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「かわいい・きれい・かっこいい」を再考するよ

以前「かわいい・きれい・かっこいい」問題については取り上げたのですが、自問自答ガールズになって1年が経過し、教室参加からは半年が過ぎましたので、何かしらの変化はあるんじゃなかろうかとnoteのリハビリも兼ねて書いてみます。

あきやさんの「かわいい・きれい・かっこいい問題」の元記事はこちらからどうぞ!


※今回は「自分自身」に言ってあげたらどう感じるか?をメインで書いています。

「かわいい」

せやな〜。
 Seyana!
  Seyana!
   Seyana!
    Seyana!
 Soyana!
  Soyana!
_人人人人人_
> ほんま <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄

すみません突然狂ったわけではないです。初手「せやな」を打ち込んだ瞬間思い出してしまい、どうしても我慢出来なくなってしまって…。

以前は「半ば自己暗示」と書いていましたが、今では特にそういったこともなく、まるで推しに言うように自然に「かわいいね〜」と思えるようになりました。

内面の部分で話をすると、「かわいい」って言い換えると「愛嬌がある」とか「無邪気」とかにもなると思っています。

「かわいい」と言われることで、自分は相手に対して危害を与えない・安心感を与えているんだな、と感じて自分もまた嬉しくなるのかな〜と。あとは自分の弱い部分やダメダメな部分でも「かわいい」って言ってくれると「受け入れてくれている」と感じて安心するのもあるのかもしれません。

「かわいい」も「きれい」も「かっこいい」も全部嬉しいと思っていた

私の思う「かわいい」、内面的な話をすると以前と変わらず「愛嬌」「無邪気」だな〜と思っています。
私はヤバいオタクなので急に推しの話をしますが、私が推し(主に2人)に対して抱いている感情は9割方「かわいい」です。見た目は2人とも立派な成人男性ですが、共通点として「よく笑う」があります。内面・性格的なものとして「愛嬌」を取り上げていますが、もしかしたら内面と見た目って意外と繋がっているのかも、と今は感じています。

自分自身に「かわいい」と言って素直に受け取れるようになったのは、自問自答ガールズとして「己」を掘り進めてきて、心から可愛い・愛しているアイテムに身を包まれてるからかな〜と思っています。

あとは2022年11月から三年日記を書いています。元々ファッションの記録用として始めたものでしたが、同時にその日あったこと・どう思ったかも書いてたまに読み返しています。
思えば、こんなに長期間自分の気持ちと向き合ってきたこと・それを振り返ることって今までやってこなかった気がします。自分の素直な気持ちに向き合ってきたからこそ、「かわいい」も以前より素直に受け取れるようになったのかな、と考えています。


「きれい」

そうか〜?
「なぜ?」という困惑の方が強いです。言われてもそれなりに嬉しいとは思うけど、心から嬉しい!そう言ってほしかった!とは思わないな〜といったところです。

ただ、己に向かって言われるのは違うと感じますが、アイテムひとつひとつに対して、とか、自分が「きれい」を意図した格好をしている時(例:着物)は嬉しいな、と思います。日常的にであれば、一目見て「きれい」より、部分部分に「きれい」が混じってると嬉しいですね。

私は「きれい」を「華やか」とか「きらきらしてる」とか「しゃんとしてる」って意味で捉えてるから、目指したい姿には近いけど、今の自分がそうとは思えない、いまいち素直に受け取れない、といったところです。

「かわいい」も「きれい」も「かっこいい」も全部嬉しいと思っていた

私の中の「きれい」ですが、以前は「華やかさ」や「きらきら」、「しゃんとしてる」でした。
今はというと、「品の良さ」「ツヤ」「(光の反射の)きらきら」と少し変化しました。華やかさが綺麗ではない!とは言いませんが、ちょっとまた分類が違うよな…と思っています。

「しゃんとしてる」「品の良さ」から察するに、私は「きれい」に大人を感じているのかもしれません。
決して派手では無いけれど、内側から滲み出る美しさ。例えば、海が太陽の光を反射してるようなきらきら感。例えば、窓から差し込む光と風に揺れるカーテン。日曜日の真昼を穏やかに過ごすような、余裕のあるゆったりした大人の姿に「きれい」を見出しているのかもしれません。

じゃあそれを踏まえて私は「きれい」な人間になりたいか、と聞かれると「少し違うな」と感じます。勿論、所作や言葉遣いの美しさなど「きれい」を構成する要素はあった方がいいなと思います。
ただ私は常々「ギャップのある人間になりたい」と思っているので、元々の第一印象が「真面目そう」「冗談通じなさそう」+品が良く「きれい」なファッション、では己の目指す像からズレます。となると、日常的に「きれい」である必要は無いかな〜、と考えています。


「かっこいい」

それは違うよ〜。
前回書いた「嫌とまでは言わないけど違和感がすごい」が全てを表してる気がします。

例えば身につけているものがかっこいいものの時(レザージャケット、黒が基調のパンツスタイルなど)に「かっこいい」と言われるのは「モノが褒められた」と感じるので「嬉しい」になります。

「かわいい」も「きれい」も「かっこいい」も全部嬉しいと思っていた

今回「きれい」でも取り上げたんですが、アイテムそれ自体に「かっこいい」と言われること自体は嬉しいです。
ただ、前回との大きな違いがあり、自分が「かっこいい」と思うアイテムを身につけることがほぼ無くなりました。黒のパンツスタイルも、レザージャケットも、着れはするけど着ない。自分が目指す方向性として「かっこいい」は確実に違うんだろうな、と思います。

ひとつ思うことがあるとすれば、私は「かっこいい」への解像度が低いのでは…と感じています。成人男性である推しにすら「かわいい」と感じる性質の人間なので…。

幼き頃、問答無用でパンツスタイル、トレーナーを着せられて男の子と間違われたことにすごくモヤモヤを感じたこともあって、大人になってから選ぶ服は可愛いもの、時には綺麗めなものがほとんどでした。ですが今回「かわいい・きれい・かっこいい」について改めて考えて、私は「かっこいい」の良さを知らないまま生きてきたんじゃなかろうか、と思うようになりました。
2024年は「かっこいい」の良さを知って、その上で自分に取り入れるかどうか考えたいですね。


今回のまとめ

以前と比べて大きく考えが変わることはありませんでしたが、受け取り方が素直になったり、逆に「この要素は全体的・日常的じゃなくて良いかも」と思えたり、まだまだ未知数だから良さを知ろう!と意気込んだり、今の状態からさらに前進するための材料が出来た気がします。全てのワードにポジティブな印象を抱く必要は無いと思っていますが、自分の中でどう思うかを言語化しておくのは大事だな…と感じました。

あとこのnoteを書いているうちに己の「かわいい」について語りたくなったのでそのうちどこかで語ると思います。

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