見出し画像

ほうき森の仲間たち series1

vol.1           〜君に今、伝えたいこと〜

 色の剥げた風見鶏がくるくると方向を見失い右に左に揺れ動いているのをロバタはりんご農園の小高い丘の上からぼんやり眺めていました。

「やっぱり、この夏にペンキを塗り直して、ついでに点検して置けばよかったかな…」

風見鶏のある青い三角屋根の坂の上の病院は、犬のヨウゴゥ先生と息子のアナンさんとでやっている森に一件しかない病院でした。

ロバタがここ数日、坂の上の病院にしきりに気持ちが向いているのは何も壊れかけた風見鶏のせいばかりではありませんでした。

数日前に、ベロだし峠の坂道をよろよろと登っていくねずみのナチューの後ろ姿を見かけたのですが、そのナチューが峠の坂を下りてきた気配がありません。

ナチューに何かあったのかな…

画像15

ロバタのその不安はその日の夕刻にヨウゴゥ先生からの一本の電話で的中してしまいます。

農園の作業を終え、ストウブの上のやかんに新しい水を注いでいた時でした。

ポケットの中の携帯電話がブルブルと音を立てました。

画像11


「ロバタ、落ち着いて聞いてちょうだい…」
電話は坂の上の病院長、ヨウゴゥ先生からでした。


その声は深い闇の中に落ちていくような重く力のない声に聞こえました。

「今、世界中を震撼させている感染病がとうとうこのほうき森にも忍びこんで来たようだわ」

「…」

画像16

「ロバタ!しっかり聞いて頂戴!」

「あっ、はい。大丈夫ちゃんと聞いています。」
ロバタは携帯電話をギュッと握り締めて言いました。

「ヨウゴゥ先生は大丈夫なのですか?」

「私は大丈夫、息子のアナンもいるし、私たちは医者だから心配しないで」
ヨウゴゥ先生の声はさっきよりしっかりしていました。

感染病の患者が誰なのかロバタにはもう分かっていました。

「ヨウゴゥ先生、ナチューの具合いが良くないのですね」
「ええ…、ロバタあなたに電話したのはお願いしたいことがあったからなの。
取り急ぎこのことを森のみんなに早く伝え欲しいの。私も、息子のアナンもここから出るわけにはいかないから」
「分かりました」
「それから決して病院には近づかないこと。自宅で出来るだけ静かに過ごして欲しいことを強く伝えて」
「手洗いやマスクのことも伝えましょう」
ロバタはそう言って電話を切るとどんぐり新聞社に電話をして親友のキツネのジーポに朝刊の一面記事に扱って欲しいと伝えました。

コンコン池の直ぐ側に森の小さな放送局がポツン一軒ありました。
放送局と言っても誰かがいつも働いている訳ではありません。
森に何か知らせたい事があったら何時でも誰でもそこを利用できたのです。

仄暗い部屋の中をぐるりと見渡すと小さな机と椅子、そして古びた黒いマイクがひとつ。
壁には誰かが持ち込んだ本や古い古いレコード盤が木製の棚にキチン並べられていました。

ロバタは荒い息を整えてから大きく深呼吸をひとつしました。
それから古びた黒いマイクに向かって静かにこう話し始めました。

「森のみなさん、ゴロリンド農園のロバタです。
今夜はみなさんに至急お知らせしなければならないことがあります。今、世界中を震撼させている恐ろしい感染病がこの森にもとうとう入りこんで来ました。
どうか慌てないで落ち着いて行動してください。
感染を防ぐにはうがい手洗いをこまめにしてください。
なるだけお家にいてください。
外出する時には必ずマスクをしてください。
そしてどうか恐ろしい病と今戦っている森の仲間の尊い命とその命を必死に守り抜こうと頑張っている坂の上の病院の先生、看護師さんの為に祈ってあげてください。
どうか、どうかお願いします」

月のない夜でした。

ひっそりと静まりかえった森の中にロバタの声は悲しく響き渡りました。

vol.2
 その日の夜、ロバタは干し草のベッドの上で何度も寝返りを打ちなかなか眠れませんでした。

ナチューは大丈夫だろうか…
ヨウゴゥ先生の電話の声が耳から離れずナチューの容態も心配でしかたありません。

ヨウゴゥ先生もアナン先生もきっとナチューを助けてくれる。
だけどもし、ヨウゴゥ先生、いや、アナン先生、どちらとも恐ろしい病気に感染してしまったらこの森はいったいどうなってしまうのだろ。
そして、僕は?
このゴロリンド農園はどうなってしまうのだろう…
そんなことを考えれば考えるほど胸がドキドキしてロバタは何度も枕元の目覚まし時計に目をやりました。

