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ちょっと一休み

去年今年

2024.1.1 自宅2階からの日の出

 6回目の年男、ここまできました。毎年、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」の一節
「12月また来たれり、なんぞこの冬のさむきや」が思い出されます。予報では暖冬でしたが、震災の発生で、自然の厳しさを思い知らされ、季節の変化は「天行健」の現れだと、寒さにも親しむ気になりました。

 猛暑の夏はオロオロ草刈りし、やっと迎えた秋、深まった11月、久しぶりに海に出かけた帰り、電線に大型の鳥、チョウゲンボーかなと、ヒヨドリの群れの行方を見つめているようだった。

2023.11.1
11月1日片貝海岸

 九十九里平野は、天然ガスが埋蔵されています。東金から海岸に向かう有料道路から採掘のための施設が見えました。エネルギー問題の解決策としてクローズアップされる時が近いかもしれませんね。

6月の出会い 小椋佳「6月の雨」が聞こえてきそうな今日この頃、歌詞を調べてみると、「花の姿は変わるけれど」とありますが、紫陽花の色変化を指しているのか、姿形なのか?気になりました。

九十九里町「軌道道」の紫陽花、自転車道と歩道の間に、ヤマモモの並木
6/15  ヤマモモが実っています。雌雄異株、
万葉集「向つ峰に立てる桃の木ならむやと人ぞささやく汝が心ゆめ」この歌の「桃」は、雌雄同株で実のなる「桃」ではなく、雌雄異株のヤマモモだと考察(前川文夫)されています。
 九十九里町にも、ヤマモモの木がたくさん植えられていますが、その果実は食用にはなっていません。ただし、子供達にとっては、身近な樹木であったようです。下の文集には、龍宮橋付近のヤマモモの大木の場所が鮮明に記録されていました。 (2021年12月25日 長谷川ぬい著「お母さんの昔話」)

さて、紫陽花についてです。「姿が変わる」のではなく、「姿の違う」紫陽花ならば、少なくとも3様ありました。いずれも雌蕊がなく、種はできない様です。

紫陽花の色々:左:装飾花のみ、中央:装飾花の矮性種、右:ガクアジサイ(中央に両性
花、周囲にガクからなる装飾花)
中央部の花と周囲の装飾花(萼片が肥大化していますね)
雌蕊がありません。
雄蕊も無くなった品種

5月の出会い 明日から6月

海岸の最前線で トベラが根を張って小さな砂丘を形成しています。地際にはハマヒルガオ、下生えにはシャリンバイを抱えています。共存の姿を示しています。
砂が飛散しハマニンニクの根系が見えました。どこまでも生き抜いていきます。
左 檜枝岐ミニ尾瀬自然公園で、フジが2種類の樹木(カラマツとカバノキかな)に絡みついております。右:ヤセウツボ(寄生植物)がオオアカツメクサ(宿主)の中から伸びていました。地下では根が絡みついていることでしょう!

5月の出会い2

5月17日朝、野良猫が何やら寝そべっていたので、近づくとモグラが!猫は時折、蛇や小鳥を狙っているようです。体長約15cm, アズマモグラかな、毛皮の綺麗なこと!
久しぶりに漁港の直売所で、サバが獲れたようです。セグロイワシが口の中へ、飲み込む前に捕えられました。生食連鎖の瞬間

2年ぶりの尾瀬 書美術館へ

これまで7回、檜枝岐村に来ています。今回、歌舞伎公演と書美術館の開館に合わせて向かいました。幸いにも天候に恵まれ、尾瀬ミニ自然公園では春の花が咲き揃いオサバグサの群落を初めて見ることができました。表紙は雪が残る燧ヶ岳

例年よりも開花が早いようです。今年の春は素早く駆けて行きます。オサバグサ:まるでシダ植物のシシガシラの葉のようでした。花は皆下向きでした。

丹治思郷先生の作品が展示されています。AIに立ち向かうためのヒントが!
先生の最晩年の作品が中心のためか、これまで以上に先生の書に対する思いが伝わって来ました。

5月の出会い

連休に親戚と再会、連休後に檜枝岐村書美術館、農村歌舞伎鑑賞を予定しています。また、5/20(土)町の郷土研究会で、「花粉と歴史ロマン」を話します。

満月の雲隠れと飛行機(左上:飛行機の点滅4秒露光)月光を遮る雲の広がり、昨夜の満月を惜しむ。
5月の月 Flower moon いつも同じ月なのに満月には特別感があります。やや薄い雲があると陰影が強調されるようです。
ニホンヤモリ 台所に出現です。臆病とのこと指に絡まるように大人しくしていました。
庭に解放しました。昨年来3回目の遭遇でした。尻尾が切れています。トカゲのように再生するのかな?

