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1999年から2003年までの阪神タイガース その⑭

とん平という男がいた。

とん平。
同級生。
本物のジャイアンツファンだ。

筋金入り。
一家でドーム遠征を年に数回。
甲子園でのビジター観戦は必ず参加していた。
年に20試合以上は観戦。
外野の応援事情にも詳しい。

はっきり言うが、
あの当時に球場に通い贔屓の球団を応援したり
遠征に行くことなんて珍しく、変態のやる事だ。

クラスの女子は引き、
イケてる人間だって球場に行ったり応援に精を出したりしない。
実際に僕も変態扱いされた。
野球好きな奴は球場の中でも外でも寄ってくるのは「変態」「オタク」だ。

そして風評。
2001年あたりまでは甲子園に行ってくると言うと
「あんなガラの悪いところ、行くな」
と周りの人間によく言われたものだ。

それでも球場に通う。
雨の日も。風の日も。

そんな人間が同じ学校に二人いるなんてどうかしてる。
しかも家は徒歩10分圏内の近所。
小・中・高も同じだ。
正月になるとトップ画面のような丸出しの年賀状を送ってくる。
当時はふざけんなと思った。

とん平からの年賀状(裏)
※ドン引き
とん平からの年賀状(表)
※絵上手いじゃん

当時は負けじと熱の入った年賀状を返信した。
小さな応援合戦だ。
とん平、まだ持ってるかなあ。

僕は「ジャイアンツファンのとん平」が嫌いだった。
しかし、心のどこかでリスペクトしていた。
だって、応援する球団が違うだけで心の奥底に持っているものは同じでしょう。

とん平も僕と同じく球場で応援仲間を作り、
外野での応援に精を出していた。

外野自由席の当日券売場に並び、開門ダッシュ。
いつもSUZUKIの下。
最上段を確保していた。

開門から数時間経つと、
選手がアップをする為レフト外野席の前に出てくる。

ここからが巨人戦の風物。
阪神ファンによる選手へのからかい。
阪神ファンは週刊誌を手にし罵声を浴びせる。

アナウンス
「ジャイアンツの室外練習、あと15分」

阪神ファン
「はよ帰れ〜〜〜〜!!!!!」

スターティングメンバーが発表され、
ジャイアンツの1−9が始まる。
怒りの阪神ファンによる替え歌と怒号。

試合中もジャイアンツファンに向かって罵声が浴びせられ、
あちこちで小競り合いや乱闘が起こる。

言っておくが、タイガース暗黒時代の球場での乱闘はマジだ。
何度も流血を目にしたし、実際に怖かった。






とん平は幼少期から球場に通っているが
こういった阪神ファンによる挑発に乗らず
何も言わず、何も語らず
何年も何年もずっとレフト最上段からグラウンドを見ていた。
試合が始まるとジャイアンツに向かいエールを送る。
心からジャイアンツを愛していた。

2001年の長嶋さんの最終試合には大きなダンボールに絵を描き、
レフトの最上段から掲げた。
この姿がサンテレビに映り、僕らの間で話題になった。

翌年2002年からは
レフトで旗を振り、横断幕を掲げるようになった。
とん平は素人ではなくなった。

2003年。
阪神タイガースが優勝した。

2004年
とん平は球場から姿を消した。




とん平も僕らと同じく
「2004年に球場の雰囲気が変わった」
と話していた。
「あの頃のタイガースファンが一番だ」
とも。

そして僕らが10代真っ盛りの
1999年〜2003年が一番楽しかったと。

同じ時代を過ごし、同じ熱量で贔屓の球団を応援した。
「とん平に負けるもんか」
とずっと思っていた。
とん平も思っていたに違いない。

地元のエース。とん平。
好きな選手は上原。
自宅はうちの実家から徒歩10分。

阪神のやんやん、巨人のとん平。
小さな応援合戦。
忘れられない思い出。




元気にしているといいが。


向こうもきっと
思ってるはず。



続く

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