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インド全土の空港封鎖3日前にアムリトサルにいた話

2020年3月19日。
インド全土の空港封鎖3日前、私はインド北東部の街アムリトサルにいた。

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当時、私は1ヶ月のインド一人旅の途中でした。

野良ガイドおじさんに写真を撮ってもらう


アムリトサルはシク教の聖地で、インド北東部のパキスタンとの国境近くの街です。ジャイプールから夜行列車に乗り、13時間ほど電車に揺られたら翌朝アムリトサルに到着です。

インドの夜行列車は三段ベッドで仕切りも何もない。けど寝袋を使って意外と快適に寝ることができます。

車内はこんな感じ!3段ベット笑

コロナ禍のインド

当時はインドでもコロナウイルスのニュースが大きくなり始めた頃で、だんだんと旅行のしづらさを感じ始めていました。

残念ながら、私個人に向けられた様々な差別も経験しました(おそらく東アジア人の見た目が原因ですね)
私を見るなり恐怖の感情を顔に浮かべる人も現れ始めて、大変な時期に旅行していることに少し申し訳なさを感じることもありました。コロナ禍真っ最中のインドで、街中に外国人観光客もほとんど見かけませんでした。

残念ながらオンラインで予約していたホステルで宿泊拒否をされた私は途方に暮れてしまい、シク教の寺院で一夜を明かすことも考えました。(寺院は24時間オープン。床は大理石でひんやりして気持ちいいし床に寝ている人たちはたくさんいた)

夜の寺院、神々しい、、

なんとか周りにいたインド人に助けられ、他のホテルにチェックインできました。
そのあとは安心した心地で寺院を見学したり、夜景を見るため街をそぞろ歩きしました。アムリトサルの人々はとてもフレンドリーで、路上で子供たちと一緒にキャッチボールをしたのが楽しかったです笑。
とりあえずその日はホテルに泊まれたことに感謝し、深い眠りにつきました、、

アムリトサルの街中、道にゴミが落ちていない。

2日後には国際線のフライトが停止されるって?!


翌朝、インド全土の国際線のフライトが二日後に停止するとの情報が突如入ってきました。(周りのインド人が騒いでいたから知ったのかな?)

さらに、インドすべての州境も閉鎖されるとのこと。
コロナのニュースが徐々に広まり始めたのが2月ごろ。まさか3月でこんなに深刻なことになるとは思いもしませんでした。

とにかく頭がよぎったのが、全ての交通手段を閉ざされ日本に帰ることも他の国を旅行することもできずにインドの街に閉じ込められる自分の姿でした。(当時すでにカザフスタン行きの航空券を買っていたのに泣く泣くキャンセルしました。ちなみにカザフスタンは5年経った今でもいけずじまいです。)

インド人に助けられて飛行機と鉄道の手配をする


決断のタイムリミットは本日中。
今日中に首都ニューデリーに移動し(翌日は州境閉鎖)、すぐに日本へ飛ばなければならないと思いました。

まずニューデリー発日本行きが一番選択肢が多く、一番安い航空券なので急いで翌日の飛行機をスカイスキャナーで買いました。ただ非常時で直近だったので片道60000円くらいしました(泣)

2020年3月30日、アムリトサルの朝

今日の夜には首都ニューデリーに着かなきゃやばいと焦った私は街中のツーリストデスクに相談しました。
軒先に、『TRAIN/FLIGHT』 と書かれた看板が下がっていたカフェです。50代くらいの優しそうなインド人のおじさんが対応してくれました。

「アムリトサル空港から飛ぶ?」
「電車でニューデリーまで行きます。」
「電車なら今日移動しないといけない。今日のチケットならお昼発でニューデリー行きがあるよ。」

といった具合で普通列車のチケットを手配してくれました。
やり取りの間、無事に移動できるか果ては日本まで移動できるか最初は不安な状態でした。でもインドの子供達7人くらいにわらわら囲まれて癒されました笑。子供達は無邪気な感じでとても可愛かった(アジア系の外国人が珍しかったのかな?)

あと、インドの少年に『あなたはお人形さん(doll)みたいに見える!』と言われました。素直に嬉しい。澄ました顔をしていたからかもしれない笑。

アムリトサルの鉄道駅→ニューデリーへ


そしてまずアムリトサルの鉄道駅へ向かう。
とりあえず力車!ということで手を挙げて捕まえてしまったのは自転車方式の人力力車でした、しかも運転手はおじいちゃん。
汗だくで自転車を漕いでくれたおじいちゃんの姿が忘れられません。最後は妥当な金額を請求されて、全くぼられませんでした。

首都ニューデリーまでは8時間の移動。たまたま電車で一緒になったインド人のカップルとゲームをしたりこれまでの旅の話をしたりして過ごしました。
着いたのは夜の9時とかだったけど、インド人カップルは晩御飯をご馳走してくれ、宿まで歩いて送ってくれました。本当に親切でした。

ニューデリーの安宿街

色々あったけどやっぱりインドが好き

切羽詰まった状況だったからこそ、鮮明に覚えていることも多いです。
コロナ禍のインドでは冷たく差別的な対応をされることが多かったからこそ、時折触れる人々の温かさや子供達の無邪気さが心にしみた気がします。 

PS。早く中央アジアに行きたい(5年越しの願い)


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