爆睡中

このところ、爆睡しやすいのか?花の終わった水仙と紫陽花の間

4月に出会った生き物です。

4/29 ナガサキアゲハ♀(東金市ホームセンターにて)
温暖化の指標種 分布北上中
ツグミと雉(4/17 ) ツグミはそろそろ里帰り、 「キジも鳴かずば撃たれまい」。私に呼びかけるように「ケン!」周へんを探したところ、再び「ケン!」振り向くと歩き始めていました。
アオジとスズメ:一瞬の共存 豊富な食料と空間があれば、緊張が緩和されるのかな?アオジも山へ帰る頃でしょうか。
左:ハンノキの新葉と新旧球果、右:クマガイソウ、ハンノキの球果の世代交代の共存、クマガイソウは分布域の拡大中です。ここ数年、生育地を増やしています。
イノモトソウがこんなところにも顔を出していました。危険!
クロチクのタケノコ、イチョウの切り株横からニョキニョキ暖かさに包まれる4月の空気の中で、生き物が躍動しています。いつものように何気なく、この時期に出会えることのありがたさ、田舎暮らしの良さをこれからも、アップしていきます。

4月の訪問者

 青大将はこれまでも見かけておりましたが、突然の出現に驚きました。
冬眠から覚めて出てきたのでしょうか?

青大将が庭先の出現 1m以上の大物でした。
アオジが二、三羽で茂みから出てきます。エノキの花が落ちた地面の上で、
食べ物を探していました。雀を見かけないのはアオジと競合するためでしょうか?
コウボウムギが花を付けていました。麦と言っても、カヤツリグサ科なのでした。
ハマヒルガオが咲く前の九十九里浜です。

3月になりました。

昨日は3/19(日)、一昨日の寒さが嘘のように暖かな春を味わいました。
燕も初飛来か?写真には撮れなかったが、キッ、キッと音を後に円を描きながら、消えました。

さて、花桃も咲き始め、花見の季節です。

これ食ふて茶のめ 仙厓さんの書
家にあった鉱物を、大皿に載せてみました。古いトックリで一杯いかがですか?
上から2列目の右端は、鴨川産の蛇紋岩です。
この他、銚子の飯岡石など、岩石の知識があればなあ。
下段左は、シャケの切り身のような?

関万歳 九十九里町2月のお祭り

2月11日 土曜日 九十九里町皇産霊神社のお祭りに行って来ました。

紅白の櫓から餅が撒かれます。

九十九里町誌総説編(昭和五十年五月三十一日 発行)によれば、「本町の関万歳は前里の郷社、皇産霊神社(うぶすな様)の祭礼で、新暦二月一三・一四の両日、旧片貝町の氏子を中心に屋形、須原、西の下部落から獅子舞や、かっこ舞の奉納がある」とされています。現在は2月11日頃、一日だけの開催です。

コロナ禍のため三年ぶりの開催でした。
須原区のかっこ舞です。2頭の雄獅子と1頭の雌獅子の面(兜)をつけて踊ります。
県道からこの神社の境内への参道には出店が並び、かつては本隆寺の境内にまで植木市や木工具が売られていました。

とても小さな小さなお祭りですが、伝統芸能が地区ごとに維持されて来ました。
この面をつけて踊るのは小学生の低学年(ちゃっけどん)から大人までです。
「ちゃっけどん」の演舞は屋形の獅子舞でも行われます。とても可愛い!!
動画がアップされています。
https://www.youtube.com/watch?v=7AhWcH4a7nA

素朴な行事がとても貴重なものに思えます。

このお祭りについては、田に引き入れる水争いが元になっています。初めに引用した町誌には、近隣の大網白里町北今泉と長生郡白子町南白亀(なばき)でもあったとされ、海岸平野の不足する水資源が問題であったことが偲ばれます。

関万歳治:小関村と片貝村の水争いが「堰」に因む説が有力視されています。
また、この二村の争いの様子は1739年の記録にあり、両村の名主が評定所に参上して和解したことが記されています(九十九里町誌 総説編 p202)。
また、これを祝う「万歳」は片貝村の勝利の表れ、あるいは長生郡関村から万歳師がやってきて社前で奉納したことに由来するという伝承もあるそうです(同上。引用文献)。和解が祭りの元になったとは!300年前のことであっても地域の自慢の一つです。

2023年 九十九里町の紹介です。今年もよろしく!

