てかそんなおしゃべりされるとなんか居心地悪いよ

私が普段行く美容室はパーマがあまり上手ではなくて、近場でパーマをしっかりかけてくれる美容室を探そうということで、こないだ初めてのところにいってみた。ご夫婦でやっているお店だそうで、旦那さんがこの日担当してくれた。結果的にいうと、なんとなくパーマはいい感じだけどその人の性格が好きじゃなくて、う〜んて感じだった。

私がいつも行くところも男性の方が担当してくれるけど、その人はすごく穏やかで基本聞き役になっている。あまり自分の考えをべらべらとは喋らず、ちょうどいいスピードで会話がすすむ。だから担当してくれる人の性格なんてあんまり気にしたことがなかった。しかし!!その初めていったところの男の人は、めっちゃ喋る人だった。しゃべ9相槌1くらい。話の内容はこの私たちの住む地域の悪いところだった。その人は数年前に東京から移住してきたようで、そこでの経験や得た知識、培われた物の見方、考え方などをもとに、もう既にこの場所の悪いところを認識しているようだった。ここで育つ人の人生はつまらない、そんなことをべらべらと話していた。私は正直同意しないこともない。田舎の窮屈なところのひとつだと思うし、ここで生まれ育ち、学校に通い、高卒でこの場所で就職し住み続けるというのは、たしかに少しもったいないようにも思う。実際私も2年間だけだけど、東京に住んでみてかなり内面的に変わった部分がある。もしこの2年がなかったら、また違う自分になっていたような気もする。でも別にそんなのその人の人生だし、別に外野がジャッジできるものでもないと思う。ここを離れて都会にいって刺激を受けることが別に正解だとも思わないし、この田舎で四季を感じながら野菜を育て動物と暮らし、水をはった田んぼのきらきらした水面の綺麗さや、すぐ近くにそびえ立つ山の壮大さを知ることは人間に必要だと思う自分もいる。ただこれは自分という人間のこれまでの人生から作り出された意見でしかなくて、全くもって断言できるものではない。断言してはいけないとも思う。自分のことしか知らないのに、自分とは違う背景をもつ人にこれが正しいよと言うなど、あまりに大バカだと思う。そんぐらい、自分の意見なんてちっぽけなんだよ。それを理解して、自分の立ち位置を確認しながら生活を送るべきだと私は信じている。でもその人は、あまりにも自分を過信しており、たびたび「まあそれが悪いわけではないですけどね」なんて言いながら、もうここで一生を終えたり、特定の仕事(その人がいうにはめちゃくちゃつまらない仕事)をすることをすごく下にみて、軽蔑さえしてるようだった。ときどき「かわいそう」なんてことも言っていた。語尾は「〜ですよ」「〜はおかしい」なんてものばかりで、断定をしてしまうのも度々❓となった。私はふとこの人の話をききながら、「逆ソクラテス」の最初のお話を思い出した。固い価値観をもった先生を、「あれ?自分間違ってる?」って思わそうと小学生たちが日々を過ごすお話。この先生、現実だとこんな人だろうな、なんて思った。それなりに充実した人生を送っているからなのか、もっと視野を広げるべきなんて言いながらその広げる先には、都会で得る刺激は素晴らしい‼️とか色んな選択肢を持たなきゃ‼️とか、そんなのばっか用意して待ち構えている。それが自由でみんなもつべき思想だと思っている。そして逆に小さい窮屈な箱に収まった自分の脳内を、他人のものと比べることもせず、恥ずかしげもなく他人に話す。ある程度年齢もいっているから、私にはまるで教えるような立場で話していた瞬間もあったような気がする。
この人、自分の立場を確認することをしないんだなと思った。少し知識を得て満足して、もうあらゆる物事に対して正解、不正解をだしてしまうんだなって。所詮ちっぽけな人生ですよ1人1人がもつものは。自分以外の何億人という人の人生や考えが交差するこの世界で、その1人のちっぽけな人生でなにが分かるというんだろう。なんで正解と思えるんだろう。
子供がいるといったが、この父親でなくてよかったな。小さいうちからその物差しを心に刻まれたら、かなり自分でその存在に気付いて手放すのは難しいと思う。うーん😢

つまりなにが言いたいかというと、前もかいた省みることって、やっぱ大事だなって思ったってこと。
どうしたって人と関わって人生は成立しているんだから、自分がどんなところに立っていてどんな姿をしているのか確認しようとする癖をつけないとね。しようとするだけで充分だから。少なくとも私はそうやって生きていきたい‼️


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