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ヨイトマケの唄~桑田佳祐

Act Against AIDS ’93の原稿を書いていて、どうしても触れておきたかったのがこの『ヨイトマケの唄』。

1994年の桑田佳祐ソロツアー「さのさのさ」でお馴染みになったこの曲も、初披露はこのAct Against AIDS ’93であった。
(AAA 93の時は歌前に「父ちゃんのためならエンヤコラ 母ちゃんのためならエンヤコラ……」を入れていたような記憶が。)

私も実際、AAA’93会場に足を運んだ1人であるが、この時に聞いた『ヨイトマケの唄』は自分的にもなかなかの衝撃であった。

桑田佳祐が歌う
“これだけ日本語がストレートにドカンと肉体に入ってくる曲“
を聞いたのが初めてだったからである。

一緒に観に行った友人と帰り道に「あの曲が1番凄かったね」と話した記憶が。大仰ではなくエポックメイキングな出来事であった。

下記のインタビューは全て翌1994年のアルバム『孤独の太陽』リリース時のものであるが、AAA’93での『ヨイトマケの唄』を歌った時の手応えから、この大傑作アルバムが生まれた事がよくわかる。

歌に乗せやすい流暢な言葉ではなく、もっとゴツゴツとしてざらついた日本語を使っていく、その後の例えば『私の世紀末カルテ』を経由して、現在に至るまでの日本語のアプローチの仕方に開眼した出発点であった。

大きなターニングポイントの1曲である。

桑田佳祐
「去年、AAAのエイズのイベントしたでしょ。それで『ヨイトマケの唄』を歌って思ったんだけど、あそこで感じたんだよね、こたつ感覚を。“いい歌、歌いまっせ”っていうのがね。不思議なもので老若男女関係なしだと思うのね、目の前で泣いてる若い女の人もいて・・・。この曲知ってるのかなって思ったけど、知らないだろうしね。音楽が持ってる、音楽までいくかどうか分からないけど、歌が持ってるマジックっていうか、すごいなって思ったんですよね。」(1994年)

―昨年の暮れのAAAのコンサートで桑田さんが丸山明宏の『ヨイトマケの唄』を歌ったのが印象的だったんですよ。で、その気分が今回の作品集(アルバム『孤独の太陽』)にもつながっている気がしたんです。洋画的というよりは邦画的な作品集じゃないですか?

桑田佳祐「確かにそう。邦画。あの時、『ヨイトマケの唄』を歌ってみて、あそこにいた人たちも、ああいう歌は初めて聴いたんだと思う。でも、あれを歌ったことで、お客さんとの距離がぐっと縮まった気がしたんです。なんていうか、こたつを挟んで向こうとこちらにいる、みたいな、そういう距離になれた。最近、忘れていたことなんです。唄の好きなサルの私が、ギター一本持って、こたつの向こうの友達に歌う。その時の説得力、久しぶりに思い出したんです。」(1994年)

桑田佳祐「なんかいま刺激のあることというと、やっぱり一番自分に近いことっていうかな、等身大のこと。だからそれこそKUWATA BANDの反省じゃないんだけども、売れなくてもそれならしょうがないという発想がやっとわかってきたかなと思うんですよね。やっといまになって。」

―例えばスーパーチンパンジーとか、エイズイベント(AAA)とか、ああいうものはけっこう試行錯誤の一つとして大きいわけですか。

桑田佳祐「ありますね。まあスーパーチンパンジーもそうだけど、あとエイズのイベントというのは大きいですねえ。あのコンサートでまあ“ヨイトマケの唄”とか歌ったことで、ものすごくお客さんってのがキュッと前に来たんですよね。コミュニケーションがギュッとそこで近づいたという。『あーら不思議だなあ』みたいな。日本語の歌ってのはいいもんだなあというか。そこでシビれていてもしょうがないんですけど。なんか宴会芸のような音楽みたいなものじゃなくて。やっぱり自分が客の前でダイレクトに歌う音楽ってものが、今一番興味があるっていうか、ちょっとシビれてるというかね。」(1994年)

桑田佳祐
「エイズのコンサートで『ヨイトマケの唄』を歌ったんだ。
10年前だったら“かあちゃん見てくれこの姿”って歌詞に、“ケッ!”と思ったと思う。そんなクサイ言葉、歌えなかった。でも、今は何でもありなんだよね。きれいな言葉じゃなくても文脈の中で受け取ってもらえる。
世紀末なのかわかんないけど、演歌からラップまで音楽の範囲があるとして、その辺がどうブレンドされても受け手側の許容キャパは広がっている。
だったら俺もやってみようかなと思った。」(1994年)

桑田佳祐
「『ヨイトマケの唄』は昔聴いたことあったんだけど。AAAのときね、日本の歌謡曲みたいな本を見てたら載ってて、譜面書いてあったからちょっと歌ってみたら『知ってる知ってる』ってことで決めたのよ。

