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哲学(自分で考える)の千本ノック

野球文化には、〝千本ノック〟というのがあるのを知っているひとは割と多いはずです。

何回も何回もボールをキャッチする練習して、体に染み込ますまで徹底的にやり込む練習法です。

何度も何度も練習して自分の体に染み込ませるというのを〝千本ノック〟「概念」と呼ぶとする(ネーミングセンスはないw)と、知識や哲学も〝千本ノック〟「概念」が大切なんだと思います。

どういうことかというと、例えばぼくは哲学者のカントがいうように、「知る勇気」が大切だと思っていて…。

でも、忘れちゃうんですよね。

いつでもどこでも知る勇気が持てない。

なぜならば、社会にはすでに陰謀論やデマがあり、それを見ると戦慄するんですよね。

知る勇気が持てないです。

しかし、カントは陰謀論を知れとは言ってないですよね。

陰謀論に騙されないための正論があるはずでと、「真理」というのがあると…。

それを知る勇気で…というならばわかります。

また、陰謀論が洒落にならないぐらい社会を覆っているような感じがします。

だから、陰謀論に対して説得力がある正論があり、それを知ることが僕の考える知る勇気ですかね。

〝千本ノック〟「概念」的に、何度も何度も繰り返し知る勇気を持てと叫びたいですね。

僕も実践します。

ただし、無理はしないでくださいねw

ご静聴ありがとうございました。

            

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