「まだ、こんな時間か…」
時計の針は真夜中の2時を指していました。

ロバタは干し草のベッドの横にある古いチェストの引き出しをそっと引き開けました。

引き出しの中には昨夜眠る前に慌てて縫った一枚の白いマスクとりんごの実と葉っぱをレリーフにした木製の写真立てが入っていました。
写真立ての中にはセピア色の一枚の写真が納められています。
それはロバタが産まれるずっと前に一度も会わずしてこの世を去ったロバタのリフおじいさんとロバタの父親の子供の頃の写真でした。
りんごの木の下、木漏れ日を浴びたおじいさんとお父さんの笑顔の写真がロバタは大好きでした。
リフおじいさんはゴロリンド農園を一人で開拓して大きな農園に作りあげたロバタ自慢のおじいさんでした。

ロバタが産まれる前に病気で亡くなりロバタのお父さんはロバタが産まれてしばらくしてからやはり病気で亡くなってしまいました。

「リフおじいさん、お父さん、お母さん、どうかこのほうき森の仲間たちをお守りください。
そして、この農園をお守りください」

ロバタは静かに目を閉じ祈りました。

窓の外は月もなく名もない星たちが空いっぱいにキラキラと輝いていました。

vol.3

画像1

ロバタは暫く夜空の星を眺めていましたがふと、今日がクリスマスアドヴェント3週目の日曜日だという事を思い出しました。

「今年のクリスマスはみんなで集まることは無理かもしれないなぁ…」
いつもはツリーを飾りチキンの丸焼きや甘いりんごの沢山入ったパイを焼き友達や仕事仲間とロバタの家でクリスマスパーティーを開いていました。
「ブタのゼヒトモさんの焼くシュトーレンも今年は食べれないかもしれない」

画像12

オレンジ谷の入り口、マカロニトンネルの側にあるコッペリのパン屋さんのクリスマス限定のシュトーレンはゴロリンド農園で採れる果物や木の実がぎっしりつまっている人気のお菓子でした。

毎年、クリスマスイブの日にはコッペリのパン屋さんで注文したシュトーレンを受け取りその足でオルゲンハットの帽子屋さんのピカピカに磨かれたショーウィンドーからマエストロ・ねずみのダンシャクさんの帽子作りを眺めて…
親友のキツネのジーポと猫のクロミミと三本杉の近くの小さなカフェでお茶をしながらくだらないおしゃべりをして…

そんないつも通りのクリスマスがやってくることを当たり前のように思っていましたしこれからもそれはずっと続いていくものだと思っていました。
今、その当たり前のように思えた日常が森の仲間のそれぞれの胸の中で揺らぎ初めていることをロバタはまだ気づいてはいませんでした。

カップボードの中からお気に入りのマグカップを取り出してロバタは少し早めの朝食を取ろうとしてる時でした。

トントン、トントン

誰かがロバタの家のドアを叩く音がします。
「誰だろ…こんな朝早くに…」
壁にかけてある古い鳩時計の針はまだ明け方の5時を少し回ったところでした。

ロバタは慌てて家のドアを開くとそこには大きなマスクをしたクマのプロフがたっていました。

画像2

「ロバタすまない、こんな時間に。その上森が大変な時なのに」

クマのプロフはほうき森で一番の賢者でした。
昔はロバタたちにはあまり良くわからない難しい研究をしている学者さんでしたが今はすっかり年を取り好きな本を読んだり散歩やオレンジ谷のずっと奥にある温泉に行ったりしてのんびり好きな事をして暮らしていました。

「これは、これはプロフさん、いったいどうなさったのですか?さぁ、さぁ、外は寒いですから中にお入りください」

ロバタはストウブの側に樫の木の丸椅子をひとつだけ置きました。

「ロバタ、すまない、私だけではないのだよ」
プロフはそう言ってドアの方を振り向くと「大丈夫か?」と手招きをしました。

ドアの向こうは暗い闇に包まれ12月の冷たい朝の冷気が部屋の中に忍び込んできました。
その暗がりの中にぼんやりとしたシルエットを見たときロバタはあっと声をあげました。

vol.4

「グリークさん…?グリークさんじゃないですかっ!」
ロバタは驚いたように声をあげるとドアの方に駆け寄りました。

暗がりの中に立つていたのはオオワシのグリークでした。

画像3

グリークは広げると優に2メートルはあろうかと思われる立派な翼を持ち、その翼で世界中のあちこちを旅しそこで見聞きした珍しいこと、美しい風景、そしてその国々の音楽や芸術のことなどを本に記しこのほうき森の仲間たちに教えてくれる旅行作家でした。

