東雲和音の”変態”
メタモルフォシスを聴け!!!!!
電音部はメタモルフォシス以前、以後で分けられるようになる。そのくらいインパクトのある曲です。
2023年12月7日にリリースされた「メタモルフォシス」。第2部楽曲の中で、零奈のStarchild、ふたばのシンデレラ・マジック・ステージに続く、和音のソロ曲です。
初公開は2023年9月3日のアキバ1stライブで、約3か月後のリリースとなりました。幸運にも現地にいた私は、この音の暴力を受けてすすべもなく、崩れ落ちそうになるのを堪えながら一心不乱に叫んでおりました。
リリースされてじっくり曲を聴けたおかげで、やっと横浜から帰ってこれた気がします。
天音みほにキレッキレのダンスを踊らせるための曲、としか思えないドロップ、最高。現地では興奮しすぎてただ叫ぶことしかできませんでしたが、改めて落ち着いて聴くとドロップがやや長いんですよね。特に1stドロップは終わりかなと思ったら繰り返しがあるので、普通の曲だと間奏が冗長になってしまう感じがあります。が、みほさんのダンスを脳裏に浮かべると必然の長さであることがわかります。メタモルフォシスはすべてのパフォーマンスが合わさることで最強になる。
歌詞について
※今回の考察はいつにもまして妄想が含まれています。ご承知おき下さい。
※ノベル第2部の内容に若干触れています。ネタバレ注意。
※ノベル読んでくれ! 頼む!
ダンス音楽の知識とかはあまりないので、曲の構成についてはこのくらいにして、今回は歌詞の考察(というか妄想)をしていきたいと思います。メタモルフォシス以前の和音については以下の記事に書きました。
この記事でもあるように、これまでの和音の曲からはあまり和音自身のことを読み取れない感じがありました。エリア曲では”人生イージーモード”とか”高鳴る予感がした”などのフレーズが登場しますが、ある意味キャラ紹介やノベルを軽くなぞる程度でしかありません(音楽原作なので、むしろこちらが原典なのですが)。
また、第1部では、姉と和解した零奈、もう一人の自分を受け入れたふたばに対し、”STACKバトルを攻略できる”ことに気づいたことで、DJの楽しさに気づいた和音。あくまで、STACKバトルはゲームのように攻略できるという事実に気づき、これまでと同様”ゲームとして攻略”してみたくなっている状態なだけで、自身の殻を破るような革新的な描写はされていません。
第2部では生徒会長として、あるいは零奈の友人として、事件にあたっています。冷静な立場から事件を見る探偵ポジションなので、彼女自身の強い感情は今のところ出てきていません。
そんな中に一石を投じた、というか天地がひっくり返ったのがメタモルフォシスでした。フロア大熱狂の中で聴きとれた歌詞だけでも、和音が自分自身のことを歌っていることがわかったときは、ガツンと頭を殴られた気分でした。音にもダンスにも殴られていたので満身創痍。
今までのソロ曲と違い、メタモルフォシスは比較的わかりやすい言葉で紡がれています。それ故に考察しがいのある歌詞です。
”何者”かの仮面を脱ぐ前半部分、本当になりたい自分を見つける後半部分、そして最後の部分の3つにわけて考察していきたいと思います。
”何者でもないワタシを見てて”
和音は外面がよく、優等生で、生徒会長という、まさにテンプレのようなキャラクターです。経緯については描かれていませんが、このくらい努力せずともできてしまっただけなのでしょう。厳格に育てられたような描写もなかったと思います。
では、歌詞の前半に漂う不安感はなんなのでしょうか。和音は”何者”だったのでしょうか。
和音がテンプレのようなキャラクターをやっているのは、”自分”というものがわからない、あるいは自信がないからなのではないでしょうか。なんでもできてしまうが故に、自分が何者かを定義できない。自分が何者か、という問いに答えられないから、外神田文芸高校文武両道人望激アツ生徒会長、という外殻に収まっているのではないか。逆に、こうしたキャラクターを取り除いたとき、自分とはいったい何なのか。ある意味、誰しもが考える普通の悩みかもしれません。
”飾りたい心が叫ぶの”はマジで天才的な歌詞だと思います。自分の心をいろんなキャラクターで飾らないと、自分というものを表現できない。それでも、こんな自分でも見てほしいという、これまでの和音では考えられなかった想いがあふれている歌詞に思います。一体何があったんだ……。
”何者になりたい ワタシの理想”
後半部分でわかるのは、和音のなりたい自分は現実には程遠いものである、ということです。
ただし、今までの楽曲でもノベルでも、彼女自身のことがあまり語られていないため、現段階では彼女のなりたい自分というものはわかりません(見落としている描写があったら教えてください)。”反感的孤独”という言葉にヒントがあるかもしれませんが、この言葉の意図はうまくくみ取れませんでした。今後わかるのだろうか。
和音のなりたい自分は、今までの”人生イージーモード”の自分のままでは手に入れられないもの、のようです。殻を破って、泥臭く、欲深く求めなければ手に入れられないもの。彼女がそこまでして”自分”を求める姿、見たい。
”孤独”に関しては、”思うほど一人じゃない”にかかっているのだとは思いますが、”思うほど一人じゃない”からメタモルフォシスするのか、メタモルフォシスの結果”思うほど一人じゃない”のかで解釈は異なります。
後者の場合、なりたい自分になるためには孤独をいとわずメタモルフォシスしなければならなかったが、その結果は”思うほど一人じゃない”、ということでしょうか。仲間がいる”よ!!!! ってことだったらアツいですね。
AIとAi
