中原中也



夏の日吉祥寺でその女にあった。
陽気な女であった。
よくしゃべる女であった
お酒をたくさん飲む女であった。
色っぽい女であった。
社交的性のある女であった。
僕らは文学の話で盛り上がった。
詩が好きな女であった。

彼女は僕のことばに大笑いした。
『中原中也⁈ なかはらなかや!よ。何も知らないのね!』
彼女は中原中也が好きな女であった。
僕の戸惑いに女はもう一度なかはらなかや!!と言いい、無学な僕をもう一度笑った。
僕は彼女の天真な勢いを畏れた。
僕の知っていた中也は僕の知らない《なかや》だったのか。
僕の会話はそれ以降控えめになった。

昨日までの僕は『なかや』を知らない。
中也と呼んでいた多くの人は僕と同じなのだ。
真実は『なかや』で、成長した詩人は中也になった。
僕はその女から初めてなかやという名前を聞いた。
その女も僕から初めて中也という名前を聞いた。

僕は彼女からまた笑われるのを畏れた。
畏怖からもう中也と言えなくなっていた。
それでも中也と呼んでいた多くの人をその女が『笑う』状況になることが飲み込めなかった。
それを整理できない僕は居心地の悪さを感じた。

それ以降、彼女の前では『なかや』と呼び続けた。
彼女は嬉しそうにいろんな話をした。
彼女は陽気に笑い続けた。
中原中也をのぞけば僕はそれでも楽しかった。
僕は彼女の色っぽさだけを気にした。

彼女は酔いが引いた刹那しゃべり終えた。
僕は彼女が〈帰る!〉というまで相槌を打ち続けた。
僕は席を立つ彼女と素早く連絡先の交換をした。
最後に、初対面のようなあいさつを交わし別れた。




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