人生とは-我慢も限界-
仲間からの連絡がなくなってきたころ、「もうそろそろ病院へ行っても大丈夫だろう」と思い始めていた。みな、人のことどころではなく、それぞれが聴取を受けたり、自分のことで精一杯だったのだと思う。
そうした中で、夫と近所で昼食を取り、車に乗って出かける予定だったが、食べた食事が合わなかったのか、身体が重苦しくなり急遽自宅へ帰ることに。
そして、やっとの思いで車から車椅子へ。そしてエレベーターで階上へ。室内用の車椅子に移乗するまでの緊張感は相当の物。ふぅふぅ、はぁはぁ、とにかく重苦しい。
さて、これからどうする?
夜中の激痛は何度も経験しているが、今回のは少し違う・・・なんとも説明がつかないが、これでお終いというようなものではないことは分かっている。
仲間の顔が思い浮かんだが、もうこれ以上先延ばしはできないと思い、救急車を呼んでもらう。
病院に着いてもベッドへ寝かされ、ただただ待つのみ。何も診断がつかないのか何の説明もなく、救急室から病室へ運ばれ、頸部に高カロリーの点滴が打たれる。しばらく入院は覚悟したが、毎日検査検査でどこが悪いのかも言わない。
そして、一週間ほどしてようやく手術をすることに。
手術室は意外と広く感じられたが、手術台に移されると当然のことだが身動きが取れず窮屈。麻酔医が「これから麻酔をかけますから痛みは感じませんが、頑張ってくださいね。」と、優しく励ましてくれた。私は何も考えず、「はい、ありがとうございます。でも、先生。私は麻酔で寝てしまうので頑張っていただくのは先生方ですよね。よろしくお願いしますね。」というと「あっ、全くその通りだ。はい、頑張ります。」と言って笑っていた。
別に意図して言ったわけではなかったが、緊張感も解けて良かったと思い、目を閉じた。正に「俎板の鯉」。
それからどれくらいと時間が経ったのか知らないが、気が付くと病室へ運ばれていた。
そして、麻酔が切れると激痛に襲われ悲鳴を上げた。
「先生、何とかしてくださーい。痛くて苦しくて耐えられませーん。なんとかしてぇ。うーん、痛いよー・・・」
そして、手術室同様、注射後気を失って行った。
翌朝、主治医が様子を見に来て、痛みの原因は重度の「胆嚢炎」で機能をしていないので全摘手術をしたこと。その胆嚢から石が99個見つかったと説明してくれ、「よくこんなになるまで放っておきましたね。」と驚いていた。
そして助手の先生が摘出した胆嚢を見せに来てくれた。それは白い膜に覆われていてぶよぶよとした「タラコ」のようだった。石も大小いろいろで形も色も様々で、正に苦痛に耐えながら育ててきた結果であった。そして、石は容器に入れて私にくれた。これを見ながら体に負担をかけないよう「ごめんね」と「ありがとう」を心の中でつぶやく。
そして、少し落ち着いた頃、病室にふたりの男性が訪れた。
「えっ、誰? なんで?どうして??」
よく見ると、刑事さんが見舞いに来てくれたのだ。
何度、電話をしても繋がらないので、夜、夫が帰って来るのを見計い様子を聞いたという。心配をかけてしまったが、これで終わるはずもなく、退院すればまだまだ続くのだと再確認。
「あなたがいないと仕事にならないよ」などと言って、励ましてくれた。
ーーーーつづくーーー
私を生かし活かしてくだりありがとうございます。
心から感謝いたします。(⌒人⌒)