空き家が燃えてからしばらくは何もなかった。美由希は、SNSにドラゴンの目撃情報なんかが上がったりするかと思っていたが、そんなこともなかった。竜はうまく隠れているらしい。
ある日の放課後の事だった。
美由希が帰ろうと自席から立ち上がった、その時だった。
「いっ!?なにっ!?」
少女の耳元に凄まじい痛みが襲った。血が溢れ出す。
耳たぶを釘が貫いていた。
薫だった。
薫がネイルガンで美由希の耳をぶち抜いたのだった。
「なん、で、いきなりこんな」
「お父さんから聞いたの。あんた、あの家にいたんでしょ」
「何の、話・・・?」
「クラスメイトの写真を見せたら、あんたが空き家で変な生き物と一緒にいたって。ねえ、私の犬をどこにやったの?一緒にいた生き物は何?」
「知らない、そんなの」
取り巻きたちが美由希を押さえつける。
薫は金槌を取り出して、美由希の親指を叩き潰す。
悲鳴をあげる少女。
「私の犬はどこ?言わないと次は人差し指ね」
「知らない!ほんとに知らないの!」
薫は躊躇いなく金槌を振り下ろす。
「早く言いなよ。早くしないと大好きな絵が描けなくなるよ」
「やれよ・・・」
「なに?」
美由希は勇気を振り絞って反抗しようとしていた。
「こんなの全然痛くない。早くやれって言ってんのよ!」
その瞬間、金槌が美由希の脳天を襲った。
薫の不意の一撃。少女の反抗心は一瞬で折られた。
美由希は情けなく泣き出した。
「痛い・・・やめて・・・絵が描けなくなるのやだよう・・・」
「ようやく泣いた」
薫が笑った、その時だった。


何も知らない人が見たら、まるでハングライダーが窓から教室の中に侵入したように見えただろう。100本のワイングラスが割れたような音を立てて、竜が派手にガラスをぶち破った。そして半ば墜落めいて教室に降り立つ。
竜はさらに大きく成長していた。羽はちょっとした小屋の屋根みたいだし、尻尾はまるで椰子の木だ。
あまりにも現実離れした光景を目の当たりにし、教室の中の生徒たちは逃げるのも忘れてポカンとしていた。
竜は泣き腫らした顔の主人を見た。
そして顔に垂れる血と涙を舐めとった。
次の瞬間、竜が信じられない速さで尾を振るった。尻尾の先は薫の顔面を直撃する。吹っ飛ばされた薫は黒板に激突。その顔は熟れたトマトめいて潰れていた。
惨劇を目の当たりにし、我に帰ったクラスメイト達。彼らは悲鳴を上げて逃げ出す。しかし竜はそれを許さない。竜が吐き出す炎の吐息が生徒たちを包み込む。火だるまになってもがくクラスメイト達。
器用なもので、竜の傍らにいる美由希に炎は届かないのだ。
「なんだこれ?竜!?」
騒ぎを聞いて駆けつけてきた担任の黒田。
竜は黒田にも襲い掛かった。彼の顔に食らいつくと、果実でも収穫するみたいに、簡単にその首をもぎ取った。
教室は地獄絵図と化した。
「美由希!」
叶絵が教室に入ってきた。
「なんでそんな所にいるの?早く逃げないと!」
しかしその時、美由希は竜が叶絵の腹に食らいつくのを見た。ぬいぐるみから綿が漏れるみたいに内臓が溢れる。叶絵は炎の中に倒れ込み、そのまま動かなくなった。
なんだ、これは。
わたしが、わたしがわるいのか。
みんなしねってねがったから。
絶望する美由希を、竜が心配そうに眺めいていた。その視線は主人を気遣う忠犬のそれだ。
「大丈夫?僕なにか悪いことした?」とでも言うような瞳。
「悪くない。君は悪くないよ。全部私のためにしてくれたんだもんね」
少女は涙を流しながら竜の頭を撫でた。
竜は首を下げ、その背中を見せつける。
「乗れって・・・?」
ここから逃げるにはそれが一番だろう。しかし乗ってしまえば後戻りはできない気がした。
だが、ここまでやった自分に後戻りができようか。
美由希は竜の背中に乗る。彼女は小さい頃にポニーに乗ったことを思い出した。不安定なのに、どこか落ち着きのいい感じ。
竜が飛び立つ。燃える学校がみるみるうちに小さくなる。
目の前には血のように赤い夕日。
「行こう。どこまでも一緒に行こう」
竜は少女の言葉に応えるように高らかに吠えたのだった。

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