「いつ?いつ旅からお帰りで?」

グリークはロバタの問いかけには答えずによろよろと部屋に入ると壁際にある長椅子にそっと腰をおろしました。
「グリークさん…どこか具合が悪いのですか?」

「疲れているのだよ」
そう答えたのはクマのプロフでした。
その時、グリークが2,3度コンコンとから咳をしたのでロバタはミルクの入った二つのカップを持ったまま思わず後ずさりをしました。
「ロバタ、心配するなグリークは病気なんかじゃないよ。
長い旅で酷く疲れているだけだよ」
「あっ、はい…。そ、そうでしたか」
グリークの側によるといつもは太く張りのある逞しい首から胸までの肉はゲッソリ痩せ落ち自慢の翼の羽はボロボロに抜け至るところに血も滲んでいました。
「グリークさん、今回は随分辛い旅だってのですね。温かいミルクでも飲んでゆっくり休んでください。」
ロバタはそう言ってグリークにミルクの入ったカップを渡しました。
「ありがとう、ロバタ」
グリークが初めて声を出してそう言いました。
その声はか細くガラガラでこの旅の重さを物語っていました。
「ロバタ、君が昨晩森の放送局から恐ろしい病気の事を報せてくた後、私は中々眠れずに書斎の机の上で考えごとをしていたのだよ」
「プロフさん、私もなかなか眠れませんでした」
それは森の仲間たちも同じでした。
その証拠に森の家々の窓灯りは一晩中ついていたのですから。

森はこれからどうなってしまうのだろう…

自分でも何か出来ることはないだろうか…そんな事をあれこれ思っている内にプロフはうとうとと眠りはじめていました。
どれだけ眠っていたかは分かりません。
突然、ドッスーンと三本杉の方で大きな物音がしました。
プロフは三本杉の直ぐそばの大きな丸太小屋に暮していました。
「なんの音だろ?」
プロフは何か胸騒ぎがして音のした三本杉の場所まで行って見ることにしました。

vol.5
 月のない夜でしたので手にしたランプの明かりだけが頼りでした。
三本杉の根元あたりに何か大きな白い塊のようなものが落ちています。
プロフはその辺りをランプで照らしながら進むと突然大声でこう叫びました。

「グリーク…?君はグリークじゃないか!いったいどうしたというのだ、こんなにボロボロに傷ついて!」
プロフはランプを放り投げるように置くとそこに横たわるオオワシのグリークを抱き上げました。
「あぁ…これはくまのプロフさん、やっと私は故郷の森に帰ってきたのですね。」
グリークはそう言ってそっと目を開けました。

画像4

プロフは傷ついたグリークをひとまず丸太小屋の家につれて帰りました。
傷ついたグリークを坂の上の病院へ連れて行きたくても今病院へ入る事が出来ません。
「困ったなぁ」
プロフはグリークに森に恐ろしい病気が入り込んで来てること、病院には今近づけないことを話しました。
「心配しないでください、私は大丈夫ですから。
ただ、この森に恐ろしい病気が入り込んでいると聞けば益々私はヨウゴゥ先生に会って渡さなければならない物があります。そして急ぎ森のみんなに伝えたいことがあります。」
グリークは弱々しい声でそう言って旅で起きた不思議な出来事を話し始めました。

グリークの話を聞いたプロフもどうしても坂の上のヨウゴゥ先生に会わなければならないと思いました。
ナチューを助けるためにも。
そしてこの森を守るためにもヨウゴゥ先生にグリークが旅から持ちかえった物を託さなければならないと思ったのです。
どうしても…

「そして私たちはヨウゴゥ先生に会いグリークが持ち帰った物を渡して今、その帰り道なのだよ」

プロフがグリークから聞いた旅で起きた不思議な出来事…それはいったい何なのか…?
そして、グリークが持ち帰った物とは…

手元の冷めたミルクカップをテーブルの上に置くとプロフは静かにこう言いました。
「ロバタ、グリークが話してくれた不思議な旅の話しを私が今、変わって話そう」

夜が開け始めていました。
部屋は窓やドアの隙間から忍び寄る冷たい冷気で少しひんやりとしていました。

ロバタは慌てて薪棚からナラの薪二、三本を抱えて来てストウブの中に投げ入れました。
薪はパチパチと音をたてながら爆ぜ部屋はたちまちに温もりに包まれていきました。

vol.6
ストウブの中で薪は赤々と燃えています。

プロフの旅の話を聞きながらロバタは頬に伝う涙をなんども指で払いました。

時々、グリークが咳き込むとプロフはその大きな手でグリークの痩せた背中をそっとさすりながら話を進めました。

やがてプロフはロバタがカップに注いだ温かなミルクをゆっくり飲み干すと
「ロバタこれがグリークから聞いた不思議な旅の話しだよ」といいました。

ロバタは長椅子に横たわるグリークに駆け寄ると
「グリークさん、よく、よくこの森に帰って来てくださいましたね。本当にありがとうございます。」
と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でグリークにそう言いました。