2015年6月5日 成田発NH919便(上海行き)から九十九里町を撮影

昔、千葉県九十九里町には港がなかった。

 太平洋に面した九十九里浜の中央部に、私の住む九十九里町があります。ここの海は砂浜が広がる穏やかな遠浅の海ですが、昔は港がなく漁船は浜から直接、海に押し出される(おっぺし)、地引網漁が行われていました。
大きな川がなく、港を作るだけの河口がなかったのですが、現在は作田川の河口に港が見られます。昔の小さな川は、海岸に並行する浜堤列の後背湿地に流路が形成されていたようです。
 当時の時間をかけて海に注ぐ緩やかな流れには豊富な有機物が含まれ、多様な生き物の世界を支えていたようです。昔話ですが、母は子供の頃トンボの大群に見とれて追いかけて、川に落ちたそうです。
 最近でも浜川でフナが群れをなして泳ぐ姿は、水鳥を惹きつけています。陸上から供給された栄養分はプランクトンを増加させ、河口でイワシを惹きつけ、さらに大型の魚(鰹)まで引き寄せていたのでしょう。

いわしの町ができるまで

 機体のフラップ下に、サンライズ九十九里(三日月型)が見えました。海岸線に平行に道路が何本も南北に伸びていますが、集落の発達は砂堤に由来します。
北側(写真下方)に片貝漁港と作田川、南側(写真上方)にサンライズ九十九里と真亀川に挟まれた地域が九十九里町のおおよその範囲です。

現在の九十九里町 Googleマップより

 海岸に平行に南北に細長く伸びる浜堤列は、気候の寒冷化の中で内陸側から海岸が後退してきた歴史(海退)の中で形成されてきました。

 九十九里平野は、北部の銚子(屏風ケ浦)南部の(太東崎)が、海食によって削られ潮流によって砂が運ばれたものでした。九十九里の基盤は浜の両端の丘陵が産みの親と言えるでしょう。

「この平野は、3群の砂堤列(Ⅰ, Ⅱ,Ⅲ)、3時期の砂丘、堤間湿地群などからなる平野で、縄文海進の極大期(約6,000年前)以降、内陸側から現海岸線に向かって徐々に離水したものである」(「海岸平野の発達」写真と図で見る地形学:東大出版会より)。
 
後背湿地は水田化され、微高地が道路や住宅地となりました。
作田川以北の潮流は北から南下し、以南では南からの北進があり、二つの潮が交わるのが九十九里町の海で生じます。そのためか、離岸流として海水浴客が沖に流される危険な場でもあります。子供の頃、海に入ると何度も膝より深い場に入ってはいけないと言われても理解できなかったことを思い出します。

明治期の低湿地(地理院地図より)

https://maps.gsi.go.jp/#16/35.544361/140.427150/&base=std&ls=std%7Cswale&blend=1&disp=11&lcd=swale&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 北の作田川には、旧河道と思える水路が現在の九十九里町と東金市の境界付近の宮島池から南部に伸びています。また、小関納屋から新生に向けても低湿地が伸びており、さらに海側にも荒生納屋からの水路が確認できます。この傍流とも言える小さな川が水源であり、ここにも人々の歴史に関わる争いと和平を祝う伝統が出来上がりました「関万歳」。

九十九里町 本隆寺(前里)

本堂です。

 九十九里町は坂の無い町です。比高(数m程度以下)が低いために東西方向に横断しても高低差は感じませんが、地元のバス(東金ー片貝線)の停留場の名前には、海岸方向に向かって、かつての湿地や微高地に関連する堀上・北野幸谷・南新田・家徳中橋・薄島・大沼入口・沼端・下タ谷と続き、昔の地形が想像されます。微高地にできた集落(前里)の本隆寺の縁の下にはたくさんの貝殻が見られます。盛り土として集められた土の中に含まれていたのでしょうか。

左:本堂下の貝殻、右:敷地周囲の盛り土された土塁に見られる貝殻

 このお寺は敷地が広く、山門からの通路は、2月になると隣接する「うぶすなさま」(皇産霊神社)で開催されてきた「関万歳」のお祭りの日には、農機具や植木市のお店が並び賑わいました。関万歳についても、後日紹介しましょう。
ところで、本日2023.1.18本隆寺の山門脇の駐車場に梅が咲き始めていました。

