見出し画像

77年前の長崎で祖母は

77年前の8月9日11時02分
祖母は生まれ育った長崎で被爆した

爆心地から1km
祖母は当時16歳
学徒動員で工場で働いていた時だった

曽祖母は祖母以外の幼い兄弟たちを連れて佐世保に食料の買い出しに出ていた。
曽祖父は料理人として海軍の船に乗り込んで出港していたので無事だった

家族の中で祖母だけが原爆被害を受けた

11時02分
祖母はあの日
たまたま早めの昼休憩を取ることになり工場の外に出ていた

目の前が真っ暗になり
気がついた時には
頭以外が道路のがれきに埋まっていた
動けなかった

そんな時、奇跡的に知り合いのおじさんが目の前を通り埋まっている祖母に気がつき掘り起こして助けてくれた

顔だけ地上に出ていたから
私は見つけてもらえ助けてもらえた。
そう祖母は言っていた

防空壕へ避難する途中
働いていた工場の前を通ったら
建物は全壊、みんな亡くなっていた

あの時、たまたま
早めの昼休みで外に出ていたから
私は一命を取り留めた
いつも通りに仕事をしていたら私も死んでいた
そう祖母は言った

いくつもの偶然と奇跡で
繋がれた祖母の命

生かしてもらえたからこそ
母が生まれ、私もこの世に存在している

祖母の遺影の前で黙祷
改めて感謝を伝えた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?