グリークはとび色の美しい瞳をそっと開け静かに頷きましそれからロバタとプロフはよく話し合って暫くロバタの家でグリークを休ませることにしました。

おひさまの匂いをいっぱい吸った干し草の上でグリークは深い深い眠りに堕ちていきました。

グリークが体を休めている間に森は大変な騒ぎになっていました。

感染病の感染者がねずみのナチューだと森の誰もがもう知っていました。

「ナチューは少し前までお家も無かった野ねずみだったのでしょ?だからご飯もまともに食べれずこんな病気になったのよ!」
「全くもって、困ったもんだよ。クリスマスも近いと言うのに家から一歩も出られないじゃないか」
「私なんかクリスマスにはコッペリのパン屋さんで美味しいクリスマスケーキを買ってそれからオルゲンハットの帽子屋さんで羽の付いた赤い帽子を買いに行く予定だったのに!」

そのオルゲンハットの帽子店も今は重い扉を閉めてひっそりと静まりかえっていました。

みんな好き勝手な事を言ってるようでも本当は不安でしかたないのです。

当たり前の日常が突然当たり前でなくなっていく不安と寂しさと…
そして恐ろしい感染病にいつ自分が感染してしまうのかと思うと誰を何を信じていいのか分からなくなっていたのでした。

憎むべきは恐ろしい感染病であって誰かのせいでもなくまた、誰かを憎むべきことではないのです。

2日後のお昼過ぎにグリークは干し草のベッドの中で静かに目を覚ましました。
「あぁ…グリークさん、お目覚めになりましたか」
ロバタは採りたての真っ赤なりんごで美味しいジュースを絞りグリークに飲ませてあげました。
「美味しいよ、ロバタ、ありがとう。
もぉ、僕は大丈夫。
早く森の放送局に僕を連れて行ってくれないか」

ロバタは自分が引く荷車でグリークをコンコン池の直ぐ側の森の放送局に連れて行きました。
コンコン池につく頃には冷たい雨が降り出していました。

ロバタは北の森で暮らす友人の画家、猫のクッキーニーさんがクリスマスプレゼントに贈ってくれた手編みのマフラーをグリークの首にそっと巻いてあげました。

画像5

しんと冷えた放送局の中でグリークは深呼吸を一つして古びた黒いマイクに向ってしっかりとした力強い声で話し始めました。

vol.6

ストウブの中で薪は赤々と燃えています。

プロフの旅の話を聞きながらロバタは頬に伝う涙をなんども指で払いました。

時々、グリークが咳き込むとプロフはその大きな手でグリークの痩せた背中をそっとさすりながら話を進めました。

やがてプロフはロバタがカップに注いだ温かなミルクをゆっくり飲み干すと
「ロバタこれがグリークから聞いた不思議な旅の話しだよ。」といいました。

ロバタは長椅子に横たわるグリークに駆け寄ると
「グリークさん、よく、よくこの森に帰って来てくださいましたね。本当にありがとうございます。」
と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でグリークにそう言いました。

グリークはとび色の美しい瞳をそっと開け静かに頷きました。

それからロバタとプロフはよく話し合って暫くロバタの家でグリークを休ませることにしました。

おひさまの匂いをいっぱい吸った干し草の上でグリークは深い深い眠りに堕ちていきました。

グリークが体を休めている間に森は大変な騒ぎになっていました。

感染病の感染者がねずみのナチューだと森の誰もがもう知っていました。

「ナチューは少し前までお家も無かった野ねずみだったのでしょ?だからご飯もまともに食べれずこんな病気になったのよ!」
「全くもって、困ったもんだよ。クリスマスも近いと言うのに家から一歩も出られないじゃないか」
「私なんかクリスマスにはコッペリのパン屋さんで美味しいクリスマスケーキを買ってそれからオルゲンハットの帽子屋さんで羽の付いた赤い帽子を買いに行く予定だったのに!」

