自然より自然な不自然だけ

頭の中はいつもガチャガチャしていて、片付けが苦手なぼくには向いていない場所の一つだ。常に思考の点が原子みたいに飛び回っていて、主人のぼくに何の遠慮もなくぶつかり合っては互いを邪魔してる。時々点と点が線になってつながったり、その線が絡まって面倒なことになったり。窮屈な頭からいくつも外に飛び出して誰かの点や線と同じようなことを繰り返すことも少なくない。どうしてこうも気になることばかりなんだ世の中は。
そんな厄介な思考の住人の中にはおもしろそうなやつもいて今日はそいつについて話そうと思う。

自然は美しいね。ぼくは美しいものが好きだ。特に人間の創造する美しいものを愛している。自然という言葉の意味には古きものと明治以降で定義された2つの意味がある。一つは、人の手を加えないあるがままの状態。天地自然。そしてもう一つは山、川、海や草木、動物、雨風などの人の作為によらず存在するもの。実体をもつ自然を美しいと思うのはやはりその自然があるがままの状態であるからだ。この二つの自然は切っても切り離せない。でも実際この世にあるがままの自然なんてものはないんだと思う。山に登ったり浜辺を歩いたり、目に見えるように形骸化された自然はどこか不自然で少し怖くもある。でもそれに反して画面上や紙面で見る自然というのは本当に美しく、涙が出るくらいに心の情動を生む。ではそこに行ってみようと足を運んでも、なんだこんなものかと落胆したり、写真との違いに違和感を持つ。写真の中の自然は結局自然ではなくて、そこにあるのは人間の創作物、謂わば作品である。人間は不自然の塊だ。不自然なものがあるがままを求めて不自然を創り上げる。自然より自然な不自然だけ。ぼくはそれを愛している。そう、ぼくは身勝手な人間だから、自然にまで期待を向けてはこうじゃないと失望する。ぼくはずっとあるがままでない自然に恋してる。

本当に意味もなくダラダラと駄文をお送りしていますが要するに、ぼくは人を愛している。

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