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福沢諭吉さんさようなら、そして お疲れ様

【福沢諭吉のチョッキと、地球儀の話】
今回は、福沢諭吉がアメリカで購入したチョッキに付いても、
合わせての文章を書かせていただきます

長かった一万円札
・災害時の寄付金等に登場したのが:一万円札
・宝くじの当たり🎯に登場したのが:一万円札
・悪党強盗事件に登場したのが:一万円札
・財布👛中に、登場したのが:一万円札
・夜の🍻チェックアウトの支払に、多額枚数に驚く:一万円札
・後~3ケ月で、交代:一万円札
・さよなら言う:一万円札

(この後は、一度投稿させていただきました文章ですが、
アメリカから持ち帰ったチョッキの話も)

福沢諭吉翁と、日野辰治は(筆者の祖父)縁戚で有り
(Googleにて検索出来ます)色々なお話しをお届けさせて戴きます。

慶応3年(1867年)の渡米の際に購入したものである、
福沢諭吉翁遺愛のチョッキと丹前は、
翁の死後福沢家から親族(小田部家=日野辰治の長女である道子)に
贈られたもの、現在は慶應義塾福澤研究センター蔵に納められている
(別紙参照)

また、大分県中津市豊後町日野辰治所有の地球儀は、
旧中津藩主奥平公と福沢諭吉翁が
米国ボストン市ギルマン・ジョウスチン会社から購入したもの、

朝日新聞の昭和23年12月15日の記事によると
1870年(明治4年)に、直径一尺大‘珍しい黄道帯のついている精巧なものは、現在の日本には残ってない全くの珍品
(築上郡八屋町大村に在住する元東京文理大学教授の友枝高彦氏から
"学会の貴重な資料と成るもの"と)

多くの貴重な文献や、手紙等々が日野家に保存されていた

筆者である私は、忍者ごっごやチャンバラで手裏剣を投げて遊んだものですから、大事なものを傷つけ、押入に(長い間)入れらる始末

また、次回の投稿では、福沢諭吉先生没後50年祝賀会について、
お届け致したいと、思っていますので、お待ちいただければ、幸いです


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