そのオルゲンハットの帽子店も今は重い扉を閉めてひっそりと静まりかえっていました。

みんな好き勝手な事を言ってるようでも本当は不安でしかたないのです。

当たり前の日常が突然当たり前でなくなっていく不安と寂しさと…
そして恐ろしい感染病にいつ自分が感染してしまうのかと思うと誰を何を信じていいのか分からなくなっていたのでした。

憎むべきは恐ろしい感染病であって誰かのせいでもなくまた、誰かを憎むべきことではないのです。

2日後のお昼過ぎにグリークは干し草のベッドの中で静かに目を覚ましました。
「あぁ…グリークさん、お目覚めになりましたか。」
ロバタは採りたての真っ赤なりんごで美味しいジュースを絞りグリークに飲ませてあげました。
「美味しいよ、ロバタ、ありがとう。
もぉ、僕は大丈夫。
早く森の放送局に僕を連れて行ってくれないか」

ロバタは自分が引く荷車でグリークをコンコン池の直ぐ側の森の放送局に連れて行きました。
コンコン池につく頃には冷たい雨が降り出していました。

ロバタは北の森で暮らす友人の画家、猫のクッキーニーさんがクリスマスプレゼントに贈ってくれた手編みのマフラーをグリークの首にそっと巻いてあげました。

しんと冷えた放送局の中でグリークは深呼吸を一つして古びた黒いマイクに向ってしっかりとした力強い声で話し始めました。

Vol.7

画像6


「ほうき森のみなさん、 オオワシのグリークです。

みなさんに急ぎお伝えしたい事があり今から森の放送局か らお話しをさせて頂きます。」 旅に出ていたグリークが森に帰って来ている事を森の仲間 たちはきっと不思議に思っていることでしょう。

ロバタは放送局の冷たい壁に凭れ目を閉じてそんなことを ふと、思いました。

「私はみなさんもご存知のように世界中を旅してそこで見 聞きしたお話しを本にしてみなさんにお伝えすることを生 業として来ました。

しかし、ここ数年、 長い旅をするには少し年を取って来た ように思え今回の旅を最後にしょうと心に決めていまし た」


森に新緑の美しい季節がやってきた頃でした。

瑞々しい気持ちに包まれた朝、 グリークはほうき森を飛び 立ちました。

まだ見ぬ西の国から南の国を巡る長旅はグリークの最後の 旅に相応しいものになると胸がワクワクしていました。

ところが今回の旅はいつもの旅と少し違って思えました。

西の大きな塔が幾つも建つ国に立ち寄ればがらんとした石 畳の広場には鳥たちだけがそこかしこで群れをなし餌を啄 んでいます。

また美しいモザイク模様のモスクのある国に立ち寄ればお 祭りのように人々が集まり大声で何か叫び合っています。 それはお祭りではなく暴動であったり黒い服を着た長い々 葬送の列であったりしました。

街角から音楽や踊りが消えカラフルな服を着た道化師や花 売りの娘たちはどこかにいってしまいました。 ただ、家々の窓辺に咲く花たちは活き活きと咲き乱れてい ることにグリークは少し不思議に思えました。

グリークはいつもの旅と違った光景に違和感はありました が旅を急ぎました。

その日も大きな翼でいつものように空を飛んでいました。

ところが行けどもゆけども目的の国に辿り着きません。 

「おかしいなぁ、 方向を間違えたのかな」 グリークは少し心配になって来ました。

やがて強い雨混じりの風が吹き雨は次第にグリークの身体 を叩きつけるように激しく振り始めました。 それは何時間も何時間もグリークを苦しめました。 やがて雨は止み次に現れたのはジリジリと身を焦がすほど の灼熱の太陽でした。

喉が渇き暑さでフラフラになりながら休む場所を探しても 岩影さえ見つかりません。 

「あぁ... 最後の旅になると思ったけれど故郷の森に帰るこ とも出来ずほんとに最期の (死の) 旅になってしまうの か…..」 グリークは観念しました。

そして青い海の上に真っ逆さまに堕ちていったのです。

画像7

vol.8

波の音が聞こえました。

甘い花の香りと優しい声も聞こえてきます。

それは小さい頃、母親の胸に抱かれて聴いた子守り歌のようにも聴こえました。

グリーク、グリーク…

心配そうな声で誰かがグリークの名を呼んでいます。

グリークは静かに目を覚ましました。

「おぉ、やっと目が覚めましたか。誰か(みんなの水)をここに持って来てくれないか」
真っ白な毛をしたろばのおじいさんが大声でそこに居た誰かに叫びました。
すると鼻の大きな犬が貝の器に入れた綺麗な水を持ってグリークに飲ませてくれました。
「あぁ…なんて美味しい水なんでしょう」
グリークはそう言ってゆっくりと起き上がりました。