これ!!! ”AI”という単語が出てきて、自分はウワーッ!!! と頭を抱えました。
電音部世界におけるAIという言葉は、世界観の根幹に根差すものです。AIを用いた採点を行っているSTACKバトル、ひいてはニューコム社を指すといってもいいでしょう。第2部の背景には、AIこそ人類を正しい方向に導く神とするニューコム社と、神の器となる人間によって人類を統合しようとするGR社の対立があります。STACKバトルの真実に気づきつつある和音の歌詞に”AI”が出てくるというのは非常に興味深いです。
歌詞の”AI”がSTACKバトルのことだとすると、STACKバトルをゲームのように攻略しようとしていた和音が、それに”放っておいて”というのは、相当な”変化”ですよね。まあ、まだSTACKバトルを攻略する和音の描写がないので、その先となると想像すらできないのですが……。STACKバトルを完全攻略して俺TUEEEする和音を見たかったが……お話はどう転ぶのでしょうか。
自分で作った自分の姿=「健全」なのであれば、それに”うるさい”というのは、自分のなりたい姿は不健全であるということでしょうか。不健全の意味するところが気になります……。「私は好きにした、君たちも好きにしろ」的な闇落ちフラグとも取れるし、女の子を侍らせて「勝ちまくりモテまくり」の可能性もある。むしろ後者であってくれ。
また、同じShinpei Nasunoさん作詞のUNDERCOVERには”Ai”という言葉が出てきます。発音としては”アイ”で、美々兎に向ける気持ちを歌った曲であることも鑑みて”愛”を指していると考えられます。
一方、メタモルフォシスの”AI”の発音が”エーアイ”であることを考えると、”Ai”と”AI”は別のものと考えた方がよいでしょう。あるいは”Ai”が”AI”に変化してしまう事件があるのかもしれません。
”난 내일을 기다려”
この”AI”と”Ai”の話をしたくてこの記事を書き始めたのですが、
最後の韓国語部分の最後、訳すと、
”ワタシは明日を待つ”
初見では「戦いを前に夕陽に仁王立ちする和音」的なイメージを思い浮かべていたのですが、この記事を書いている最中に改めてここを読んで、アレ??? となりました。
例えばMani Maniの
”明日も会いたいから ねえ もっと君をわかってみたいよ”
例えばベルカの
”たとえ終わりが来て 明日をなくしても”
例えばトアルトワの
”そしてまた今日が終わって”
まって? これまで「誰の何を歌っているかわからない、ただロマンチックな曲」と思っていた和音のソロ曲、ずっと一貫したことを歌ってるんじゃないか???
改めて、まずMani Maniの歌詞を見てみます。
”明日も会いたいから ねえ もっと君をわかってみたいよ”という部分、”明日”という言葉のほかに、”君をわかってみたい”という言葉が歌われています。これをロマンチックな恋のお話だと思い込んでいましたが、もしかして自分自身に向けた言葉なのではないか???
”もうどこまででも行けそうだね”、”足りない”、”もっと深く潜ってみたいの”という歌詞も、メタモルフォシスの”満たされない”、”もうちょっと先が聴きたい”に対応しています。
君=理想のワタシだとして。君をわかりたい、まだまだ足りない、もっと深く潜って、もうちょっと先が聴きたい。海の底まで。地球の裏側まで。ロマンチックな恋の歌が、自己を見つめ直すため深層心理に深く深く潜っていく歌に”変化”してしまった。
ベルカの歌詞でも、”孤独を知ることは 素晴らしいと思えた”というのは、”「わかりたい」のよ 反感的孤独を”に対応しています。先のMani Maniの歌詞と合わせると、孤独を知ることは素晴らしいと思えたから、その孤独=君をわかってみたい。
トアルトワなんて”何もわからない 永遠にわからない わからない”ですからね。”さあ今夜はどこに飛ぼうか”は、1番の韓国語部分”目覚めた少女は青空を駆けて”に対応しているのでしょうか。
AIによるエコシステムの構築を否定し、”君と僕の生態系”を作るのだとしたら、それは反感的孤独かもしれません。”僕らだけの方法で”、和音は何を終わらせるのでしょうか……。
そしてまた今日が終わって、たとえ明日をなくしても、明日もまた君に会いたいから、ワタシは明日を待つ。
東雲和音は何者になるのか
和音のソロ曲では、様々な人称が出てきます。これが和音のソロ曲を「ただのロマンチックな恋を歌った曲」だと思い込んだ理由かもしれません。
ノベルでは”私”。
Mani Maniでは”君”、”二人”。
ベルカでは”あなた”、”わたし”、”キミ”。
トアルトワでは”君”、”僕”、”僕ら”。
そして、メタモルフォシスでは”ワタシ”。
当然、詩的表現の違いだと思っていたのですが、この人称のブレが東雲和音の自己の不安定性を表現しているのであれば……。そして、これらの人称が全て東雲和音自身のことであるのだとすれば……。
メタモルフォシスのジャケが”崩壊と形成を繰り返す”ような和音なのは、変化の途中というだけでなく、彼女自身の内面を表現しているのであれば……。
”思うほど一人じゃない”のは、そばに零奈とふたばがいる、ってことだよな……?
和音の未来に幸多からんことを祈ります。
ところで、メタモルフォシスという言葉は、現状とは大きく姿かたちを変えるような変化の意味を持ちます。訳すと、変化、変身、そして変態、といった言葉があてはめられます。
変態……。音としても歌としても衝撃的で革命的なこの曲のタイトルが、まさか和音の変態性とかかっているなんてこと、ないですよね……?
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