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北ッ海の国、加賀。石川県金沢市。リアルグーグルマップをゆく。

 本日は石川県金沢市に赴いている。リアルグーグルマップをゆく。と、言いたいところだが、リアルであればグーグルマップは関係ない。とは言え、移動では随分お世話になっているので、やはり、リアルグーグルマップをゆくか。

 旅先では、その土地の図書館で土地の歴史を調べることにしているので、今回は石川県立図書館に赴いた。あまりの凄さに興奮してしまった。

石川県立図書館

 北陸地方は石川県を含んで福井県、富山県とともに越国(こしのくに)と呼ばれた。畿内から北陸に赴く時、近江国から愛発関から山を越えて行かねばならないことから越(こし)と呼ばれるようになった。「高志」とも「古志」とも書く。

 当時の日本海は「北ッ海」と呼ばれ、政治の中枢である畿内からすれば、北陸が最果てであったのだろう。

加賀は、元々「香々」と書き、和銅六年(七一三年)に郡や郷の地名に好字をあてるようにと命令がなされたことで「加賀」に改名したものに思われる。この時に改名した地域は多い。

 日本書紀によると朝鮮半島との交易は盛んだったようであり、立地から考えると、朝鮮半島、渤海(中国)、ロシアとどこにいくにも行きやすかったことは想像に難しくない。

 平安期、紀末成(きのすえなり)という男が越前守に任ぜられ赴任する。伊予介・出雲守・常陸守・大和守・越前守と地方官を歴任した男であるが、歴史的にみた場合、経歴の多い人物は優秀であったか野心があって左遷させられたかを図るのが難しい。

 紀末成は越前守在任中、加賀郡について国府である京から遠く往還に不便で雪のために往来が中止せざるを得ない場合もあり、郡司や郷長が不正等の悪事を働いても京ではわからなず国司の巡検が困難との理由を挙げ、加賀国の独立を提案し、後に加賀国が建国される。

 加賀国建国後、紀末成は独立国家として思いのままに政治を行ったようで、結果として優秀ではあるが野心家だったと言える。とは言え、のちの歴史を考えると、加賀国を独立させた功績は大きすぎると言っても過言ではない。

 平安中期、加賀国に藤原北家出身の藤原景通という人物が加賀介として赴任する。加賀介とは、加賀守の次の役職で、今で言えば官僚の次官にあたる。この人物が「加賀介の藤原」から「加」と「藤」を取って「加藤」と名乗ったことで加藤氏の祖なり、後に加藤清正などを排出する。

 その中に江戸期に大阪に出て商売を始めたものがいた。名はわからない。大阪心斎橋にて岸本屋という屋号で鉄砲商を始め、徳川家の御用達となった。明治期に時代の流れととも没落するに至る。それが我が先祖であることは、どうでもよい話。

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