青い海に浮かぶこの緑の小さな島には沢山の動物たちが住んでいました。
島の動物たちはみんな穏やかな笑顔でグリークを優しく癒してくれました。
その島の仲間たちといると妙に懐かしい気持ちになってグリークは日に日に身も心も癒やされて行きました。

島で採れる魚や果物は今まで食べたことがないくらいに美味しくグリークはここでずっと暮らしてもいいかなと思えたほどです。

しかし、グリークには故郷の懐かしいほうき森があります。
そこで待っている仲間たちがいます。
グリークはまた、旅を続ける決心をしました。

そんな時でした。
ろばのおじいさんがグリークのところにやって来て
「グリーク、君はまた、旅にでるのか?」と尋ねました。
「随分、長々とお世話になりました。
みなさんのお陰で体もすっかりよくなったのでまた、旅に出たいと思っています」グリークはそう答えました。

「グリーク、少し私の話しを聞いてはくれないか」
ろばのおじいさんは遠い彼方を見るような目をしてグリークにそう言いました。

潮風に揺れるねむの木の木陰の下で島の動物たちがのんびり昼寝をしているのが見えます。

ろばのおじいさんは白砂の上に転がる丸太の長椅子に腰を下ろすと静かに話し始めました。
「私は、いや、私たちは遠い々昔に東のとある森に住んでいたことがあるのだよ」
「えっ!それはほうき森ですか?」
グリークは驚いたようにそう尋ねました。
「グリーク、黙って聞いていてほしい」
ろばのおじいさんは話しを続けました。

vol.9

ある時、森に恐ろしい感染病が忍び込んできました。
薬もなく、森の仲間たちが次々に死んでいきました。
森の仲間たちはいつ自分がその恐ろしい病気にかかってしまうのか不安で不安でしかたありません。

森の広場から音楽や踊りが消えレストランで食事をすることも演奏会に行くことも誰かと会うことさえも禁じられました。
森の仲間たちは日に日に孤独になり、いつ治まるとは分からない恐ろしい感染病にどうしていいのか分からなくなっていたのでした。

孤独な時こそ誰かと会って話がしたい。
大声で笑い、歌い、足を踏みならし腕を組み夜通し踊りあかしたいと誰もがそう思いました。
そうすることで恐ろしい感染病の事など何もかも忘れてしまいたいと思ったからです。
しかし、この恐ろしい感染病にはそれを許さない邪悪な魔力のようなものがありました。

あるものは大切な友人や仕事仲間を、またある者は愛すべき子供のためにその母親やおじいさんやおばあさんを疑い恐れ遠ざけました。
そして、時には暴動もおこりました。
中にはその恐ろしい病気を逆手に金儲けをする者さえ現れました。

いつも目に見えない何かに怯え何でもないことにピリピリして直ぐに喧嘩になりました。
みんな、みんな自分の身を、愛するものたちを守るためだったのです。

森の仲間たちはいつまで続くとも分からない感染病にクタクタで心まで病気になりそうでした。
そして森の仲間たちはそんな自分たちが嫌でいやでこんな森には居たくない、こんな思いをするくらいなら死んだほうがマシだとさえ思うようになって来たのです。

「そして…私にもその恐ろしい病は襲ってきたのだよ…。
私は森に初雪が降った朝、故郷の森を静かに旅たち長い々旅を経てこの西の島に辿りついたのだよ」

グリークは一言も言葉が見つかりません。

「今、この穏やかな島でその時の事を思えば何故私たちはあの時、悪戯に病を恐れるのではなく、誰かのせいにするのでは無く、森の仲間たちといっしょになって恐ろしい病気を森から追い出し大切な森の仲間を守りきれなかったのかと。
悔やんでも悔やんでも仕方ないことばかりだよ」 

ろばのおじいさんはそっと涙をぬぐいました。

「グリーク、君にはまだ果さなければならない役目がある。
故郷の森に帰って私のこの話を森の仲間たちに伝えて欲しい。
故郷の森の仲間たちにもきっと役に立つ話だと思うから。過ちは繰り返してはならぬと」

グリークは胸騒ぎがしました。

旅で訪れた国々で見た奇妙な出来事や違和感…グリークは故郷のほうき森の仲間たちのことが心配になって来ました。
そしてグリークは旅を取り止めて急ぎ故郷のほうき森に帰ることを決心したのです。

