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『承認欲求』についての飲み会での話‼️

『承認欲求』についての飲み会での話

承認欲求という言葉はネガティブなイメージを持ち、「承認欲求が強い」と言うと、人を揶揄する表現になることが多い。特にSNS時代になってからはそのイメージが定着し、多くのマインド系研修でも「価値観は他者軸ではなく自分軸であるべき」と強調される。他者軸の承認欲求は手放すべきものとして扱われることが一般的だ。

しかし、あえて言いたいのは、「自分、承認欲求が強いです」と堂々と言えるのは良いことではないか、ということだ。

何か活動をする際、本質的には「どのようなインパクトを実現し、どのような価値を生み出したか」が重要である。達成感や満足感は、その活動で実現したかったことと結果の度合いから生まれる内的なものである。

では、外から得る「報酬」とは何かというと、それは金銭か、お礼・賞賛であると考える。特に、金銭が主目的ではない活動について言えば、金銭を期待せずお礼や賞賛もない中でモチベーションを維持できる人は多くないだろう。むしろ、堂々と「自分は承認欲求が強いです」と公言し、自分がやったことに対して自然な感謝や称賛が生じるのは、健全な「報酬」であると言えるのではないか。

では、なぜ「承認欲求」がネガティブなイメージを持つのかというと、「やってもいないのに承認されたがる」「大してやっていないのに、過剰に承認されたがる」というイメージがあるからではないかと思う。それは「SDGsウォッシュ」と同じで、実際の活動や成果が伴わないまま、見せかけのPRをすることが問題とされる。

だからこそ、堂々と承認欲求を公言し、それに見合う活動をして成果を出す人は、むしろかっこいいと思うのだ。かくありたし。



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