Act Against AIDS ’93の原稿を書いていて、どうしても触れておきたかったのがこの『ヨイトマケの唄』。
1994年の桑田佳祐ソロツアー「さのさのさ」でお馴染みになったこの曲も、初披露はこのAct Against AIDS ’93であった。
(AAA 93の時は歌前に「父ちゃんのためならエンヤコラ 母ちゃんのためならエンヤコラ……」を入れていたような記憶が。)
私も実際、AAA’93会場に足を運んだ1人であるが、この時に聞いた『ヨイトマケの唄』は自分的にもなかなかの衝撃であった。
桑田佳祐が歌う
“これだけ日本語がストレートにドカンと肉体に入ってくる曲“
を聞いたのが初めてだったからである。
一緒に観に行った友人と帰り道に「あの曲が1番凄かったね」と話した記憶が。大仰ではなくエポックメイキングな出来事であった。
下記のインタビューは全て翌1994年のアルバム『孤独の太陽』リリース時のものであるが、AAA’93での『ヨイトマケの唄』を歌った時の手応えから、この大傑作アルバムが生まれた事がよくわかる。
歌に乗せやすい流暢な言葉ではなく、もっとゴツゴツとしてざらついた日本語を使っていく、その後の例えば『私の世紀末カルテ』を経由して、現在に至るまでの日本語のアプローチの仕方に開眼した出発点であった。
大きなターニングポイントの1曲である。
<1999.09.12記>
<2023.12.01追記>