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あの世までの遠回り

耳なんてなければ、誰かの泣き叫ぶ声を聞かなくて済んだのかい。

口なんてなければ、言葉で傷つけ合わずに済んだのかい。この目がなければ、孤独で悲しい夜の底に落ちていかずに済んだのかい。鼻がなければ、この両手がなければ、足も、脳も、記憶も、思い出も。

ぼくなんていなければ。


きっと違うだろう。そんなことが言いたいんじゃない。耳があるからあなたの哀を抱きしめられる。口があるから苦しいよって泣けるんだ。目はぼくを外の世界に連れ出してくれる。匂いがない世界じゃ記憶に輪郭がなくなってしまうだろう。この両の手があればたった今の1秒くらいは閉じ込めていられる。足はここにいる実感になる。足跡がいつかのぼくを大丈夫と勇気づける。


考えるたびに思うんだ。ぼくがぼくでよかったって。全部嘘かもしれない世界。一瞬で壊れてしまうようなちっぽけな世界。絶望が前提の世界。この世界で生きていくことは、やっぱり止まない雨みたいに不安ばかりで。あなたの死にたい気持ちも分かるよ。こんな世界って、思うことも。毎日疲れるよね。だけどさ、ぼくはやっぱりあなたに。そこにいてほしいよ。無責任な言葉だね。結局いつかはみんな死ぬし、ただぼくら遠回りしてるだけで、全部全部無駄なことだ。でもその無駄が美しいって誰かが言ってた。

これから先、死にたいくらいの夜はあと何回来るんだろうって考える。あなたの死にたい瞬間も、あぁ、これで生きていけるって瞬間もぼくには分からない。でも分からないからって諦めるのは好きじゃない。だから少し、僕の我儘を聞いてほしい。まだ見ぬ孤独と今日の不安に泣いてしまったって構わないよ。その時にできればあなたを大切にしてくれる人がいればもっといいと思うけど。そんな人が簡単に近くにいたら泣く必要なんてないかもしれないから。だから、そんな時は思い出してくれたら嬉しいな。

ぼくは、あなたのことを想っている、想っているよ。あなたのいる場所に止まない雨があるのならぼくは隣に座って一緒に濡れていたい。そんな何も知らない誰かのことを知っていてほしい。

そのためにぼくの目が、耳があるから。

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