“ヨイトマケ”ってどういう意味かなって辞書引くんだけど、もともとは日雇い労働者のことであり、今となれば在日韓国人のことも含まれるらしいって誰かが調べてきたわけね。NHKでは放送禁止でしたね。でも、おかしいよね、放送禁止の物差しのあり方が。とにかく臭いものには蓋をしようってのしかないからさ。本当の臭いもの、清も濁も嗅ぎ分ける力って普通の人持ってるから、臭いものでいろんな人間が洗脳されるってことないと思うのね。ただいろんな問題があるんだろうけどね。

なぜ放送禁止なのかってこっちもよくわかってないからね。タチの悪い輩がいるってことで放送禁止になるのかもしれないね。放送禁止用語が全部いいとは思わないけど。これだけ、猥褻なものがはびこってて、歌だけが丸ってのはね。

この歌って不思議でね。今回のアルバム(『孤独の太陽』)のコンセプトにも似ているんだけど、いわゆるサウンドでフォローしなくても充分なりたってしまう曲なんだよね。

詞の部分も大きいんだろうけど、メロディーをサウンドでビルドアップさせる洋楽みたいなサウンド指向じゃなくてさ。結局人間のもってる強弱のダイナミックレンジが、あの曲のアレンジになると思うんですよね。歌ってて飽きないのは、そういう強弱がその日の違ったものでできるからでね。

あとテンポがどうのこうのって話したことないしね、必要ないよね。それが演歌であり民謡であり、民族特有に培われたものがあるんでしょうね。俺はレコード発売してないし、直接歌うでしょ。お客は初めて聴く人が多いと思うんですよ。だからものすごうフィルターを通さないですよね。事前のプロモーションもないし。そういう手触りがざらっとあるだけ、ぼくらが普通やっているのとは全然違いますよね。

普通はCD出して振っておいて、歌詞を覚えさせてライブで一気に攻め込もうって感じでしょ。その点“ヨイトマケ”はアドリブも効くんですよね、現場のアドリブが。本当、いい曲ですよ。

今の時代の大衆の気持ちって、一万人の大衆のなかに一万個の価値観があると思うんですよ。だから、逆にライブで俺を含め一万一人の価値観の中で、そのひとつの価値観にグーッと寄り絵になっても全然おかしくないかなってね。情報量が多いなか、そのうちのひとつをステージにもってきてもいいかなって。

コンサートってものは光ばっかり放ってるんじゃなくて、闇みたいなものがあってもいいかなって。」(1994年)

―桑田さんが『月』に至るまでの過程がとても自然な流れのような気がするんですよね。『ギター一本云々』っていう発言から始まって、『真夜中のダンディー』につながり、日本の今なお歌い継がれている名曲にスポットを当てた主旨の“AAA”のチャリティライブで桑田さんの思いが明確になったでしょ。例えば『ヨイトマケの唄』を歌った桑田さん自身が、この歌の持つ力に強く刺激されたこととかを含めると、とても一貫した流れがある名と思うんですよね?

桑田佳祐「ああ、それはある。自分の満足度を含めて、メンバーやスタッフで“せーの!”で音楽を作るでしょ。で、その満足度のポイントをどこにおいて手を結ぶかが一番難しい。だんだんすれてきちゃっているのかなって思ったことがあったんだよね。
音楽自体のアレンジが複雑になってくると、それを追求するのは楽しいんだけど、歌の持ってる力とは別の力を求めようとするでしょ。緻密に奥深く入っていってしまうっていうか。でも、実際に、歌とか音楽をリスナーはそこまで聞いているんだろうかって思ってきてね。」

―何か大事なものを失ってしまうような感覚というか・・・

桑田佳祐「うん。その大事なものをなくしてしまうクセが付き始めているのかなって思った。AAAの時の『ヨイトマケの唄』じゃないんだけど、お客さんと歌を同じ距離で楽しむような、慈しむような感じを味わったのね。やってみて新鮮だったし、すごい歌があるんだなって改めて思った。リアリティを感じちゃったもんね、あの歌には。」

―不滅なものの力が存在しますよね、あの歌には。

桑田佳祐「そうなんだよね。でね、あれを歌ってみてもっとお客さんとの距離が自然でいいんじゃないかと思ったわけなんですよ。どんどんビッグプロダクションを構えてね、サザンの場合もそうなんだけど、コンサートなんて、バリライトを使って、バブリーな感じになっていくわけじゃない。だんだんとプログレになっているんだよね、俺らの了解点が。
俺らステージに立っている人間も、エンジニアも、マネージャーもスタッフもプログレチックになっている。
今、俺だけじゃなくて、いろいろな人間がそれに気がつき始めていると思うんだけど、なんか必要以上の事をやってもしょうがないなって。分相応なことが、歌の場合、正しいんじゃないかなっていうね。ドラム、ベース、ギター、ピアノっていう編成が歌に対して十分じゃないかと思ったりして。」(1994年)

<1999.09.12記>
<2023.12.01追記>

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