ネタバレはしてないよ(あんまり)

4ヶ月くらい、なんだかんだで毎月一つはnoteを書いてる。やらなきゃと思って書いてるわけではないから、これくらいの頻度で何か書きたいことが私の頭の中には生まれるんだな。書こうかなと思ってもやめてるものがあるから、多分数はもっと多くある。頭の中で生まれて、消えていってたこと、それか消えずにずっと頭にあるけど特に取り出すことはなかったものを、このひっそりとしたほとんど興味を持ってくれる人もいないようなところで取り出して広げてみるのは、結構楽しい。形になって見えるようになるのも良い。たびたび読み返して、ほ〜んってなる。特に何かにたいしての感想とか、その時思っていたこととか、すぐに忘れちゃうから、残せるなら残しときたい。なので、本日は昨日一気読みした「おやすみプンプン」のことをちょっと書いとこうと思う。無料期間に読んだだけの、お金も払っていない人間だから、そんな大それた感想などというものではないです。感想は感想なんだけど、この気持ちや感覚は自分にとって必要だから、最近手に入れたこの場所にただ自分のために残しとく。

おやすみプンプンという作品は、もちろん知っていた。すごい作品で、それが、なんていうんだろう、あまり万人に好まれるジャンルに属していないという情報もなんとなく知っていた。ほんのり興味はあったけど、(特に虫さんが浅野いにおさんの作品が大好きだと何度も言っていて、虫さん自身にこの人はすごいなと思う日々だから、この人がここまでいう浅野いにおさんの漫画はどれほどすごいんだ!みたいに思ってはいた)実際に読むまでには至っていなかった。そしたら数日前に、浅野いにおさんのツイートが流れてきて、どうやら全話無料公開をするらしいことを知った。これは絶対に読もうと決意し、昨日、仕事終わりに一気読みした。読み終わった後の一番の感情としては、「心動きすぎて気持ち悪い」だった。本当に、心なんてないのに、それなのにあっちにいってこっちにいってというのをものすごく感じた。これ、この作品、すごい。こんなものが、存在するんですか?え、え?え〜〜〜〜〜〜!!!!気持ち悪さと、この気持ちでいっぱいだった。
このおやすみプンプンの世界は、今のこの現実とはまた別の場所に、またノンフィクションの現実としてあるんだなって、思う。もちろん同じようにこの世界は存在してるんだって感じる作品はあるけど、一番、疑う余地もなく、そうだと断言したくなる。あまりに世界で、現実で、楽しくて、嬉しくて、悲しくて、苦しくて、欲がこれでもかとあって、どうにもならなくて、ゴールもなくて、正解も不正解もなくて、ただただ、選択の連続で。みんな、大したことはない。大それた人間はいない。日々も、ただの時間の積み重なり。だからこそ、どれだけの読者が、心を動かされたのだろう。どれだけ、この作品の持つエネルギーにやられたんだろう。おやすみプンプンの世界とともに、これを目にした人たちのことを考えて、作者のことを考える。すごい人がいるんだなと、もうそこにたどり着くしかない。プンプンの現実を作り上げるに多大な貢献をしているだろう、この絵と技術よ。ここまでくるのに、浅野さんはどんな時間を過ごしたんだろーな。漫画の知識を持たない読み手側からすると、絵とか漫画の技術とか細かいところではなく、それらが作用した結果の「読みやすい」「面白い」「手が止まらない」「感動した」というところに一直線につながりがちだと思うし、私の持ってる知識もただ見かけて知ったぐらいのたいしたことはないものだからなんとなく考えてるものでしかないけど、これってさ、めちゃくちゃすごい技術が練りこまれてるよね?書き込まれた背景と、視点の切替わりと、フォーカスされるところと。人の表情ももちろん。どんどん技術の話からは外れちゃうけど、そんな場所にいるプンプン一族のあのえがき方。浅野さんは、最初にこのキャラクターたちを考えて、それからどんどん広げていったのかな。それかこういう話が頭にできてから、自然とあのプンプンたちが生まれていったのかな。どこかで話していたら後でそれを確認しよう。でもほんと、大体の見当もつかない。少なくとも私には浅野さんの考えるものに共通する思考回路はない、し、思いついたとしてそれを実際にここまで形にできるものなんだろうか。異質すぎるけど、なぜか受け入れることに苦労はしなくて、すぐにこれが馴染んだ。この異質さがなければ、この作品の持つものはもう少し浅瀬にあったかもしれない。しれないだけね!わからんけど!でもとりあえずこの浅野さんの選択によってもたらされたものは非常にでかいよね。この選択が生まれる頭の中、そしてそれを選んだこと、それだけを一週間は考えられそう。あと、どれだけの時間費やされた作品なのかも知りたい。浅野さんが制作に取り掛かるまでに、漫画に関する絵や技術を磨くために使った時間のことは一旦また別のものとして考えて、このストーリーを練ってから、実際にかかった制作時間。浅野さんが制作者としてどんな人物なのか私はまだ知らないけど、知らない時点では、めちゃくちゃ時間かけられてるんだろうなと想像する。この作品に限らず、人の心を揺さぶる創作物、映画、アニメ、漫画、小説、絵、(音楽はまた違うのかも)などは、大抵、差はあれど、時間を費やして作られたものだと思う。その積み上げられた一分一秒が、深さをましてエネルギーを纏う。って私はよく考える。それはめちゃくちゃ大変で、辛くて、長すぎる過程で、だからこそそれを歩ききって完成させることができる人は、素晴らしいものを生み出すんだよね。それを才能と呼ぶこともあるだろうし、その道のりに苦を感じず淡々と走って行ける、また別の才能を持った人がいるらしいというのもなんとなく知ってる。けど、大抵は、悩み続けて向き合い続けて生まれた「世界」だと思う。だから、私はこの「おやすみプンプン」にも同様のことを感じているし、もしかすると想像よりももっともっと果てしない時間が費やされているのかもしれない。そうやって作りあげられたこの作品が、私の昨日の涙となり、心のぐわんぐわんとなり、気持ち悪さとなり、この文章を書くまでに至らせている。そんな、漫画だった。そして私の帰着するところといったら、
・おやすみプンプン(浅野いにおさん)すごい
・これでもかと悩んで向かい合ってきもいぐらい時間をかけろ、私
ということです。後者はずっと思ってることで、今回の経験で改めて実感した、という感じだけど。こんなことを考えてるけど、結局私は何かを生み出せるのだろうか。プンプンは、死がすごく身近にあった。同じように、きっと、私の世界にも死はいたるところに平然といらっしゃるんだろう。それが目の前に現れてからでは遅いんだから、少しづつでももがいていなきゃな、と、今回のnoteの総まとめとして、書いておく。



