2時に寝ようと思ったのにこれ書いててもう3時😭

ツイッターにかこうと思ったけど、長くなりそうだしこっちにひっそりとかーこおっと。


さてなにをだらだら書こうとしていたかというと、最近の虚しさてきなやつについてです。
最近むなし〜〜ってしょっちゅう思ってて、今日たまたままたそれを強く感じた出来事があって、はーあってなった。
わたしはいつもいろんなこと考えすぎてる。いろんなことを気づけば日々吸収しているような気がする。物事は偏った面だけからはみたくない。いろんな可能性を考えて、自分のもっている選択肢全てをあてはめて、そうだとは限らないんじゃない?といつだって言いたくなる。知らない誰かを刺した人のこと、電車で暴れた人のこと、職場にいる問題がある子のこと、家にいるニートのおじさんのことを考える。自分が正しいって思い込みたくないから、せめてもってる知識や得た考え方をひっぱりだして、これはこうかもしれない 、こんなふうな背景があったかもしれない、とかなんとかって思う。そんな性格なんだと思う。正直、わたしはこの自分の性格が好き。自分のなかで1番好きなところかも。胸をはって言うわけではないのよ、ひっそりと思ってるだけだから、きもちわるくても許してね。だからこんな人をみかけると、その姿勢が素敵だとかんじるし、自分にも同じようにそう感じる。でも考えすぎて、どうみても余分な虚しさをgetしている節はある。考えすぎ+若干深めの愛ね。なんでそれがうまれてるのかは明白で、私とその他の人間にギャップがあるから、でしかない。その他の人間というのは、家族は除いて、私が好いているおもに友達たちのことですが、たとえばね、誕生日を迎える子がいるとして、わたしはめちゃくちゃプレゼントとかサプライズとか考えちゃうし、こういうときしか言えないからすごく深めの感情こめた手紙も書いちゃう。他の友達間で誕プレは予算2000円ときめても、プレゼントしたいものがあったら3000円とかになっても気にしない。中学、高校の1000円はでかいのにね。お返しを望んでるつもりはないんだけど、同じだけのものがかえってくることは多分少ない。書くことはめちゃくちゃあるけど、そんな手紙をもらう経験はほとんどないの。まあまあ、お返しが全てじゃないし、それを1番望んでいるわけでないからね。でも、悲しくはなる。普段でも、ギャップはすごくあって、LINEの返信ひとつ、わたしは誰か傷つく人はいないかと考えて、遠回りしたやんわりしたものを送ろうとほとんど無意識に心がけてる。誰のことも傷つけたくないし、無意識に傷つけちゃうのは防げるなら防ぎたいじゃん?だからあっちもこっちも見渡してみて、大丈夫っぽいかなと確認してから、こうしたら?っていう口調だったら、こうしても良さそう!とか、それやだ、じゃなくて、違う方も好きかな〜とか、やんわーーりした口調にしてみたりしてさ。そんな仰々しく毎回考えてるわけじゃないけど、なんとなくこのプロセスはふんでると思う、だいたいいつも。でも基本面白い人間になりたいから、ツッコミとボケと変なスタンプが全てのときもあるけどね。そんなふうに考えてるせいで、他の人から向かられたものたちにすごく敏感に反応しちゃうんだよねえ。だからストレートにわたしが傷つく可能性があるものがそのまま運ばれてきたときに、相手は全然気にしてないからだろうけど、わたしが勝手によくわかんない傷をつくることがある。なんかそうなると気分が低迷をはじめて、わたしが相手を想う気持ちの大きさと、相手からの私への気持ちの大きさはすんごく差があるのかなって、 そんなこと考え始めちゃう。そうなると、そういえばいつもわたしから色んなこと誘ってるなとか、誕生日プレゼントあげてるけどもらってないなとか、なんかそういう余計なことまで考えだしちゃう。今、だいぶそれ。こないだわたしが色々考えてだした案が、一人の一言でばっさりときられた。多分、というか確定だけど、よくわからない傷つきがあったのは私だけで、普段それをしないようにしないようにとこころがけているせいで、さらに傷が深くなった。その案というのがここに行こう、会おう、というもので、わたしはなんか一人一生懸命考えてたけど他の子と温度差があって、結局それはなくなって、気持ちが大きかったのは私だけ、取り残されたのがその私だけでさ。そうなると、ほんとばかみたいでさ。その言い方って、わたしが嫌な気持ちになるかなって考えなかったのかな、考えなかったっていうことは、わたしに対してそこまで色々気にかけてないってこと?なのかなって。まあふつうに多分違うんだけどね!!!各々の性格と、近づいた距離のせいだと思うんだけど、自分がこんなだから、意識してさけてることがさらっと送られてると、この私の頭はどうやっても自分がそうしてもいい人間だということだっていう思考につながるのよ。もうなに言ってんのかよく分かんなくなってきたよ。でもそれがとりあえず虚しいということ。そういうことを所々感じながら過ごしてきた人生なような気がする。こんなにかんがえてるくせに、私によって少しでも救われた人はべつにいないし、結局事実としてあるのは私が勝手に嫌な気持ちになってるだけで、虚しくて辛くなってるだけで、それが全てで。だから今はなんとなくそれらと距離をおいてる。これが一番の薬だろうから、傷は治して、それがあったことも忘れたころにまた笑おうと思う。最近ニートのおじさんずっとやばいからそれで情緒がちょっと乱れてるのかもしれない。なんかまじで得なくていい不幸とか傷とかばっかな気がする。でもこれが私だし、とりあえず生きよう。この虚しさとともに仲良くやりながらね。

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