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じん

彼女は、私が小学3年生か4年生の終わりごろ、まだ春が息を潜めているときに出会った。私にとっては、初代ゴールデンレトリバーに続く2代目のわんこで、どこからかやってきて祖父になついた、野良犬の子どもだった。小麦色のふわふわの毛がまるっこい生き物にくっついていて、大きさは、昔溺愛していたビーグルのぬいぐるみと同じくらい。祖父のあとをつけて家までついてきたその子犬を、祖母はすぐどこかへ置いてこいといった。祖父は知り合いの家へもっていったものの、私がその話を知ってしまったため、動物が大好きな私は見逃せずにその家にいき、嬉々として胸に抱きながら家にまた帰った。
その日から、新しい仲間が我が家に加わった。当時、子犬の性別をみわけることなどできない私は、男の子か女の子かどうかもよく分からないまま、「じん」という名前をつけた。後に女の子であることが分かったが、その名前にはしっくりきていた。
当時はまだまだ3DSの時代で、写真機能もついていたそれを使い、かわいいかわいいじんの姿をしょっちゅう撮っていた。正直その頃のことはあまり覚えていないが、間違いなく私の日々は輝きだした。毎日楽しかっただろうな。
じんはすごく大人しい犬だった。吠えず、唸らず、しっぽもそこまで振らず、おやつもすぐには飛びかからずに慎重に匂いを嗅ぎ、気が向けばちょびちょびと食べだす。ただ、やはり散歩のときが1番テンションがあがるようで、いつも苦しそうにしながらも前へ前へ力いっぱい人間をひっぱった。
やがて、じんは子供を産んだ。1歳ごろのことで、避妊手術を祖母が考えていたときのことだった。もちろん野良犬はいっぱいいるから、そりゃそうかというかんじであった。
5匹ほど生まれ、1匹を残し、他の子は里子となった。祖父がまた子供を産まないようにと男の子を選んだが、普通に女の子だった。その子はてんと名付けた。
2匹の親子での生活が始まった。その間にも私はどんどん成長したが、一緒に寝転んだり、運動につきあってもらったりしながら、日々を過ごした。
じんは外飼いだったが毛がすごく柔らかく、特に垂れた耳はほんとに手触りが最高だった。しょっちゅう耳を触っていた。てんの毛は硬く、耳はたっているので、多分お父さんはワイルド野良なんだろなと思う。
もう1つ、じんの好きなところがある。私は彼女の(てんもだけど)目がすごくすごく好きだった。
琥珀色のなかに、万華鏡のように黒が散らばっていて、幻想的だった。
私はじんと過ごして、犬の目には宇宙があることを知った。

去年の秋、別のところに住んでいるため、数週間ぶりに実家へ行ったとき、じんのお腹がとても大きいことに気がついた。一瞬妊娠した?と思ったけど、避妊手術してるし、ありえない。となると、、。
確実になにか悪いことが起きている。ばあちゃんに聞くと、気になっていて病院に行こうとしていたと。次の日も休みだっため、ばあちゃんとじんと一緒に動物病院へ行った。
初めは寄生虫が疑われたが、検査をしてもらうと、どうやら心臓が悪いらしかった。その影響で腹水が溜まっていると。


「2年生きられればいいかなといったところです。」

じんはテンションこそ低いものの、毛が白っぽくなるわけでもなく、目が濁るわけでもなく、まだ12歳ごろだったというのもあると思うけど、それでも全く見た目に老いを感じなかった。だからなんとなく15歳ぐらいまでは元気でいてくれるかなとか、そんなことをちょうど思ったあとのことで、なんだ、そっかと思った。
見えないところで不調はあって、ちゃんと老いはじんの隣にいた。

じんは一昨日、亡くなった。最後に会うことはできなかった。3ヶ月間、腹水を薬でだしながら、治すためではない心臓の薬をばあちゃんがあげてくれた。
あっという間だった。

生きとし生けるものすべてに始まりがあって、終わりがある。だから魂はじんの身体に宿り、魂は身体から去った。
あの耳を、あんまり嬉しくなそうにしながらもすぐにお腹をみせて撫でてってするのを、宇宙みたいな目を、じんの全部を、恋しく思う。
命が消えて、存在が記憶のなかだけになるという現実は、やはりどうしようもなく心を曇らせる。降る雨は冷たく、傘を持ち続ける腕はいたい。雨は見渡す限りに降り注いでいる。靴はもうぐじゅぐじゅで、不快感が襲う。自然をまえに人間が無力であるように、命の光が消えるのもまた、為す術なく受け入れるしかない。
それを繰り返しながら、ここまで生き物は存在し続けた。
じんはいない。ハチもいない。最近祖父は転んで股関節の骨を折った。歩けなくなった高齢者がいかにはやく終わりへ向かうかを、私は悲しいことに知っている。
祖母ももう76歳になった。

ハチの存在は、温もりとしてまだ心を守ってくれている。いずれじんの存在も、そうなっていく。じいも、ばあちゃんも。
じんの魂は自由になり、これからも旅を続ける。
その清い魂の長旅を、私は応援しよう。
巡り巡って、また誰かを笑顔にするかもしれない。
でもまずは、ゆっくりおやすみ。



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