ろばのおじいさんが伝えたい思いと一緒に…。

vol.10
翌朝、島の美しい白浜には島の仲間たちがグリークとのお別れに大勢集まって来てくれました。

画像8

「みなさん、いろいろとお世話になりました。この島で過ごしたことは決して忘れません。本当にありがとうございました。」
グリークは島の仲間たちに心からお礼を述べました。
「グリーク、これを持って帰ってくれないか。故郷の森に何かの役に立つと思うから。」
ろばのおじいさんがそう言って青い小瓶を差し出しました。
「これは?」
「これは君がこの島に辿り着いた時に最初に飲んだ(みんなの水)だよ。
この水は元々この島に湧いていた水ではなく、私たちがこの島に辿り着いた時にみんなで一生懸命に掘り当てた(みんなの水)なのだよ。」

グリークはその小瓶を受け取っていいのか少し迷いました。
「私はこの島に再び訪れることができるのかわかりません。なので…なんのお返しも出来ません。」

すると鼻の大きな犬がグリークにこう言いました。
「グリーク…遠慮はいらないわ。私たちはどこかでまた、きっと巡り会えるから。その時に笑顔でまた会いましょう。」

「ありがとうございます…大切な水…頂いて帰りますね。」

グリークはそう言って青い小瓶を大きな翼の中にそっと仕舞いました。

「グリーク、嵐がくるやもしれぬ。急げ。
あの岬の先の大岩の辺りから飛び立てば間違いなく東の空の方へ飛び立てるだろう」

ろばのおじいさんはそう言って岬の大岩を指差しました。

グリークは一旦、島の岬まで飛びました。

岬の大岩のあたりには一面に白い花が咲き乱れ甘い花の香りに包まれていました。

「あぁ…この花はナツカシの花じゃないか。
こんなに沢山咲いている…なんていい香りがするのだろう」

遠い昔には故郷のほうき森にもナツカシの花はそこかしこに咲いていました。
けれどその花は今はもう滅多にみることがありません。
森の奥深く探して探して探し歩いてやっと見つけることがありました。

グリーグはしばらくその花畑の中に立佇むと故郷の仲間たちのことを思いました。

そしてグリークは胸いっぱいにその花の香りを吸い込みました。
花畑の先にはキラキラと光り輝く青い海が果てなく広がっていました。

緑の島を縁どるような白い砂浜の上には島の動物たちがグリークの旅たちを見守っています。

「さよなら、さよなら」
グリーグは大岩の上から声の限りに叫びました。

島から吹上げる強い風はグリーグに勇気をあたえました。

「よし、今だ!」

グリークは力いっぱい大岩を蹴り上げ花の香りを含んだ島風に身を任せました。

その時です。

あっ!とグリークは息を飲みました。
今、自分が力いっぱい蹴り上げた大岩の断面には荒々しい文字でこう刻まれていたからです。

ここはレナトゥス島 (Renatus.island)
再生の島、生まれ変れる島だと。

グリークは真っ直ぐ前だけを見てもう後ろを振り返りませんでした。

ただ、訳もなくグリーグの鳶色の美しい瞳から涙が後からあとから流れ落ちました。

そして、その涙は眼下に広がる青い々海の底に真珠の粒のように溢れ落ちて行きました。

※レナトゥス (Renatus) は、「生まれ変わる、再生する (reborn)」を意味する("natos"は生まれるの意)、ラテン語が起源の名前。

vol.11

画像9

グリーク、急げ!