余談(きもい)
ほとんど使っていない方のツイッターのアカウントには、全然知らん人のツイートが何故か通知される。知らないしどうでもいいのばっかりなんだけど、だからこそ普段目にする機会もないから面白くて毎回確認してて、今日また何個か通知が来てたからみたら、一つに、「〇〇とか〇〇とかおやすみプンプンとか好きなやつはどうたらこうたらだからやめたほうがいい」みたいな、うろ覚えすぎるけどこんなツイートがあった。こんな感じのやつはいっぱいあるし別に珍しいものでもないと思うけど、読んだばっかだったから「おやすみプンプン」の文字が目についたし、やな気持ちになっちゃった。作者が途方もない努力をかけて身につけた技術と、日々少しづつ描きあげて完成させた作品を、一個人のほとんど偏見といえるようなしょうもない感覚を呟くのに消費してるのがものすごい、なんだこいつだった。そういうこと思うのはいくらだっていいけど、それは外にだすべきものじゃないよ。それをぽんぽんと吐き出せる感覚は改めるべきだと思う。他の人よりわかっているようなこと言ってるけど、あなたが貶してる人のほうが、まだ考える余白がある。このツイートを見る限り、あなたが一番、全てのことにおいてくだらない。なんてこんなとこで言ってる私もおなじ土俵に立ってるのかもしれないけど。あーあ。
そういえばなんだけど、これかいてたら1日1話読める貴重なアフロ田中の本日分をのがしました。マンガマンでちまちま読み進め、今は高校編まできた。これからもちまちまちまちま読みます。


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