日当たりが良いためか蕾も膨らみ、春近しです。

白梅の蕾を二つ三つ熱湯に入れると、梅の香を味わえます(対馬の国分英俊さんから教えてもらいました。

今夕

雨上がりの枝垂れ桜 しずくの蕾 2022.11.26 午後4時頃 九十九里町妙覚寺にて

今朝 

佳き日になりそう!!! 対ドイツ 2:1

私の好きな九十九里 夏・秋・冬

夏の月の出と正一稲荷神社横の道
晩秋の日の入りと筋雲
初冬の浜川(2022.11.17)と月の入り(2022.11.9 早朝)

11月16日今日の2枚

水平線の左部分に蜃気楼が映りました。
ネコザメらしい(片貝海岸)

11月8日(火曜日)

11月8日 丹治思郷先生の作品展

 銀座2丁目の銀座貿易ビル

 11月8日、このビルの7階で開催された、故丹治思郷先生の作品展に出かけてきました。エレベーター7階で降りると大空間に先生の作品、60点が並んでいました。生誕100周年を記念したこの作品展は、奥様・檜枝岐村・藍の会の共催です。
主に福島檜枝岐の書美術館から運ばれたものでした。
銀座の真ん中にありながら、その開放感にあふれた空間は、作品とともに尾瀬の清涼な空気と新鮮な水が流れる場が運ばれてきたようでした。

檜枝岐の書美術館は、丹治先生の作品の故郷であり、「思郷館」として書の製作に使われた硯や筆なども展示されています。

大きな作品のほとんどは80歳を過ぎてからのものだそうです。

入り口に掲げられた案内も、藍色を基調にした美しい作品でした。中央の書は「天泉」です。「天」の雄大な筆致に続く「泉」は、大変繊細な細字で始まり下半の水は、勢いを見せています。図録で、奥様は尾瀬の美しい自然を借景として建つ、書美術館は「天泉」に宿った命のようだと記されています。
来年5月の開館日に再会を約して、後にしました。奥様をはじめ会場にいた藍の会の皆様に御礼申し上げます。

あちらこちらの花粉?今昔


上段:銚子のスナック花粉(今はありません)、下段左:京都のお茶屋さんの、
右:2022.10.8茂原の骨董市で見つけた陶器にデザイン化された雄蕊(おしべ):
百合の花粉も長球状です。

昨晩の木星(2022.10.2)

明るさに興奮してブレました(Nice excuse?)

2022.9.30 初冠雪

東京駅発8:09分博多行きNOZOMI

今朝の金木犀

2022.9.29 植えてから5年以上、咲かなかったのですが、
潮風の当たらない西側に植え替えたところ、やっと花をつけました。

 この芳香は、どこからか漂ってくるのですが、モンシロチョウを忌避させる作用が判明しているそうです。広島大・生物圏科学研究科・化学生態学研究室の成果です。(https://web.archive.org/web/20111224032717/http://home.hirosima-u.ac.jp/honce/forage.htmより)

 生物圏科学は Biosphere scienceの訳語ですが、大学の専攻分野として「生物圏」が設定されるようになったんですね。

 日本に導入されたものは、雄株のみだそうです。キンモクセイにとって、世代をこえる「生活」がありません。「命」と「生活」は、ともにLifeの訳語です。生活を奪われた、養鶏場の鶏のような生き物たちが、私たちの周りにたくさんいること、、、考えさせられます。

今朝の1枚(2022.9.28)

季節を分ける百舌鳥の初鳴き

金木犀の香りのする朝でした。

今日の1枚(2022.9.25)

 萩の花にミツバチ(ニホンミツバチ?)が訪問していました。お腹の下に花粉が溜まっています。花粉団子(花粉荷 pollen load)は通常、後ろ脚につくのですが、腹部につくこともあるようです。巣に持ち帰ってから蜜で練られて利用されるのでしょう。花の終わりの時期なので、急いでいるように見えましたが、ミツバチを捕らえようとしているカマキリが下方に潜んでいました。これに、気づいたミツバチは何度も旋回するようにカマキリに威嚇しているような行動も観察しました。

触覚が長く、アブと異なります。
ぼやけてしまいましたが、左下にカマキリ、右に旋回中のミツバチ
2022.9.30京都梨木神社(萩の宮) 萩が満開でした。
添えられた和歌に感動しました。

本日の来訪者:なんと要注意外来生物

アカボシゴマダラ エノキの若木に止まりました。発見時に駆除が必要
2022.9.23 山武郡九十九里町(庭のチョウHP butterfly-garden.jp)


顕微鏡とは真逆の望遠鏡を時々覗いています。
今年の夏の夜空からいただきました。紹介します。

2022.8.31木星
2022.9.8 木星
2022.9.18 月と火星その他、写っていませんが月の左上にカストルとポルックス?たぶん
さらに光の環が背景に見えたのですが、
2022.9.10 


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