荒ぶる風が唸るようにグリークの耳元で叫びます。

グリークはあらん限りの力を振り絞り翼を広げ故郷のほうき森を目指しました。

やがて空はあの時と同じ様に鉛色の雲に覆われその雲の割れ目から鈍い光とともに天を劈くような雷の音が響き渡りました。

風は渦を巻き雨はしなる鞭のように強かにグリークの体を打ちのめします。

負けるものか、負けるものか…

グリークは歯を食いしばり顔をあげます。

渦を巻くような強い雨風に頑強な翼の羽は毟り取られ、自分が飛んでいるのか止まっているのかさえわからないくらいでした。

やがて雨は止み次に現れたのは灼熱の太陽でした。

ジリジリ、ジリジリと身を焦がすほどの太陽はあの時以上にグリークの体を痛ぶりこのまま火だるまになって焦げ落ちてしまうのでは無いかとさえ思えました。

熱い、あつい…

喉がカラカラだ…

グリークは何度も、なんども諦めかけました。

画像10

けれど、あの時と違っていたのは島の仲間たちの穏やかな笑顔と故郷の森の仲間たちの笑顔がひとつに重なりグリークに力と勇気を与えました。

負けるものか、負けるものか…

グリークはろばのおじいさんとの約束を果さなければなりません。

森の仲間たちに伝えなければならないことがあります。
翼の中には島の仲間たちから預かった大切な水の小瓶もあります。

どんなことがあっても故郷の森に帰らなければなりません。

挫けそになる心にグリークは自分自身で鞭を打ち続けました。

気がつけば空はいつの間にかあかね色の夕焼けに染まっていました。

薄紫色に何層も重なり合う雲の影には名もなき星たちがキラキラと輝き始めています。

その星が導く先に
夕焼けに染まる懐かしい故郷のほうき森が見えて来ました。

小高い丘の上に立つ三本大杉が星を飾るようにその枝を広げています。

「愛と祈りと共に森に生きる」遠い々昔に森の仲間たちがそう誓い合い植えた大杉だと聞いたことがあります。

あぁ…やっと故郷のほうき森に帰って来たんだ。

もうろうとする意識の中でグリークはそう呟くと大きな翼を窄めゆっくりとゆっくりとその三本杉の上に堕ちて行きました。

 vol.12

画像13

こうして私の長い旅は終わりました。

西の島の仲間たちから頂いて来た(みんなの水は)坂の上の病院長、ヨウゴゥ先生に既に渡してあります。

その水がナチューの命を助けてくれるのか…
私にもヨウゴゥ先生たちにも誰にも分かりません。

ただその(みんなの水)を島の仲間たちが共に掘り上げ今もその水をみなで分かち合い命を繋いでいると言うこと。

悲しみも苦しみも不安も怖れもまた、喜びも全て共に分かち合うと言う事、その意味を私たちは教えられているような気がします。

恐ろしい感染症と私たちは共に戦い、この森から追い出さなくてはなりません。
そしてもう一つの戦いは自分自身との弱い心です。
悪戯に病を怖れず誰かを疑い憎む自分の弱さと戦はなくてはなりません。
過ちを繰り返し大切な仲間を失わないためにも…
それが私から、いいえ、遠い西の島で出会った仲間たちからみなさんに今、伝えたい事だと思っています。

グリークはふっと小さな息をひとつ吐くと静かにマイクのスイッチを切りました。

窓の外は冷たい雨がいつの間にか雪に変わり静かに森を覆い始めていました。

画像14

それから数日経っても坂の上の病院からは何の連絡も届きませんでした。

ほうき森の仲間たちはやきもきしながらも用のない時には自宅で静かに過ごしナチューの回復を心から願いました。

ロバタもいつものようにコッペリのパン屋さんに届けるりんごを取り分ける仕事をしていました。

するとどこからともなくオオワシのグリークがやって来てロバタの頭上で大きな輪をひとつ描きました。

「グリークさん、ずいぶん元気になりましたね」
「みんなのお陰だよ。ロバタありがとう」

グリークの真っ白い翼は雪晴れの青空にキラキラと輝いています。

その時でした。
ロバタのポケットの中の携帯電話がブルブルと音を立てました。
 
「ロバタ…いい報せよ。」電話の弾む声は坂の上の病院長、ヨウゴゥ先生でした。

「今朝、ナチューが私の作った野菜スープを美味しそうに飲み干してくれたわ」
「あぁ…それは良かった。ナチューは元気になっているのですね。」
「えぇ…もう大丈夫よ」
「アナン先生や病院のみなさんは?」
「みんな元気よ。
森のみなさんの頑張りもあって感染者は他には出ていないわ。ロバタ色々お世話かけましたね。ありがとう」

「グリークさん、ナチューが…」
「あぁ、さっき病院の上を飛んでいたらヨウゴゥ先生が窓をいっぱいに開けて笑顔で教えてくれたよ」

グリークが空に大きな輪をひとつ描いたのはそんな訳けだったのか。
ロバタはグリークのいる空を見上げてそう思いました。

「グリークさん、ひとつだけ聞きたい事があるのです…」
「なに?」
「グリークさんが西の島で出会ったろばのおじいさんはリフと言う名前ではありませんでしたか?」
「いや、名前は聞かなかったから分からないな。ただ、遠い昔に森でりんごを作っていたことがあるんだよって、だから今でも真っ赤なりんごが大好きだって言ってたよ」

それを聞いたロバタは嬉しそうに頷くと傍らの木箱に積み上げた一等赤く大きなりんごをグリークのいる空に高く々放り上げました。

グリークはそれを上手に受け取ると翼を大きく広げて遠い彼方に消えて行きました。

その姿があまりにも美しかったのでロバタはいつまでもいつまでも眺めていました。
         


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?