プロレスに詳しい人の意見を聞きたい、昭和プロレスの「ん?」その5

5.『第一次UWFのマッチメイクの不思議』

 昭和時代のプロレスとして、UWFを避けることはできないでしょう。
 この一連の拙文では、とりあえず日本プロレス崩壊後の昭和で、活動していたプロレス団体を取り上げようと考えていましたので、UWFがトリを飾る形となります……と言えば聞こえがいいのですが実際のところは、よいネタが浮かばなかったというのが大きいです。
 UWF成立の過程やUWFのそもそもの目的など、興味深い物があるのですが、既に先達による優れた考察がいくつも公にされており、そこへ割って入るレベルの新説が浮かぶでなし、他にこれはというネタも見付けられず、ずるずると来てしまいました。

 縁はここまでにして、本題に入ります。このネタで行ってみようかなと取り上げたのは、サブタイトルにある通り、マッチメイクについて。

 一九八四年10月のシリーズ、ストロングウィークスにて、高田伸彦(漢字表記は当時のもの)格闘地獄変七番勝負が企画されました。その中でvsラッシャー木村、vs剛竜馬がそれぞれ組まれるも、木村と剛の退団により流れてしまいました。もし行われていたら、どんな結果になっていたんでしょう?
 木村には負けるとして、分からないのが剛との一戦。
 剛の方がキャリアは圧倒的に上ですが、格という観点では、UWFに移る十ヶ月ぐらい前の段階ですでに高田がプッシュされ始めており、剛を抜くのは時間の問題という雰囲気だったような。それがUWF旗揚げ後、剛は主戦力の一人として外人相手に負けなしで来ていたはず。外人相手では高田もたまに負けることはあっても、マーク・ルーインを筆頭に明らかに格上から白星を奪っていました。ちなみに剛はルーインとのシングル戦は反則勝ち。
 日本陣営の顔ぶれの乏しさから言って、高田vs剛の前に、前田vs剛とか藤原vs剛をやって強弱がはっきりしたあとなら、高田にも剛越えを果たさせるのはありかと思うのですが、実際には前田vs剛、藤原vs剛は実現していない。ということはここで簡単に剛を負けさせる訳にはいかず、かといって高田を負けさせると、七番勝負は恐らく一勝止まりに終わった可能性大(他の五番はスーパータイガー、藤原、前田、木戸、山崎。※山崎戦は発表されておらず、当初は合計六番だったかもしれません)。試練という位置付けなのに、勝ったのが後輩の山崎からだけでは何とも格好が付かない。ということで、高田vs剛は時間切れドローに収めた気がします。

 さて、同シリーズで予定されていたもう一つ注目のカードは、前田日明vsラッシャー木村です。旗揚げ時点での若きエースと大黒柱の激突といったところになりましょうか。
 新日本時代、前田はラッシャー木村からきれいな勝ちはなかったように思います。逆にラッシャー木村は前田から少なくとも一度はフォール勝ちしている(IWGP公式戦)。
 前田の若きエース路線を継続させるのなら、ここで前田のラッシャー木村越えなんでしょうけれども、すでにUWF実力ナンバーワン決定戦で、前田はスーパータイガーに敗れ、エースの座から一歩後退した感がありました。かといって、前田が敗退するのもまずい気がします。旗揚げ時のエースが、約半年で陥落という構図は、たとえ実力至上主義を掲げたとしても、印象が悪い(早々に「UWFはリアルだ!」と受け取られて、好評を博す可能性もあったかもしれませんが)。
 というわけで、芸がないですが、ここままた引き分けで収めたのではないかと思います。内容は、旗揚げシリーズ最終戦での前田vs藤原と比較されるような、ごつごつしたレスリングが繰り広げられたんじゃないかなと想像しますが、果たして。

 今回、分量が少なめなので、幻となった旧UWF旗揚げ第二弾シリーズ(トミー・リッチ、キングコング・バンディ、ジャイアント・キマラ、ジェシー・バーらの参加が予定されていた)の対戦カードやシリーズの流れも併せて妄想するつもりでした。が、始めてみると、以前に披露した拙文、国際プロレスにミル・マスカラスが参加した場合やダイナマイト・キッドが日本陣営に入った場合の妄想に似通ってしまったので、とりあえずやめておきます(汗)。

 それでは。

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